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バナーラス風物詩(その4)

©Matsumoto Eiichi

裸形の行者

バナーラスは劇場都市だ。普段の生活では見られない光景が街のあちこちで繰り広げられている。ここはガンジスの岸辺、背景の壁の上部はシヴァ神とパールヴァティー妃、それに息子の象頭神ガネーシャだ。その下にはヴィシュヌ神の化身ラーマ王子とスィーター妃を、ラーマの兄弟と猿の神様ハヌマーンが囲んでいる。その左右には、シルディーの聖者サイババとその生まれ変わりとされるサティヤ・サイババが描かれている。

まさに舞台はととのった。神々や聖者の書割(かきわり)の前で、千両役者のように裸で座っているのはシヴァ派の行者である。真ん中に立っている人もサフラン色の腰巻をまとっているので行者であることがわかる。行者は一般的にサンスクリット語のサードゥ(良い、善き人)に由来するサードゥかサードゥーと呼ばれるが、この人はその中でも、裸形で白い粉にまみれ、敷物の上に刀があることからシヴァ派のナーガー・バーバー(裸形の行者さま)であることがわかる。

8世紀にヴェーダーンタ学派の学僧であったシャンカラ師がダシャナーミー(10の名前を持つ者)という修道組織を創始したと言われている。以来、途中の系譜はあいまいな部分もあるが、現代にいたるまで多くの人を世俗の生活から出家遊行の道に誘ってきた。白い粉は本来は火葬場の灰であり、刀は中世にイスラームと対峙した時代のなごりで、彼は由緒正しき行者なのである。

しかし彼のたたずまいには何か違和感がある。敷物の上にはかなりのお布施が集まっている。沐浴を終えたらしい奇特な人物が身をかがめてお布施を挙げようとしているが、もしかしたら沐浴のあいだ履物の番をしてもらったことへのチップのように見えなくもない。それに一所不住の行者にしてはよく太っていて荷物が多過ぎである。でも厳しく追及するのはヤボである。過酷な修業をする者だけが行者ではない。このような乞食(こつじき)がいるからインドは楽しいのだ。

インドでは2500年ほど前から出家遊行の道を選ぶ人が出てきた。釈尊ブッダやジャイナ教のマハーヴィーラ、ヒンドゥー教のヤージュニャヴァルキヤなど、真理を究めたいと強く願う人たちである。しかしそのような高邁な理想に燃える人よりも、多くは人生に悩み、疲れ、患い、世俗生活を捨てる人だ。庶民は自分たちには到底できない修行をしてくれる人には尊崇の心をもって、そして疲れた人には慈悲の心から布施を与えてきた。

写真の行者がいつ頃どんな理由でこの道に入ったのかはわからない。しかし、与える人といただく人というインドが育んだ社会の安全装置を彼の存在は見事に体現しているのだ。

文:宮本 久義(Hisayoshi Miyamoto)

写真:松本 榮一(Eiichi Matsumoto)

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更新日:2023.04.01

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