インドの神さまは今日も大忙し Ⅱ(その6)

みんなに愛される象頭神ガネーシャ
シヴァ神とパールヴァティーのあいだには、ガネーシャとカールッティケーヤという息子がいる。二人とも出自が奇妙なのだが、とくにガネーシャは体は人間なのに頭が象という不思議な姿をしている。神話によれば、あるときパールヴァティーが体を洗っていると、そこにシヴァ神が急に帰ってきて恥ずかしい思いをした。それで、自分の体の垢を集めて人型を作り、命を吹き込んで浴室の見張りをさせたという。垢というとなにやら不潔な感じがするが、私は湯の花のことだろうと考えている。北インドのガルワール・ヒマーラヤの聖地には温泉が付随しているところが多い。シヴァ神を祀るケーダールナート寺院の近くにもガウリー・クンド(パールヴァティーの沐浴池)があって、私が訪れたときには熱すぎて入れなかったが、湯の花で溢れかえっていた。
さて、シヴァ神が外出から戻ると、見知らぬ青年が門番をしていて入室を断られた。眷属に命じて排除させようとしたが、次々に負かされてしまう。激怒したシヴァ神は自身で青年の首を刎ねて、遠くに投げ捨ててしまった。さて、部屋に入って二人分の食事が用意されているのを見たシヴァ神は、パールヴァティーにもう一つは誰の分かと訊いて、はじめて自分のしたことに気がついた。パールヴァティーが激怒したのは言うまでもない。そこでシヴァ神が眷属に、すぐに外に行って生き物の首を取ってこいと命じると、最初に出会ったのが象だったというわけである。
これはスタンダードな神話だが、ほかにもたくさんのヴァージョンがある。例えば、シヴァ神と妃パールヴァティーがヴィシュヌ神に祈りを捧げて子供を授かったので、その子を祝福しに多くの神がみが訪れた。しかしシャニ(土星神)は下を向いたままだった。というのも、シャニには見たものを破壊する呪いがかけられていたためである。そんなことを知らないパールヴァティーは、是非見てほしいと促した。シャニが目を向けるやいなや、子供の頭は破壊されてしまった。それで嘆き悲しむパールヴァティーのために、ヴィシュヌ神は霊鳥ガルダに乗って生き物探しに飛び立ち、川のほとりにいた象の頭を取ってもどり、子供の体に据えたという。
いずれも一見ユーモラスな神話なのだが、よく考えれば凄惨な話である。これはおそらく、シヴァ信仰の圏内に、部族民や先住民が恐れつつ敬っていた象神信仰を取り込もうとした結果なのである。こうしてシヴァ神とパールヴァティー女神の子供となった象頭神は、群れ(ガナ)の神(イーシャ)という意味のガネーシャと名付けられた。別名も多くて、ガナパティ(群れの主)、ヴィナーヤカ(統率者)、ヴィグネーシャ(障碍の破壊者)などがある。ガネーシャはその巨体に表されるように、あらゆる障碍を取り除く神である。それで商業を営む人たちからは富と幸運の神として絶大な崇敬を受け、またインドの二大叙事詩の一つ『マハーバーラタ』の筆記を手伝ったことから、学問と智慧の神としても敬われている。
ヒンドゥー教徒のあいだでは、何でもものごとを開始するときには、ガネーシャ神に祈りを捧げることになっている。聖典の本文が始まる前には、必ず「吉祥なるガネーシャ神に敬礼(きょうらい)します」(シュリー・ガネーシャーヤ・ナマハ)という真言が書かれていて、これから書く聖典がつつがなく書きおわれますようにという祈りが込められている。日常生活でも、「いただきます」の代わりに、「始めましょうか?」(シュリー・ガネーシュ・カレーン?)と軽く言ったりする。ガネーシュはサンスクリット語のガネーシャのヒンディー語の発音である。障碍を取り除いてくれる神なので、あらゆる商店の店頭にガネーシャの神像が飾られていて、毎朝お線香が炊かれお祈りされる。タクシーのダッシュボードにも置かれているが、巨象の神さまが守護してくれるのだから、事故を起こしても問題なかろう。
ガネーシャ神には誕生日がある。ヴィクラマ暦のバードラパダ月(8、9月頃)の黒半月第4日で、「ガネーシャ・チャトゥルティー」(ガネーシャ神の第4日)と呼ばれている。とくに西インドのマハーラーシュトラ州で盛んで、10日のあいだガネーシャ神の祭礼がつづき、そのあとその像を川や海に運んでいって流すのである。この祭りはインド独立運動が盛んだった20世紀初頭に、政治家のバール・ガンガーダル・ティラクによって政治キャンペーンとして始められたといわれるが、今では全インドに広まって祝われるようになった。
ガネーシャの図像には、4本の手に法螺貝や武器、あるいは蓮の花といった神さまの定番の持物のほかに、必ずお菓子(モーダカ)の積まれた皿が描かれている。正面には山盛りのお菓子も供えられていて、大食漢のガネーシャも満足げに見える。よく見ると片方の牙が折れている。普通は右の牙だが、たまに左だったり、どちらも折れていない図像もある。牙を失った由来はいくつかあるが、次のものが有名だ。『マハーバーラタ』の作者に帰せられる聖仙ヴィヤーサは物語を紡ぎ出すのに忙しかったので、ブラフマー神がガネーシャを遣わして、ヴィヤーサを補佐し口述筆記をさせた。そのときガネーシャは自ら右の牙を折り、その牙を使って筆記したとされる。
ほかにもよく知られた神話として、ヴィシュヌ神の化身の一人であるパラシュラーマ(斧を持つラーマ)との戦いの話がある。パラシュラーマがシヴァ神に授かった斧で攻撃してきたが、ガネーシャは父親のシヴァ神に敬意を表して反撃せず、うやうやしく打撃を受け止めたため、一本の牙が折れたというものである。実際に多くの象が成長する過程で、牙を失うことがあるのだろう。無敵のガネーシャ神といえども、完璧ななかに一点の弱みを持っているという、なんとも微笑ましいエピソードである。
更新日:2025.07.01