河野亮仙の天竺舞技宇儀57

第57回 ヒンドゥーとは 


昨年、令和4年11月21日の事、京都大学吉田本部キャンパスにおいて、「タゴールを語る/文学・歌・踊りの夕べ」が行われた。前回報告した大倉山でのタゴールの会の続きのような感じで、戸川セツさんが踊られた。大西正幸さんがタゴールの話をして、訳書『少年時代』の出版記念パーティーも兼ねている。この書は19世紀ベンガルの悠々と流れる時間が感じられる名著。


昔のインド学研究室には立ち寄れなかったが、京大構内には十数年ぶりに入った。名物の立て看板は美観を損ねるとの事で禁止にされた。学生運動が下火になった後も、伝統芸能のように赤ヘルを被って手ぬぐいマスクをし、ハンドマイクとゲバ棒を持ってアジ演説をする昭和の風景は、最早、見られなくなった。


僕らの世代は全共闘ぶら下がり世代と呼ばれる。それでも在学中にロックアウトや内ゲバによる殺人事件は起きていた。文学部同級生200人の中に坊主の息子が知ってる限り6人いて、大谷派の一人は民青、本願寺派は赤ヘルだった。赤ヘルはカドハキケンと称していたが、大谷大学の宗教学の教授となった。メット組も民青も原理研究会(統一教会系)もキャンパス内でオルグしていたが声をかけられる事はなかった。声をかけてきたのは空手部とアメフトのクラブだった。短髪だったから格闘技系に見えたか。入ったのは久松真一創立の心茶会という茶道部である。


世界的な業績を上げた仏教学やインド哲学の先輩達もへルメットを被って奮闘していた。大学が封鎖されていたので、欧米に留学し、様々なジャンルに挑戦したのが良かったのだろう。
文学部の5年先輩に文化人類学の上野千鶴子さんとフリージャズの近藤等則さんがいる。近藤さんは、日夜、軽音楽部の部室のあった西部講堂でラッパを吹いていた。精密工学科では卒業できそうにないので、文転して黒人文学専攻という事にした。二人ともろくに授業に出ていないので面識はないはずだ。近藤さんは、最早、あの世に籍を置いている。


上野さんは大学では何も学ばなかったので、勝手なことをやっている。いや、これは褒めているのです。京大の名誉のために言っておくと、当時、社会学には作田啓一先生、米山俊直先生がいらっしゃいましたが、そのジャンルとはクロスしなかった。


上野さんは一緒に色川大吉先生と共にカイラーサ巡礼に行った縁か、色川先生が鬼籍に入った後の後始末をしている。色川先生の書斎には大きな上野さんの写真が飾ってあって、ちづこーっと叫んでいたとか聞く。高山病で倒れた色川先生を看病していた。パルスオキシメーターの数字が、死んでもおかしくない位低かった。命を救ってくれた観音様位に思っていたのだろう。

近藤さんは学生相談室に行って、「授業に出なくても卒論だけ書けば卒業させてくれる学部に変わらせて下さい」と駆け込むと、相談室にいたのは河合隼雄先生だった。卒論審査の時には教授に、「君の英語力じゃ卒業は無理だなあ。中学の英語の先生にでもなるつもりか」「滅そうもない。僕はフリージャズのミュージシャンになりたいのです」


「えっ、フリージャズ?」一拍おいて、「それじゃあしょうがないな」と卒業させてもらえる事になった。何がしょうがないんだか。その雰囲気は僕らの頃も残っていて、授業に出ていない理学部の友達が言い訳の作文を書いて出して単位を貰っていた。文学部は行方不明になる人間が多かった。

ベンガル人脈
さて、「タゴールを語る夕べ」に話を戻すと、タゴールを中心としたベンガル人脈は強いなあとうらやましく思う。集まるとタゴール大学の校歌を歌っている。こちらバナーラス・ヒンドゥー大学組は様々な機会で出くわす事はあっても、特にBHU組で集まろうという話にはなった事がない。校歌なんて見た事も聞いた事もない。そもそも入学式とか卒業式とかあったのだろうか。
京都大学の教室はどこから誰が集まったのか満席に近かった。踊りの戸川セツさんのご主人戸川昌彦さんとは久しぶりに会った。彼は『聖者たちの国へ/ベンガルの宗教文化誌』『宗教に抗する聖者』という非常に優れた本を著している。

大阪からはオリッシー・ダンスの花の宮こと茶谷祐三子さんが大麻豊さんと一緒に入ってきた。大麻さんは早くから関西のインド案内人として活躍しているが、初対面であった。昭和54年に留学する時、インド・ネパール旅の会(代表森脇準一)による旅行ガイド『インドをあるく本』を持って行った。大麻さんはその著作者の一人。泥棒に対する注意、列車の乗り方、病気に対する注意など書いてあって実践的な本だった。
司会をされたのは池亀彩さんで『インド残酷物語/世界一たくましい民』を書かれた方だ。2021年に出版された本の中でバウルの修行者でもあるパロミタ、佐藤友美さんの訳した『9つの人生 現代インドの聖なるものを求めて』と共に最も印象に残る本だった。『9の人生』の中で紹介されるジャイナ教の修行者など、釈尊の時代と変わらない修行をしているので、本当に感心した。様々な修行者の内面に迫る調査も凄いし、翻訳も自然だ。


インド人の古来からの修行については以下参照の事。
https://tsunagaru-india.com/knowledge/%e6%b2%b3%e9%87%8e%e4%ba%ae%e4%bb%99%e3%81%ae%e5%a4%a9%e7%ab%ba%e8%88%9e%e6%8a%80%e5%ae%87%e5%84%80%e3%89%9e/
残酷物語
『インド残酷物語』には逆境にめげず、たくましく生き抜くインド人の姿が描かれる。今、読み返すと、ヒンドゥー教というのは世界最強のカルトではないかと、ふと、思った。ヒンドゥー至上主義がそちらの方向に走らない事を祈るのみである。


池亀さんは早稲田の建築学科出身という変わり種だ。もっとも、インドをやろうというのは変わり者ばかりだが。


「はじめに」で、「この本では私と個人的に金の貸し借りや雇用関係にある人たちが主な描写の対象であり、物語の主人公である。これは個人の影響(それは偶発的なものに過ぎないから)を極力小さく押さえて『科学的』たろうとする、かつての人類学の方法からすれば、失格の烙印を押されてしまうだろう」「金を貸すことは、残酷でありながら温かさもある矛盾に満ちた依存関係の網の中に入ることである。そしてこの依存関係の網こそがインドを深く知る鍵である」と宣言している。


ここんとこグローバリズムだの環流だのと文化人類学の型にはまったような論文に飽き飽きしていたのでアッパレである。フィールドワークの常識なんかぶっ飛ばせ。誰がやっても同じという「客観性」より個性的であること、その人にしか出来ないオリジナリティが一番大切。
カルトと宗教とどう違うのか、どの宗教も一線を越えてカルトたり得る。先鋭的、攻撃的な運動体を生み出す事がある。人権侵害とか、反社会性が第一に問題であろう。特に、政治と宗教が一体となると逃げ場がなくなるので政教分離は必要だ。恐怖によってマインド・コントロールし、囲い込みから抜け出せない。正体を隠しての偽装勧誘が困りもの。教祖・教団の指導への絶対服従を強いられて、排他的。度を超えた寄付、あるいは強奪、教団幹部の贅沢三昧などがカルトの特徴である。

しかし、社会の通念というのも時代や地域によって異なる。西洋的な正義がどこでも通用するものではないし、戦争の口実に振り回す「正義」ほど危なっかしいものはない。
ヒンドゥーというのは社会そのものだ。宗教という言葉は明治になって森鴎外辺りが作った訳語で、インドにもreligionに相当する言葉はない。そもそも東洋の宗教の方がキリスト教より古く、一神教を標準とした宗教学での宗教の定義からはみ出してしまう。


宗教をdharmaダルマと訳している。達磨さんのダルマである。サナータナ・ダルマ、永遠の教え、ヒンドゥー・ダルマ、サンスクリット語でヒンドゥートヴァ(ヒンドゥーである事、ヒンドゥー性)と呼んだりする。ヒンドゥーとは決してバラモン中心主義ではなく、社会のすべての人々、つまり、他カースト、他宗教にも開かれた寛容なものであるとする。それを政治体制として援用しようとし、近年、これをヒンドゥートヴァ(政治社会的ヒンドゥー主義)と呼ぶようになった。しかし、これこそヒンドゥー至上主義であると批判されている。

ダルマは持続するという動詞の派生語なので、基本的には続くものという意味だが、多義語で法とか正義、教説とか訳される。秩序、慣習、徳、特質、倫理、義務などの意味が含まれ、続いてきた「善いとされる」生活習慣そのものである。ヒンドゥー教というが、隣接するジャイナ教、仏教、シーク教も含めてインド教とした方が適切なのかも知れない。インド的な宗教文化の体系の中で価値感が共有される。


山下博司は『ヒンドゥー教』で「ヒンドゥー教徒とは、神話体系、宗教儀礼、社会制度、文化伝統、生活形態、宗教観念、さらには因襲にいたるまで、すべて分かちがたく結びついた文化要素によって緩やかに規定される集団」と網羅的に記述している。
『マヌ法典/マーナヴァ・ダルマ・シャーストラ』において第一章では宇宙創造について語られ、第二章の一番には「学識豊かな者たちによって遵守され、いかなるときでも憎悪と激情を持たない善き人々によって心から承認されている生き方(ダルマ)、それを学ぶべし」とある。人生の標準モデルとして学生期、家長期、林住期、遊行期が説かれる。基本的には、バラモンを中心とした再生族(上位3ヴァルナ)のヴェーダ学習者ブラフマチャーリンのための心得集である。
女性はその範疇に入らず、幼い時は父に、結婚すれば夫に、夫の死後は息子に従うべしとあり、独立が認められていない。女性というのはシュードラと同様、男性に奉仕する者とされていて、ヴェーダの学習やマントラを唱える事が認められていなかった。


ヒンドゥー教から仏教などに集団で改宗しても、彼等のカーストは何々といわれてヒンドゥー社会から逃れられない。異教徒も結婚すればヒンドゥーになるのかも知れないが、生まれ育ち自体がヒンドゥー社会というものなので、ヒンドゥー「教」への個人単位での改宗というのは起こりにくい。


そもそもヒンドゥー教とは何かと「ザ・ヒンドゥー」という新聞で百人の識者に聞いたら、それぞれ違う事を書いてきたという。経典に基づいて何々派の教えはこうだ、ああだと説明する事は出来ても総体を捉えるのは難しい。
近代インドの改革運動
以前にも書いたが、宣教師がインドに入って以来、女性の人権がないがしろにされている事、一夫多妻、幼児婚、持参金、教育、寡婦の後追い自殺などがヒンドゥーの問題だとされて、百年以上前からインド内部からも改革運動が起きてきた。近代の宗教改革についてはかつて第15回に述べた。
https://tsunagaru-india.com/knowledge/%e6%b2%b3%e9%87%8e%e4%ba%ae%e4%bb%99%e3%81%ae%e5%a4%a9%e7%ab%ba%e8%88%9e%e6%8a%80%e5%ae%87%e5%84%80%e2%91%ae/
 
今日、教育とか就業の面では問題が少ないが、サティーとか名誉殺人と呼ばれる事が残っている。個々人の人権より、家族や取り巻く狭い社会の評判の方が大切なのだろうか。個が生き延びる事よりもカースト集団が長らえる事が重要なのだろうか。通婚できるカーストの近い関係が「世間」で、「世界」は関係がないが如く。

 
ジョージ・ハリソンはヒンドゥー教徒?
インドのジャーナリスト、アジョイ・ボースが、インド期のビートルズとラヴィ・シャンカル、マハリシ・マヘーシ・ヨーギとの交流について、まるでずっと側にいて記録していたかのように、詳細に報告している。知らないエピソード満載で驚いた。去年、NHK BSで放映された番組の原作で、DVDも出ている。インド側から見たビートルズというのは、あまり語られた事がない。
ラヴィ・シャンカルについては第8回に書いた。
https://tsunagaru-india.com/knowledge/%e6%b2%b3%e9%87%8e%e4%ba%ae%e4%bb%99%e3%81%ae%e5%a4%a9%e7%ab%ba%e8%88%9e%e6%8a%80%e5%ae%87%e5%84%80%e2%91%a7/


第46回ではインドとビートルズについて書いた。
https://tsunagaru-india.com/knowledge/%e6%b2%b3%e9%87%8e%e4%ba%ae%e4%bb%99%e3%81%ae%e5%a4%a9%e7%ab%ba%e8%88%9e%e6%8a%80%e5%ae%87%e5%84%80%e3%8a%bb/
マハリシを一言で言えば「人たらし」であり、頭が良いので一線を越える事がないよう綱渡りをしている。ビートルズに収入の10から25パーセント布施してくれと要請したようだが、逃げられた。弟子にそれぞれマントラを与え、1日に30分、1時間でいいかから瞑想しろ、効率を上げろという超越瞑想のシステムは、忙しい現代のビジネスマン、セレブにぴったりの教えだった。

セレブにヨーガを教えるというのは昔からやっていた事だ。柔道でも嘉納治五郎の送り込んだ山下韶(よしつぐ)はセオドア・ルーズベルト大統領に教え、筆子夫人もアメリカ社交界の淑女たちに教えていた。
https://tsunagaru-india.com/knowledge/%e6%b2%b3%e9%87%8e%e4%ba%ae%e4%bb%99%e3%81%ae%e5%a4%a9%e7%ab%ba%e8%88%9e%e6%8a%80%e5%ae%87%e5%84%80%e2%91%aa/
マハリシの生まれや本名についてははっきりしない。彼の本には教説が書いてあって本人の事は示されない。1917年か18年に生まれたようだ。アラーハーバード大学卒業時の記録では、M.C.スリヴァスタヴァ、書記カーストの姓である。


20代前半に、洞窟で修行する聖者スワーミー・ブラフマーナンダ・サラスヴァティーと出会い入門する。マハリシは彼をグルデーヴァ(師にして神)と崇拝する。師は40歳にしてバナーラスのジョーティルマスで最高指導者シャンカラーチャリヤに任命される。

師の元で言葉巧みな彼は秘書として広報主任として活躍して、インド中を師と共に飛び回る。1953年に師が亡くなると、バラモンではないマハリシが後継者となる事はないので、独立してハリドワールに至った。


ビートルズが彼のアーシュラムに行った時の話はよく知られているのでここでは省略するが、そこに現れたマジック・アレックスと呼ばれる若きギリシア人の奮闘はあまり語られる事がなかった。どういういきさつなのか、ビートルズをマハリシから引き剥がそうとしてやって来たようなのだ。この話がケッサクで本書のクライマックスとなる。
しかし、ビートルズが去った後もその宣伝効果は抜群で、教団は躍進する。土地やリゾート、ホテルを買収し、本部をスイスにおいて一時は月に600万ポンド(1200万ドル)の収入があって、世界中に200万人の信奉者がいたと本書に書かれるが、何時の時点でのデータか。


ちなみに、サイババが2011年、84歳でなくなった時、信者数は世界で3000万人、資産合計は2兆8000億円と奉じられた。ジョージ・ハリソンはISKCON、ハリ・クリシュナ意識国際協会に多額の献金をした。彼がISKCONの熱心な信者である事は知られているが、ヒンドゥー教徒かと問われるとどうなのだろう。

日本でも大企業のトップクラスがTM、すなわち超越瞑想をやっていて、彼等はピョンピョンと空中浮揚もどきで飛んでいたと噂された。麻原彰晃が飛び跳ねる前、阿含宗桐山靖雄の全盛期の事かと思う。
TMは高すぎると思ったので私は近づかなかった。ビートルズの収入の一割がどれだけのものか知らないが、大金持ちが一億円、二億円お布施しようと何の問題もない。ない人から搾り取るのは犯罪的である。

マハリシもご多分に漏れず脱税で強制調査されるというヘマはしでかしているが、概ね上手くやっている。女優ミア・ファーローとのセクハラ疑惑についても本人にしか分からない事だ。2008年、90歳でインドを離れてスイスで亡くなる。

あれから50年も経って今頃「趣味ビートルズ」になってしまった。漢字検定も英検もごめんだが、ビートルズ検定ならやってみたい。


参考文献
アジョイ・ボース著朝日順子訳藤本国彦解説『インドとビートルズ/シタール、ドラッグ&メディテーション』青土社、2023年。
池亀彩『インド残酷物語/世界一たくましい民』集英社新書、2021年。
ウィリアム・ダルリンプル著パロミタ友美訳『9の人生/現代インドの聖なるものを求めて』集英社新書、2021年。
戸川昌彦『聖者たちの国へ/ベンガルの宗教文化誌』NHKブックス、2008年。
  〃 『宗教に抗する聖者/ヒンドゥー教とイスラーム教を巡る「宗教」概念の再構築』世界思想社、2009年。
パルバティ・バウル著佐藤友美訳『大いなる魂の歌/インド遊行の吟遊詩人バウルの世界』バウルの響き制作実行委員会、2018年。
ラビンドラナート・タゴール著大西正幸訳『タゴール「少年時代」』めこん、2022年。
DVD 
監督アジョイ・ボース『ザ・ビートルズ・アンド・インディア』

河野亮仙 略歴

1953年生
1977年 京都大学文学部卒業(インド哲学史)
1979年~82年 バナーラス・ヒンドゥー大学文学部哲学科留学
1986年 大正大学文学部研究科博士課程後期単位取得満期退学
現在 大正大学非常勤講師、天台宗延命寺住職
専門 インド文化史、身体論

更新日:2023.02.17