河野亮仙の天竺舞技宇儀㊴

比丘の戒律と伎楽

お釈迦様はインド舞踊を踊ったか。宮廷には舞姫がいたはずで、戯れに真似をして踊ったことはあるだろう。しかし、果たしてそれをインド舞踊と呼んでいいのだろうか。ネパール舞踊なのか。インドという国もネパールもなかったので、マガダ踊り、コーサラ踊り、釈迦族舞踊?

インダス文明の遺物で踊り子像とされる像があるが、これをインド舞踊とわたしは認めない。インド舞踊らしき痕跡は紀元前後の彫刻に見られる。

仏伝『ラリタヴィスタラ』において、釈尊はあらゆる学芸、文字言語、武芸、スポーツ、占い、その他の技芸に秀でていたとされるが、それに先立つ馬鳴『仏所行讃/ブッダチャリタ』において、そこまで詳細に描かれる事はなかった。ラーマ王子の武勇伝ラーマーヤナを参考に、初期経典や律蔵に記された言葉を元にして、一生を歌い上げたものだ。

釈尊日記とか、弟子が行状記を著していれば良いのだが、当時、文字は使われていなかった。はっきりと分かるのはマウリア朝アショーカ柱の刻文(前3世紀)からである。アショーカ柱の上にある獅子像がインドの国章として紙幣やパスポートに刻まれているが、インド彫刻の歴史もそこから始まる。

お釈迦様の姿を図像で表そうという試みと、その生涯を文学や演劇で紹介しようというのは、ほぼ同時進行で紀元前後、ポスト・マウリヤ期に起きた事ではないのか。

馬鳴菩薩と伎楽

馬鳴菩薩ことアシュヴァゴーシャについては以前にも何回か触れた。仏典で舎衞城と呼ばれるシュラーヴァスティーのサーケータ出身といわれる。

クシャーナ朝のカニシカ王が中インドの国に攻め込んだとき、和議の代償、金貨3億枚の代わりに仏鉢とアシュヴァゴーシャがカニシカ王の下に渡ったと伝えられる。王室の顧問格である。ガンダーラやカシミールで2世紀前半頃に活躍した。摩訶迦葉に始まる法の継承において、パールシュヴァが第10祖、アシュヴァゴーシャに付法して第11祖とされる。曇曜の『付法蔵因縁伝』(5世紀)に次の逸話がある。

馬鳴は、元々、仏教の方から見れば外道で、バラモン教学に通じ、大変、賢く知識も豊富、弁舌が立ち、アートマンの実在を主張した。

一方、仏教側の富那奢(パールシュヴァ)尊者もまた、知恵深く博識で「諸法は空であり我アートマンはない」と主張した。「世間で我というものは仮にその名で呼んでいるだけで実在しない。皆それは空です」

馬鳴は論争を挑み、富那奢に負けたので、舌を切り、自殺しようとまで考えた。富那奢は「我々の宗教は慈悲を旨とするので、あなたの舌は切りません。剃髪してわたしの弟子にしましょう」といって神通力を見せた。巧みな方便をもって衆生を救い、なすべき事をなし終わって涅槃に入り、法を弟子の馬鳴に委ねた。

馬鳴は深遠な仏法、他を救う教えを広め外道の思想を退けた。小月氏国の王カニシカが仏教徒とそれ以外の沙門、他の学派の哲学者を集めて馬鳴に説法してもらった。説法を聞いて聴衆は悟りを開いた。また、引っ張ってきた馬まで、好物の草を食べずに聞き入って涙を流したというので馬鳴菩薩といわれた。それを超能力といっていいのか難しいところだが、第10祖のパールシュヴァは様々な奇瑞を見せたそうだ。法統を継いだ馬鳴にも神通力が期待されたに違いない。おそらくは占いにも通じていて、頼りにされた事であろう。

また、馬鳴がパータリプトラ(パトナ)に教化に来たとき、この都市の人々を導こうとして、頼噸啝羅(らいたわら)という素晴らしい伎楽を作って無常を説いた。すべての物事、この身も夢幻しであると。

この音楽を芸人に演奏させると音を外したので、馬鳴自身が俗人の服、白木綿の衣を着て自ら鉦鼓をならし、楽の調和を図った。哀調を帯び、雅趣豊で、音律は完璧となった。「諸法は苦であり、空であり、無我である」と歌うと、パータリプトラの王子500人が悟って出家した。国王は、民がこの音楽を聴いて皆、出家してしまう事を恐れて、この楽を禁止した。

一般に、比丘は歌舞音曲禁止と理解されているかもしれないが、これはどう理解したらよいのだろう。

比丘と伎楽

わたしが印哲にいたときの梵文学助教授が小林信彦。オヨヨ・シリーズ、「オヨヨ島の冒険」などで知られる演劇評論家の小林信彦とは別人である。若手研究者を集め「クシャーナ研究会」というのをやっていて、そのレジュメを大学卒業後に、時々、送って下さった。

その中に佐々木閑の比丘と伎楽に関する発表があり、後にまとめて『仏教史学研究』に論文を提出した。氏は律文献の研究者なのだが、NHKに出演して般若心経を説くなど、今、最も活躍している仏教学者だ。以下はその論考による。

ここでいう伎楽とは、日本に伝わった奈良平安の仮面劇とは関係がない。仏教行事に付随する音楽・舞踊のことを漢訳経典で伎楽と呼んだ。
https://tsunagaru-india.com/knowledge/河野亮仙の天竺舞技宇儀㉛/

平川彰は「仏塔崇拝に伴う伎楽供養に関しては、律蔵中に禁止規定があるため、部派仏教もこれを採用することはできなかった」と考えた。部派仏教、上座部において比丘は伎楽に関わらないはずなので、伎楽による仏塔供養は比丘以外のグループ、在家の運動を起源とする大乗仏教の特徴であるという説を唱えた。近年、この仏塔の供養をする集団が大乗仏教を起こしたという定説の見直しが行われている。

佐々木は律蔵諸文献中に見られる伎楽鑑賞に関する記述に注目して広範囲に調べ、次の3段階にまとめた。

1.「比丘は伎楽を見てはならない」という規定がまだなかった。(比丘尼の伎楽鑑賞は最初から禁止されている。)
2.第1段階の不備を訂正するため、後から禁止条項が挿入された。
3.仏陀供養のためなら伎楽鑑賞も許されるという特例が設けられた。

波羅堤木叉

はらだいもくしゃと読むがサンスクリットでpratimoksa、戒本とも呼ばれる。戒を列挙したもので布薩の儀式の際に唱える条項がある。その比丘、男の正式な出家者の波羅堤木叉に伎楽鑑賞の禁止は入ってない。比丘になる前の見習い僧は沙弥と呼ばれるが、沙弥の十戒の中には禁止事項として入っている。

沙弥の十戒は不殺生、不盗、不淫、不妄語、不飲酒、不非時食、不用高床大床、不受用金銀、伎楽鑑賞の禁止と塗香飾身の禁止であって、最後の2つは比丘の禁止事項とはなっていないのだ。

お昼を過ぎたら食べてはいけないとか、ベッドに寝ない、身を飾り立てないとかは仏教に限らず修行者のルールである。塗香というのは日本のお寺でも用いるが、浄めるために塗る。蚊除け虫除けの香料、消炎作用のあるウコンが中心だったのではないか。

歌舞が比丘に許されているのかどうか、少なくとも波羅堤木叉には書かれていない。ここに述べられる条項が戒の根本なので、変えるわけにはいかない。後に歌舞音曲を見に行ってはいけないという新しい細則が加えられるが、それは悪作罪という軽い罪に当たる。

比丘尼戒本の第79条には観看伎楽戒があり、「比丘尼行きて伎楽を観れば波逸堤(pacittiya)という罪になる」と書いてある。

比丘戒本の第37条には非時食戒、定められた時の外に食事をしてはならないとあるのだが、それには奇妙な注釈が付いている。経分別といって、禁止事項についてどうして制定されたのかを説明しているのだが、それを2つの話に分けて簡単に紹介する。

①ある時、仏が弟子たちと共に耆闍崛山(霊鷲山)におられた。その時、羅閲城で伎楽が行われるというので、難陀、跋難陀というハンサムな比丘も見に行った。周りの人が、おいおい二人の顔に見惚れてないで、お食事を差し上げなさい。食事を終え伎楽を観て夕暮れになって山に戻ってきた。
②迦留陀夷は日暮れに正装して、鉢をもって羅閲城に入り乞食をしたが真っ暗になってしまった。妊婦の家で食を乞うたのだが、食べ物を持って外へ出た時に稲妻が光り、比丘の顔をピカッと照らした。それが鬼に見えてしまって妊婦は流産した。沙門釈子はいくら空腹でも夜間に乞食するのはやめて下さいと怒られた。

この話の申し立てをサンガですると、3人を非難してどうして非時に食を得たり、伎楽を観たりするのかと叱責された。3人はお釈迦様の前に行って礼拝し、申し訳けをした。すると「沙門のすべきことではない。今後、伎楽を観てはならない、観たら突詰羅罪(軽い罪)である。もし、比丘が非時に食を受けて食べたら、波逸堤罪となる」

この2つの因縁譚、①伎楽鑑賞の禁止と②非時食の禁止は、佐々木の分析によると並列ではなく、なぜ非時食戒ができたのかという②の説明に、①伎楽を観るなという小さな規則が割り込んだ形になるという。波羅提木叉にない条文を勝手に追加する事はできないので、そうやって戒になかった事項の追加をして不備を補っている。①があるのは四分律の伝承だけである。

律文献にはしばしば比丘が伎楽を演じた事が記される。「根本薩婆多部律攝」には王舎城竹林園に仏がおられた時の話がある。大節会に歌管音楽が行われたが、楽人の1人がこうしたら面白いだろうと比丘の扮装で演奏に加わったら、これが評判になり大儲けした。

それを聞いた6人の比丘が、それなら我々自身が行えば、必ず施物が得られる、乞食に歩かなくてすむと、俗人の衣装で歌楽をしたところ、見物人が皆そこに集まった。

先の楽人達は比丘達に、それでは我々の稼ぎがなくなってしまうからと金品を渡した。ところが比丘達はそれでも音楽を続けた。

そこで仏は、比丘は歌舞を修学したり見に行ってはならないといった。そして、比丘が新しい衣を得たら、俗人と区別するため、青、泥色、赤に染めてから用いよといった。

ここでも波羅提木叉にある衣をもらったら地味な色に染めなさいという戒に、歌舞の禁止が割り込んでいる。どうも、比丘もまた音楽舞踊演劇を学び、「シャーリプトラ・プラカラナ/舎利弗と目連の帰依」のように、仏の一生やその一部を演劇化したと思われる。

詩作朗詠から、歌唱演奏まではあと半歩、そこからまた半歩で舞踊演劇となる。俗人と入り交じって演奏する事もしばしば行われ、それがまた、律の解釈で問題となった。

ハンサムなナンダ

馬鳴の詩として最もよく知られているのは「ブッダチャリタ/仏所行讃」で、カーリダーサに先駆ける詩文学として知られる。「サウンダラナンダ/端正なる難陀」はブッダの異母弟として知られるハンサムなナンダにまつわる出家の話である。霊鷲山から抜け出して伎楽を見に行ったあの難陀である。

難陀は諸根調伏第一と讃えられた。眼耳鼻舌身意を制御したという意味であるが、その由来はとても悲しい。

お釈迦様の母はマーヤー夫人で、産後七日後に亡くなられたので妹のパジャーパティーが育てた。その実子がナンダである。ということは、釈迦の国の後継者たるべき王子である。

ハンサムな王子ナンダと美女で誉れの高いスンダリー(美しい女という意味)はお似合いのカップルで、宮殿で仲睦まじく戯れていたのだった。カピラヴァストゥに戻ってきたお釈迦様は、お前は出家しなさいとナンダを連れ出して行った。ナンダはなんだなんだとひたすら泣いた。スンダリーもナンダを思い悲しんでその様子が美しい詩文体で語られる。

お釈迦様は神通力でナンダをヒマラヤに連れて行くと片目のつぶれた雌猿がいた。お釈迦様はいった。この猿とお前が結婚しようというという娘とどちらが美しいか。それは勿論、スンダリーであります。そこで今度は、天界に連れ出した。そこには天女アプサラスがいた。天女と婚約者とどちらが美しいか。それは勿論、天女です。天女と比べれば、スンダリーは雌猿です。

ナンダよ、これから修行すれば天界に上って、天女と結婚できるのだよ。出家して修行しなさい。かくしてナンダは感官を制御して修行に励んだ。やがて修行が進むと、天界に生まれ変わる事よりも解脱を目指して、さらに修行したのだった。

世俗的には美談というよりひどい話だが、世間での安定、快楽よりも、克己して苦楽を超え、最終的に解脱する事が肝要、無上の幸せという教訓である。

親族の多くが出家した釈迦族の国は、コーサラ国に滅ぼされてしまった。さいたま市や千葉県程度の国ではなく、お釈迦様は時空を超えた広大な仏の国の建設を夢見たのだ。

ラーシュトラパーラ・ナータカ

冒頭で紹介した馬鳴がパータリプトラ(現パトナはかつてのマウリヤ朝やグプタ朝の都)で、頼噸啝羅(らいたわら/ラーシュトラパーラ)という伎楽によって教化したという話は大正大蔵経巻1のNo. 68に「仏説頼?和羅経」として載っている。ラーシュトラパーラ(国を護る人という意味)を主人公とした戯曲ナータカがあったようだが、現存しない。

説法を聞いてラーシュトラパーラは出家を思い立ったが、父母が許さなかった。断食して父母の許しを得て、舎衞国で修行する。後に故国に帰って、父母や妻に、財宝が苦の元であると説き、国王を教化した。

馬鳴は「シャーリプトラ・プラカラナ」という舎利弗と目連の改宗と帰依を物語る戯曲を著し、その一部が発見されている。

カニシカ王にリクルートされた馬鳴であるが、マガダ国からも還俗して仕官しろといわれていたようだ。宮廷には少なからずの優秀な祭官、参謀のブラーマンや仏教僧が侍っていて、学術研究のほか、詩作や戯曲を書き、共同で演劇舞踊にも工夫を凝らしたと思われる。

馬鳴が歌うと500人の王子が出家したというが、それは釈迦の一族が次々と出家してコーサラ国に滅ぼされてしまった歴史を反映したのかもしれない。

天台大師の「摩訶止観」に頼?和羅妓を造るとの記述がある。無常、無我、苦と空を説いて、聞く者は道を悟り、五百王子が世をはかなんで出家したので、王は伎楽を禁止したと記されている。

天台声明にもその名の曲があり、インドでの作曲かどうかまでは分からないが、中国を経て伝わり、恵心僧都も「往生要集」で言及している。江戸時代になると覚秀が「魚山叢書」にこの声明曲を収録した。この曲の墨譜を伊勢西来寺の宗淵に託し、それを大原普賢院観海に授けた。長く行われていなかった曲を昭和48年に、天納傳中らが国立劇場で日本雅楽会と共に復元演奏した。

参考文献

天納傳中『天台声明』法蔵館、2000年。
佐々木閑「比丘と伎楽」『仏教史学研究』第34巻 第1号、1991年。
松濤誠廉『馬鳴 端正なる難陀』山喜房仏書林、1981年。

河野亮仙 略歴

1953年生
1977年 京都大学文学部卒業(インド哲学史)
1979年~82年 バナーラス・ヒンドゥー大学文学部哲学科留学
1986年 大正大学文学部研究科博士課程後期単位取得満期退学
現在 大正大学非常勤講師、天台宗延命寺住職
専門 インド文化史、身体論

更新日:2021.04.07