インドの神さまは今日も大忙し Ⅱ(その9)

十二の光輝けるリンガ
人間が神さまの姿を想像することは恐れ多いことであった。ユダヤ教やイスラームは神の姿を想像すらしなかった。いや、想像の対象にしてはならないものだった。いわゆる偶像崇拝の禁止である。ヒンドゥー教や仏教でもいにしえの時代は像を作らなかったが、次第に法具や武具を手にした像が作られるようになった。信仰の対象をめぐる考えはかくも多様なのだが、それらのなかでもっとも特異といえるのがシヴァ神のリンガである。インドの寺院で最初に見た時には少し驚いたが、若い女性も何の恥じらいもためらいもなく、篤く敬っている姿には感動すら覚えたほどである。リンガは屹立した石製の男性器で、多くの場合はヨーニと呼ばれる女性器を大地の底から貫く姿をしている。となると、私たちは女神さまの胎内に包まれていると考えることもできる。
シヴァ神のリンガはほかの神さまや聖仙によってさまざまな祈願のために作られたものが多いが、今回の写真にある「十二の光輝けるリンガ」(ドヴァーダシャ・ジョーティルリンガ)は、自生(スヴァヤンブー)と言われる。「自生」とは「自ら顕現したもの」で、誰かが作ったのではない無始の存在であり、多数あるリンガのなかでも別格の尊崇を集めている。それらを祀るインドの東西南北に広がる十二の寺院はグループをなして、古来多くの巡礼者を集めてきた。
私が最初に参詣したのは南インドのラーメーシュヴァラム(タミルナード州)にあるラーマナータスワーミー寺院で、1971年の最初のインドへの旅の時である。「ヒンドゥー教徒以外入るべからず」という掲示を横に見て胎室に入り、暗いなかで多くの女性が御詠歌を唱えるのを聴いて、はじめてヒンドゥーの息吹に触れた。ここには叙事詩『ラーマーヤナ』の英雄ラーマが魔王ラーヴァナに打ち勝って凱旋した際に建立したリンガが祀られている。ラーヴァナは悪魔とはいえブラーフマン(バラモン)であったので、罪滅ぼしのためにシヴァ神を祈念したといわれる。ラーマが建立したリンガではあるが、なぜか自生といわれる。ここでは、たとえ最大の聖地バナーラス(ヴァーラーナスィー)へ巡礼しても、この聖地を訪れなければその巡礼は完遂したことにはならないといわれる。自分たちの聖地に何とか人を呼び込みたいと願う心理はどこも同じである。
悪魔ラーヴァナといえば、ラーマとの闘いの前の話だが、シヴァ神に捧げた苦行が認められてシヴァ神からリンガを自分の領地であるランカーまで運んでいってよいという恩恵を授けられた。しかし、途中で大地に降ろしたら、そこから動かなくなってしまうという条件が付けられた。案の定小便を催したので、たまたまそこにいた牛飼いに託したが、少年がリンガの重さに耐えられず、大地に降ろしてしまった。そこがインド東部のヴァイディヤナート寺院(ジャールカンド州)で、2013年に息子と訪れた。現在は、信徒がリンガの代わりに遠方のガンジスの岸辺で汲んだガンガーの聖水を入れた壺を天秤棒で担ぎ、何日もかけて寺院まで運んできてリンガに注ぐ祭礼で、全インドで有名になった。もちろん水壺を大地に付けずに運ぶのが決まりである。
十二の聖地のなかで最も有名なのは、私が1978年から7年間暮らしたバナーラスである。ここはシヴァ神が妃のパールヴァティーのためにもっとも美しい都を選んだとされる聖地で、その中心にヴィシュヴァナート(世界の主)寺院が鎮座する。聖地の外環をめぐる巡礼路は聖性の結界をなし、そのなかで死を迎えた者は即解脱が得られるという。たとえ重大な罪を犯した者でも、最期にシヴァ神がその者の耳に救済の真言(ターラカ・マントラ)をささやけば解脱できるというのだから、この聖地の人気が高まったのは当然である。バナーラスの大地はシヴァ神のトリシュール(三叉戟)の先端で支えられているので、世界還滅の日が到来してもここだけは沈まないと、バナーラスっ子は誇らしげに言う。それゆえ、聖典にあるように、石で足を砕いてでも、この地を離れてはならないのである。
バナーラスに匹敵する古都ウッジャイン(マディヤ・プラデーシュ州)には、シプラー川沿いにマハーカーレーシュヴァル寺院がある。偉大なる暗黒(カーラ)を司る神(大黒さま)という意味であるが、カーラは時間や死も表わすので、ここのリンガは死を司るヤマ(閻魔大王)の住む南を向いている。私の師がウッジャインのカーリダーサ・アカデミーの所長になった時、私も数か月お供してここに住んでいたが、よく寺院の朝の儀礼であるバスマ・アールティーに連れていかれた。バスマ(灰)はシヴァ信徒にとって特別にご利益のあるもので、それをプラサード(供物)として持ち帰るのが習わしになっている。
ウッジャインのすぐ南のオーンカーレーシュヴァル寺院(マディヤ・プラデーシュ州)には2度訪れた。ナルマダー川の中州にあり、サンスクリット語の聖音オーム 'ॐ' の地形をしているといわれる。45年前には深山幽谷に包まれた秘境の聖地であったが、15年ほど前に再訪した時には、巡礼バスが100台以上止まれる駐車場ができていたのには驚いた。さらにその西部には3つの聖地があり、2013年の春に訪れた。ビーマー川の源流近くにあるビーマーシャンカル寺院(マディヤ・プラデーシュ州)は、シヴァ神が悪魔トリプラを殺戮したところとして有名である。ナースィク近郊でゴーダーヴァリー川の源流に位置するトリアンバケーシュヴァル寺院(マハーラーシュトラ州)のリンガは、3つの団子状の突起になっていて、ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァの三柱の神が合祀された特別なリンガになっている。さらにエローラ石窟寺院のすぐそばにはグリシュネーシュヴァル寺院(マハーラーシュトラ州)がある。いずれもその土地の建築様式で建てられていて美しい。
インド北部のガルワール・ヒマーラヤ山中のケーダールナート寺院(海抜3583m、ウッタラーカンド州)には1989年の秋に訪れた。叙事詩『マハーバーラタ』の英雄5兄弟が、大戦争のあとの罪滅ぼしのために、シヴァ神の拝謁を願ってここに来たが、シヴァ神はそう簡単には許さないとして、牛の姿になって山中を逃げまわった。5兄弟がなおも追って来たので地中に潜ろうとしたところを、兄弟で一番の力持ちのビーマに捕まってしまった。この寺院のリンガが普通とは違って平たい三角錐の形をしているのは、牛の背の形なのだそうだ。
一つ一つの聖地を訪れたときのことを思い出しながら書いていたら長くなってしまった。残りの3つはまだ行っていない聖地である。ナーゲーシュヴァル(蛇を司る主)寺院(グジャラート州)のシヴァ神は蛇の毒などの危難から守ってくれる。マッリカールジュン寺院(アーンドラ・プラデーシュ州)は、十二の聖地の中で唯一シヴァとパールヴァティーが一緒に祀られている。そして、十二の聖地の巡拝順には決まりがないようだが、最古とされるのがグジャラート州のソームナート(月神)寺院である。まだ体が動けるうちに是非参詣したいものである。
更新日:2025.10.20