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バナーラス風物詩(その11)

©Matsumoto Eiichi

カールティク月の満月祭

バナーラスの沐浴場の中心であるダシャーシュヴァメーダ・ガートから北に歩いて10分ほどのところにパンチガンガー・ガートがある。カールティク月の中旬に祝われるディーワーリーやダーラー・チャットの祭礼が終わり、秋の気配が一段と濃厚になる11月末ころ、カールティク月は最終日の満月を迎える。家で神さまに祈りを捧げたあと、人びとは灯明皿と灯芯と油の瓶を持ってパンチガンガー・ガートの岸辺に出て、階段に次々と灯明を並べていく。

満月のことをサンスクリット語やヒンディー語でプールニマーと言うが、カールティク・プールニマーはヒンドゥー教徒にとって特別の意味を持っている。この日は、神々がガンジスを称えるために天から降りてきてガンジスで沐浴し、祖先たちもこの明かりを頼りに地上に戻ってくると信じられているのだ。

私がバナーラスに住んでいた1970年代の終わりから80年代の半ばころのカールティク・プールニマーは、比較的静かな宗教行事であった。近隣のガートではこのような行事はなかったので、わざわざパンチガンガー・ガートまで足を延ばして灯明の列を見に行った。消えそうで消えない灯明を見つめていると、過ぎ去った時代を生きた祖先たちの人生が重ね合わさって浮かび上がる気がしたものだ。

しかし、である。誰が言ったか知らないが、古き良き時代とはよく言ったものだ。いまやこの宗教行事は昔の面影の片鱗もないほど、バナーラスでも最大のフェスティバルの一つに変貌した。夜空にはひっきりなしに花火が上がり、主要なすべてのガートに灯明が並べられ、どこも人々が押し寄せるまさにオーバーツーリズム状態になったのである。

名前も付けられた。いわく「神々のディーワーリー(デーヴ・ディーワーリー)」。ディーワーリーが庶民の祭りなら、その半月後の満月の夜は神々の祭りというわけである。これには仕掛け人がいたようで、1991年にダシャーシュヴァメーダ・ガートで始められたという話も伝わっている。私が留学から引き揚げて数年後に再訪したときには始まっていたので、おそらく時期的には確かであろう。

バナーラスは最近ヴィシュヴァナート寺院の周辺を大々的に整備して、巡礼者以外にも多くの観光客を呼ぼうとしている。私は以前、「つくられた宗教都市バナーラス」という文を書いたが、門前町の衆が考えることはただ一つ、集客である。私の生まれ育った浅草も例外ではない。ここ数十年のあいだに次々と新しいイヴェントが企画され、1981年には浅草サンバカーニバルも始まった。どんな形でもいい、人びとが集まってきて、そのうちの何人かが寺に詣でて手を合わせる。そうやって聖地は存続していくのである。


付記:「つくられた宗教都市バナーラス」は、補筆・改名して、宮本久義『ヒンドゥー聖地 思索の旅』(山川出版社、2003年)に所収。

文:宮本 久義(Hisayoshi Miyamoto)

写真:松本 榮一(Eiichi Matsumoto)

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更新日:2023.11.01

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