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インドの神さまは今日も大忙し(その4)

©Matsumoto Eiichi

クリシュナ神はいたずら好き

ゴーピー(牧女)たちがヤムナー川の岸辺で衣服を脱いで沐浴していると、そのすきにクリシュナ神が衣服を盗んで木に登り、ちゃっかり裸を眺めているではないか。今も昔もこれはダメである。のぞき見などというレヴェルではない。正々堂々とした確信犯だ。彼女たちが精一杯からだを隠すようにして、衣服を返してほしいと懇願しているのに、クリシュナ神は知らんぷりをして横笛を吹いているのだ。

この情景の舞台となっているのは、デリーの南方約180キロのヴリンダーバン。仏教美術で有名なマトゥラーのすぐ近くの街で、ディズニーランドの類比で、バナーラスをシヴァランドというなら、ここはクリシュナ神のテーマパーク、まさに「クリシュナランド」なのだ。ヴリンダーバンの「バン」はサンスクリット語のヴァナ(森)のヒンディー語の発音だが、日本の森のイメージとはだいぶ違って、林や里山や田園のような感じである。クリシュナ神は幼少期から青年期にかけて、縦横無尽に山野を駆け巡り、不可思議な行動でまわりの人たちを驚かす。けれど、そのすべての行動には意味があるのだ。

そもそも、男女を問わず、全裸で沐浴することは『マヌ法典』(前200年~後200年)でも禁じられている。それは神の前でさえ羞恥心を持つべきであるという教えである。それを破ったのだから、ゴーピーたちが罰せられるのは当然である。しかし問題はそう単純ではない。彼女たちにとって、クリシュナは魅力満載のプレイボーイであるが、さらに各自の夫を差し終えて、彼女たち一人一人の配偶者であり、愛しの神だと考えられているのである。

意地悪なクリシュナは、彼女たちに向かって、水から出て衣服を取りに来なさいと言う。躊躇している彼女たちに対して、なぜ私の前でからだを隠すのか、と詰め寄る。そう、彼女たちの前にいる「クリシュナ」は本当は「クリシュナ神」なのだ。それに気付いたときに、はじめて神の前に、すなわち本来の配偶者の前に、すべてをさらけ出すことができる。いや、本当は彼女たちはすでに、自分たちの前にいるのが神であることを知っているのだ。

もう一歩踏み出せば、眼前のクリシュナがプレイボーイなどではなく、絶対的に帰依すべき神の御姿に見えてくるはずである。私たちの心がマーヤー(幻術)に捉えられているあいだは、心の平静状態はもとより、解脱など到底到達できない。そのような弱い私たちをクリシュナ神はリーラー(神威、遊戯)で救済してくれるのである。

樹上のクリシュナが衣服を隠された若い女性たちの裸を眺めているというエロティックなモティーフは、今でも民衆にたいへん人気がある。掲載した写真はインド東部のオディシャー(オリッサ)州のパタチットラ(布画)と呼ばれる民衆画で、この地の土産物として売られている。神さまが女性たちの裸を盗み見てニヤニヤするなんて「不適切にもほどがある」とお思いになるかも知れないが、実は迷いの多い日常世界から神的な境地に誘ってくれるたいへん深い意味を持った宗教画なのである。

文:宮本 久義(Hisayoshi Miyamoto)

写真:松本 榮一(Eiichi Matsumoto)

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更新日:2024.04.03

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