インドの神さまは今日も大忙し Ⅱ(その2)
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聖湖マーナサローワル
霊峰カイラースがヒンドゥー教徒にとって山岳信仰の頂点をなすように、聖湖マーナサローワルも、それと一対になって彼らの河川信仰の源泉をなしている。カイラース山から40~50キロ南に位置し、インド亜大陸を潤すガンジスやインダスなど四大河がこの湖の周辺から流れ出している。松本榮一さんに誘われてカイラース山とマーナサローワル湖の旅に出たのは、1992年の8月であった。同行した全8名のまとめ役は無類の旅好きの歴史学者色川大吉先生で、グループ名を日本西蔵聖山踏査隊とし、旅の途中で絶命しても異を唱えないという誓約書を提出しての、文字通り決死の旅であった。
私の役割りは、社会学者の上野千鶴子さんとともに、巡礼者の調査を行うことであった。外国人がインドからこの地に入るルートがなかったので、東京から空路で北京、成都経由でチベット自治区のラサに入ったのが8月3日。そこから四駆のランドクルーザー3台とテントや食料、燃料を積むトラック1台をチャーターして聖地に向かった。補佐をしてくれたのは、中国側の連絡官(リエゾン・オフィサー)、通訳、運転手、炊事係の8名である。カイラースまでの往路は、ラサから北に大きく迂回するチャンタン高原の道で、海抜4500メートルから5000メートルを超える空中の回廊のような道が続いた。
ロードマップはなく、NASA(アメリカ航空宇宙局)の衛星写真地図とコンパスが頼りで、一日数百キロ走っても、誰にも会わない日もあった。途中何度も雹に見舞われ、酸素が平地の半分という過酷な環境で、隊員のうち何人もが高山病に苦しめられるという旅であった。約20日後にカイラース山のベースキャンプ、海抜4200メートルのタルチェン(塔欽)に到着した。
眼前のカイラースは、岩壁に自然に刻まれた卍模様の亀裂があって、たいへん厳かであった。ヒンドゥー教の神話によれば、ここにはシヴァ神とその妃パールヴァティーが住み、シヴァ神は苦行に励んでいると考えられている。またその屹立する山容自体がシヴァ神の宇宙的根源力であるリンガ(男根)に似ているので、山自体がシヴァ神の御神体として祈りの対象になっている。またジャイナ教は、釈尊ブッダと同時代のマハーヴィーラによって開かれた宗教であるが、伝承では彼以前に23人の勝者(ジナ)と呼ばれる祖師がいたといわれ、その第一勝者リシャバがここで解脱を得て涅槃に入った場所とされる。
仏教では、5世紀の仏教哲学者ヴァスバンドゥ(世親)の手になる『アビダルマ倶舎論』のなかで、カイラースが香酔山(ガンダマーダナ)、マーナサローワルが無熱悩池(阿耨達池、アナヴァタプタ)と記されていて、この地域が古代インドの人びとの精神世界の中心と考えられていたことは間違いない。さらに、チベット仏教では、シヴァ神とパールヴァティーに対抗し、ここにはサンヴァラ系密教の守護神デムチョク(勝楽尊)が明妃ドルジェパーモ(金剛牝豚)とともに住んでいると伝えられている。
ヒンドゥー教徒、ジャイナ教徒、仏教徒は、カイラースを右繞(うにょう)するが、チベット古来の民間信仰であるポン教徒は、この山を開祖シェンラプ・ミボが天から降り立った地と崇め、左回りをする。このように、それぞれ信仰の仕方は異なるものの、カイラースは四宗教の複合的聖地として、すべてを受け入れ、凛としてそこに立っていた。そこにあるあらゆるものが聖性に満ちているのだ。
カイラース山の巡礼を終え、マーナサローワル湖にたどり着いた人々の表情には、自ずと微笑みが溢れる。この写真を撮った松本さんも、きっと安堵の微笑みを浮かべていたに相違ない。このあと私たちはヤルツァンポ川に沿って東に進み、ラサの手前でチベットに別れを告げ、ネパールのカトマンドゥに下った。この旅で、私は何かの力によって生かされていることを感じた。それがどんなものなのかは未だにわからないが。
更新日:2025.02.04