インドの神さまは今日も大忙し(その12)
ハヌマーン、薬草を採りにカイラース山までひとっ飛び
猿の将軍ハヌマーンが悪魔の城塞のあるランカー島の偵察を成功させたおかげで、ラーマ軍はいよいよ戦闘態勢に入った。しかし、そこで物語は思いがけない展開を見せる。ラーヴァナの弟であるヴィビーシャナがラーマ軍に寝返ったのである。弟は兄にラーマの本当の姿に気付き、敵対せずにスィーターをラーマに返すことを進言する。もちろんラーヴァナは弟の言葉を受け入れなかった。やむなく弟は対岸のラーマ軍のもとを訪れて、自らの身上と、置かれている立場をラーマに陳情し、受け入れを要請したのである。
猿の将軍たちは敵の総大将ラーヴァナの弟であるヴィビーシャナを仲間にすることにいったんは反対したが、心優しくすべてを見通すことのできるラーマが承認したので、以後は全幅の信頼をおくことになった。ヴィビーシャナがもたらした敵陣の情報は大いに役立ち、ラーマ軍は一挙にランカー島の城塞に攻め上った。これで一挙に勝利を獲得するかと思いきや、そう簡単な話ではなかった。ラーヴァナ軍の力は圧倒的だった。
その力の源泉をさぐるため、ラーヴァナのファミリー・ヒストリーを見てみよう。ラーヴァナはなんと世界創造神ブラフマーを曽祖父に持っていたのだ。さらに祖父はプラスティヤ、父はヴィヴァスヴァットという、由緒正しい血統のもとに生まれている。しかし、ラーヴァナにはクベーラという異母兄がいて、どうも由緒正しい流れはそちらの方にいってしまったらしい。ラーヴァナがクベーラを嫉妬し、クベーラが曽祖父から譲り受けたランカー島と飛行車を略奪してしまう話は前回書いたとおりである。
ラーヴァナには巨漢のクンバカルナと前述したヴィビーシャナの二人の弟と、シュールパナカーという妹がいる。クンバカルナはラーマ軍が襲来したときも、洞窟のなかで数か月も爆睡していて、部下たちが総出でたくさんの御馳走を用意して揺り起こすという、ユーモラスなキャラクターの持ち主である。妹はラーマがまだ森にいた時に、絶世の美女に変身してラーマに求婚するがもちろん拒否され、それではとラクシュマナに色目を使ったところ、潔癖な彼はシュールパナカーの鼻と耳を刀で削ぎ落して、魔女の正体をあからさまにしてしまう。彼女が兄のラーヴァナに仕返しを頼んだことが、この物語の発端になっている。
そして一番強力なのは、ラーヴァナの三人息子のうちの長男メーガナーダである。彼はブラフマー神から頂戴した超絶兵器を所持していて、インドラ神をも打ち負かしたので、それ以降は「インドラジット」(インドラの勝利者)として令名を馳せることとなった。ラーマ軍は隠れ身の術を使う彼に翻弄され、将兵たちに甚大な被害を被っただけでなく、ラクシュマナやラーマまでもが、瀕死の重傷を負ってしまう。無敵のはずのラーマ兄弟がどうして斃れたかといえば、ブラフマー神から特権を得ているラーヴァナやインドラジットに対抗することで、ブラフマー神に反旗を翻すことを恐れたためである。
神さまの世界にも政治の世界のように忖度があるとしたら少し悲しいが、この危難を奪回したのは何物も恐れないハヌマーンであった。そう、ハヌマーンこそ、ラーマ物語の影の主役と言っていい。瀕死のラーマやラクシュマナをはじめ、猿や熊の兵士が死屍累々となっている戦場で、ハヌマーンはようやく息を吹き返した長老ジャーンバヴァーンに呼ばれ、死者をもよみがえらせる薬草を採って来ることを命じられる。ハヌマーンは即座にヒマーラヤ目指して飛びあがり、黄金の山リシャバと霊峰カイラースのあいだにあるという薬草の山に到着した。
しかし、驚いた薬草たちは姿を引っ込め、また薬草の知識などまったく持っていなかったハヌマーンは、しかたなく薬草の山ごと引っこ抜いて、猛烈な勢いで帰路についた。今回の写真はその場面である。薬草の山を掲げたハヌマーンが、太陽の軌道に近づいたために全身が真赤に輝き、太陽がもう一つ現れたかのようだったという。救世主ハヌマーンの数ある武勲のなかで、もっとも輝いている姿を切り取ったこの写真は、私のお気に入りの一枚である。
追記:『ラーマーヤナ』の翻訳は、以下のものが読みやすい。
中村了昭訳『新訳 ラーマ―ヤナ』(全7巻)平凡社、2012-2013年
更新日:2024.12.09