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インドの神さまは今日も大忙しⅢ(その1)

©Matsumoto Eiichi

聖牛はインドの宝

牛である。巨大である。北インドの聖地バナーラスの外環をめぐるパンチクローシー巡礼路にあるシヴァ神の寺院を守る聖牛である。牛はご存知の通りヒンドゥー教徒がこよなく愛し、崇拝する動物で、神さまと考えられている。古代に編纂されたヴェーダ聖典のなかで、すでに牛は聖なるものとして説かれているので、およそ3000年ものあいだ変わらずに崇拝されているわけである。シヴァ神に仕える牛は雄牛で、ナンディン(原語)あるいはナンディー(その主格・単数形)という名前がついていて、どちらで呼んでもさしつかえない。喜びにあふれた者という意味である。シヴァ神にお仕えできるのだから、幸せ者でないはずがない。人びとは牛を見れば触れにいく。そうして幸せのおすそ分けにあずかるのだ。

朱色に塗られているのは、神聖さを表わしている。以前この連載で書かせていただいた猿の神さまハヌマーンも鮮やかな朱色だった。ヒンドゥー教では辰砂(しんしゃ)と呼ばれるこの色が好まれ、修行者の衣であったり、額につける吉祥の印として使われたり、ホーリーという春の祭りにも色水にしてお互いに掛け合ったりする。辰砂は硫化水銀を主原料としているが、色粉になっているときには毒性がないので肌に触れても心配ない。

仏教僧の袈裟も、日本では高僧が着ける豪華絢爛なものもあるが、基本的には朱色や代赭色(たいしゃいろ:黄みがかった赤褐色)である。ちなみに、仏典ではこの衣を糞掃衣(ふんぞうえ)と呼んでいる。もとの言葉「パーンシュクーラ」は土や塵の盛り上がりというほどの意味で、「糞」や「掃」や「衣」の意味はないが、ゴミ捨て場から拾ってきた布をきれいに洗って綴り合せた衣は、無所有の証でもあり、漢訳仏典で中国人はよくぞここまで意を汲み取って訳したものだと感心するばかりである。袈裟という言葉「カーシャーヤ」もあるが、こちらは壊色(えじき)・混濁色という意味だそうで、そもそもこのような形の衣服が中国になかったので、これは音写で示されている。

牛に関しては、だいぶ昔のことであるが、私のサンスクリットのグルジーから聞いたたいそう興味深い話がある。バナーラスにあるサンスクリット大学の学位授与式だったか何かの行事のときに、学長が学生を前にして次のように問いかけた。昔の人は牛を食べていたと思うか、と。それを聞いた学生たちはパニックに襲われたそうである。日本人にとってはどうということはない話題だが、ヒンドゥー教徒にとっては、母なる牛という言葉があるくらいなので、絶対に触れてはいけないタブーの領域なのだ。しかし学長は学生を宥め、聖典を引用しつつ、それは事実であったことを諄々と説き聞かせたそうである。学問を追究するなら真実から眼をそらしてはいけないことを学長は諭したかったのであろう。

ヒンドゥー教徒がいつ頃から牛肉食をやめるのかははっきり言えない。ジャイナ教や仏教の不殺生の教えの影響もあるだろうが、クリシュナ神の台頭とも関係するかと思う。デリー南方のブラジュ地方の牛飼い少年であったクリシュナは、ヴェーダの神々の長インドラ神に対抗し、独自の信仰を広めていく。するとインドラ神が大雨を降らせたので、クリシュナはゴーヴァルダン(牛の増殖)山を指で持ち上げて、その下に村人を避難させた。インドラ神は根負けしてクリシュナ神の力を認めるが、それに従って牛の神格化も進んだのであろう。

私がバナーラスで暮らしていたとき、数軒先の路地に牛乳屋の家族が住んでいた。レスラーのような屈強な体格の兄弟が、牛と水牛を十数頭飼っていて、彼らの子供が近所に牛乳を配達してまわっていた。私は受け取ったら滅菌のためにすぐに煮沸して、チャーイを作って飲むが、昼頃までに消費できなかったものは、ダヒー(ヨーグルト)やパニール(ナチュラルチーズ)にしていた。夜明け前から容器を持って並んでいる人もいた。彼らは牛乳屋の人たちと和気あいあいと話しつつも、実は牛乳が水で薄められていないかと疑いの目を光らせていた。かけ引きができないと、インドではなかなか暮らせないのである。

乳製品にはダヒーやパニールのほかに、日本ではあまり聞いたことがないいろいろな種類のものがある。マラーイーは牛乳を加熱して浮き上がった膜の濃厚なクリームで、甘いことこの上ない。インドのお菓子(ミターイー)が甘いのはこのマラーイーのおかげである。ヨーグルトの上澄み液は、日本ではホエイ(乳清)というが、私の居たところではチャースと呼んでいた。ビタミンやミネラルが豊富で、シナモンやコショウを混ぜて飲んでいた。ヨーグルトに牛乳や水を混ぜ、砂糖か塩で味付けするラッシーは日本でも大人気だが、ラッスィー(lassī)という正しい発音が日本人には難しい。おまけに、縄や紐の意味のラッスィー(rassī)という言葉もあるので、「ラッスィー(rassī)を下さい」と注文しても、「うちには縄はないよ」とからかわれたりすることがある。

牛や水牛の糞(ゴーバル)も日常生活には欠かせない。刻んだ藁と混ぜて直径10~20㎝のパンケーキ状にして乾燥させたものは、燃料にもなるし、蚊遣り線香にもなる。貯蔵タンクを作れば、自宅で消費するくらいのバイオガスが取れる。食料から燃料まで、牛製品は余すところなく利用できるので、牛はカーボン・ニュートラル、すなわち温暖化ガス排出量実質ゼロに寄与する究極のエコ動物だと言える。

今回は聖牛から実際の牛についてとりとめなく書きてきたが、最後に水牛についてひと言書いておきたい。私はバナーラスに住みはじめた当初は牛乳を取っていたのだが、しばらくして水牛のミルクに替えた。代金は高かったが、水牛は栄養価も高く美味しかったからである。水牛はたいへん頭がよく、朝の搾乳が終わると、行列を作ってガンジスの川辺に向かって進んでいく。少年がちょっと指示を与えるだけで、あとは間違えずに目的地にたどり着く。そこで午後まで浅瀬に浸かって過ごしたあと、夕方にまた行列を作って帰って来る。その時間のことを、古代インドでは「ゴードゥーリヴェーラー」という。牛や水牛が歩くことで砂塵が立ち上がり、靄がかかったようになる時間という意味で、現在でもバナーラスの中心にあるゴードーリヤーという地名に残っている。牛がシヴァ神の乗り物なのに比べて、水牛はこんなに賢いのに恐ろしい閻魔大王の乗り物とされ、神さま扱いされないなんて、ちょっと可哀想な気がする。

文:© 宮本 久義(Hisayoshi Miyamoto)

写真:© 松本 榮一(Eiichi Matsumoto)

※文および写真の転載を禁じます。

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更新日:2026.01.01

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