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バナーラス風物詩(その7)

©Matsumoto Eiichi

アゴーリー派の決断

ここはアゴーリー派の修道場キーナーラーム・アーシュラムである。アゴーリー、あるいはアゴーラと呼ばれる派は、カーパーリカ派の流れを汲み、髑髏杯で乞食をし、体を火葬場の灰で塗っている修行者の集団としてインドで最も恐れられている。というより悪名が高かった。17世紀初頭のキーナーラーム師がここにアーシュラムを開いてから、火葬場から運んできた人肉を喰らったり、酒を呑んだり、大麻を吸ったりと、考えられる限りの悪行をすることで、かえって功徳が積めるとされ、ヒンドゥーの黒い血脈を保ってきた。

私が留学していた40年ほど前は、山門の上の巨大な髑髏の像が道行く人々を睥睨していた。夕暮れ時には、中庭の大樹に集まった多くのカラスあるいは大蝙蝠がかまびすしく音をたてていたが、それは枝に肉を吊るし、人に嫌われる生き物への供養のためだと言われていた。しかし、アゴーリー派の内部で密かに修行法の大転換が進んでいたことを、人びとは知る由もなかった。

1951年、十代半ばの少年がここを訪れた。彼は当時の道場主にバガヴァーン・ラームと命名され、数々の奇蹟を起こすが、かえって師に疎まれたのか追放されてしまう。彼はインド各地を巡歴しながら修行を積み、のちにガンジス川の対岸に自らのアーシュラムを開設した。その中心はアーユルヴェーダを用いたハンセン病患者の施療院である。1998年には最も多くのハンセン病患者をケアしたとしてギネスブックに登録された。

そのころ、私の親友がバガヴァーン・ラーム師のもとを訪れた。巨大なトラをはべらせ、眼から文字通り眼光が放たれていたという。人知を超えるような圧倒的な呪力を持っていたにも関わらず、彼は肉食も飲酒も喫煙も自分の代で終わらせたいと願い、弟子たちにも厳しく禁じたという。釈尊ブッダが苦行の無益を悟り、苦行と修行を峻別したように、彼もまたアゴーリーの悪しき伝統を断ち切ったのである。

彼を追い出した大本山のキーナーラーム・アーシュラムも、彼の考えに従った。写真の中央で多くの在家信徒に囲まれているアーナンド師は元警察官だそうである。この穏やかな集まりの裏には、現代社会と向き合うアゴーリーの葛藤とそれを乗り越えた覚悟が見て取れる。

バナーラスは多くの伝統を抱えている。約3000年の歴史を誇る都市は、インドでも数少ない。滓のように溜まった重みに沈んでいく様は、まるでブラックホールのようだ。しかし、われわれが気付かぬうちに新陳代謝をとげるのも、またバナーラスのもつ計り知れない強さなのである。

文:宮本 久義(Hisayoshi Miyamoto)

写真:松本 榮一(Eiichi Matsumoto)

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更新日:2023.07.01

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