バナーラス風物詩(その8)
灯明祭(ディーワーリー)への準備
店員さんが苦労して並べているのは、ガネーシャ神とラクシュミー女神の像である。街角でこれらの像が売られ始めると、いよいよディーワーリー祭が近づいたことを感じ、心が浮き浮きする。北インドのガンジス川沿いは4月半ばから酷暑季が始まり、7月頃からの雨季を経て、10月頃からようやく安定した秋空が続くようになる。この季節は楽しいお祭りが目白押しだが、その中でもディーワーリー祭は格別で、ヒンドゥー教徒の正月と言われる。
この時期に合わせて、外壁や部屋の中を、ホワイトウォッシングといって、石膏製の薄い溶液で塗装し直したりする家も多い。バーザールには歳の市が立ち、翌年に使う食器などを購入すると財産をもたらす呼び水になると信じ、多くの人が街に繰り出す。大掃除が終わったら、祭壇にあらゆる障碍を除去してくれるガネーシャ神と富と幸運をもたらすラクシュミー女神の像を飾る。
この両神は聖天様と吉祥天として、仏教とともに日本にも到来したが、インドでは除厄と招福を司る神として最強のタッグを組んでいる。正月に祀られる日本の七福神のような役割りを、たった二神で担当しているのだから頼もしい限りだ。忘れてならないのは前日の夜、すなわち大晦日の行事で、日没後に家の入口やゴミ捨て場など暗くて不浄な場所に灯明を置いておく。これはヤマ(閻魔)の灯明と言って、ヤマへ畏敬の念を表すとともに死を遠ざける祈りが込められている。
ディーワーリーの大祭は、カールティカ月(カールティク月、10月中旬~11月中旬)の新月の夜にあたる。ディーワーリーという言葉は、サンスクリット語の「ディーパーヴァリー」(灯明の列)に由来する。神話によれば、ラーマが14年間の放浪の旅を終えて故郷アヨーディヤーの都に凱旋したのがこの夜だったので、人びとが皆灯明を掲げて昼のように明るくしてラーマの一行を出迎えたという。
現在ではイルミネーションを飾る家も多くなったが、私も留学中は下宿先の家族と玄関や屋上などに灯明の皿を並べ、花火を打ち上げたり、爆竹を鳴らしたりして、幸運を呼び込むお手伝いをした。翌日は秋の豊穣を祝うアンナクート(穀物の山)の祭礼、そのまた翌日はヤマが双子の妹に恩恵を与える神話にちなんだ兄妹の絆を強く確認する儀式と続き、5日間ににわたる祭礼が終了する。
元来ディーワーリーは昼の時間がもっとも短くなる冬至に行なわれていた新年祭と考えられる。別名ラクシュミー・プージャーと呼ばれるこの祭りは、光明の象徴である女神の恩恵に感謝し礼拝する儀礼であるが、それに混じって死の象徴であるヤマの影が見え隠れする。1年の終末、さらに新月の夜という光の空白状態のなかで近づいてくる死の恐怖に対して、人びとは灯明を掲げて何とかやり過ごし、新たな年に向かって踏み出すのである。
更新日:2023.08.01