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インドの神さまは今日も大忙し Ⅱ(その10)

©Matsumoto Eiichi

天然痘を司る女神シータラー

旅先で病気になるほど恐ろしいことはない。まして衛生状態がいいとはお世辞にも言えないインドではなおさらである。どこに行けばお医者さんに診てもらえるのかわからないし、たどり着いたとしても言葉が通じなかったら適切な治療が受けられない。そんなこんなで不安はつのるばかり。仕方がないので薬局で市販の薬を買って、なんとか痛みをしのいで帰国の飛行機に滑り込むしかない。けれど、そこに住んでいる人はそうはいかない。病院は常に混んでいて、診察を受けるのに一日がかりということもある。薬代もばかにならない。結局、こんなことになるならもっと神さまのところへお参りしておけばよかったということになる。

写真は、聖地バナーラスを流れるガンジス川の岸辺、その中心のダシャーシュヴァメーダ・ガートに隣接するシータラー・ガートの主宰神であるシータラー女神である。大きな瞳はまっすぐにこちらを見つめている。華やかな赤い衣裳にたくさんの装飾品をまとった姿は、ほかの多くの女神の像にも見られるが、顔面の赤い肌の上にあらわれている黒い色はなにやら不吉な感じを漂わせている。そう、シータラー女神は天然痘を司る女神なのである。「司る」と書いたのは、この女神自身が天然痘をもたらす女神であると同時に、ふだんからこの女神に礼拝を捧げている人にとっては天然痘封じの女神であるという両義的な意味をもっているからである。

子どもに紅い発疹が出ると、おとなはマーあるいはマータージー(ともに母の意)が来たといって大騒ぎする。バリー・マー(大きい母)なら天然痘で、チョーティー・マー(小さい母)なら風疹というわけである。いずれの場合も薬のたぐいは一切用いない。女神に逆らうことになるというわけである。致死率が約20%から50%と非常に高く、運よく助かっても「あばた」と呼ばれる瘢痕が残る。私が留学した1978年にはほぼなくなっていて、1980年には世界保健機構(WHO)により根絶が宣言されたが、かなり多くの友人や知人が顔にあばたを残していた。

シータラー女神の祭礼はヴァイシャーク月(4月~5月)の黒半月第8日で、酷暑期に入るころである。疫病(最近は感染症と言うらしいが)は体力が奪われる酷暑期やそれに続く雨期に猛威を振るうので、それに先立つヴァイシャーク月前後数か月のそれぞれの黒半月第8日にも、この女神への参詣人は絶えない。シータラーとは冷たい者という意味で、高熱や発疹で苦しんでいる患者に寄り添い、少しでも冷気で辛さを耐えさせてあげようとする癒しの力を象徴している。神さまにはそれぞれ相棒のような仕える乗り物の動物がいるが、シータラー女神は暑熱によく耐える驢馬を従えている。

1970年代の話だが、海外旅行に行くときには、行く先の相手国が指定する予防接種を受ける必要があった。インド旅行の場合には、コレラ、腸チフス・パラチフス、A型肝炎などで、そのほか破傷風やポリオや狂犬病も念のため接種しておいた方がいいと言われた。それらの注射を時期をずらして打ってもらうので、出発の1、2か月前から準備しておく必要があった。接種を終えると、俗にイエローカードと呼ばれる「国際予防接種証明書」が発行されるので、旅行先の国に着くと、入国審査より前にそれを提示しなければならなかった。

そんなに予防をして行っても、罹る時には罹ってしまうのが病気である。私は幸い一過性の肝炎に罹ったくらいだが、私の留学生や旅行者仲間は、腸チフス、アメーバ赤痢、デング熱、肝炎、マラリア、結核、淋病と、バッタバッタと病に打ち取られた。狂犬に噛まれて、あわてて発症するまでの潜伏期間のあいだにワクチンを接種した友人もいる。それでも体内で免疫ができるまで何日かかるかも知れず、恐怖に震えていた。なにせ狂犬病発症後の致死率は100%なのだそうだ。さらにインド人の友人に広げると、ペスト、コレラ、破傷風に苦しめられた人もいる。2020年には新型コロナウイルスで亡くなった教授もいる。これほど多くの病気に囲まれて暮らさなければならないインドにいると、人びとがシータラー女神への参拝を欠かさないわけがよくわかる。女神の肌の黒い部分は、自分自身が罹患することで、人びとの痛みを引き受けた証(あかし)なのかも知れない。

文:© 宮本 久義(Hisayoshi Miyamoto)

写真:© 松本 榮一(Eiichi Matsumoto)

※文および写真の転載を禁じます。

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更新日:2025.12.01

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