河野亮仙の天竺舞技宇儀㉔
インドの演劇と舞踊
インドの語りについて述べているうちにジプシーの話になってしまった。この回は、第22回に続くインド演劇の話となる。
古代の演劇、サンスクリット劇の起源はリグ・ヴェーダに対話的な讃歌があり、古代祭式の中に茶番的な要素、身振り狂言によって呪術的効果を狙ったともいわれる。西洋の学者はギリシア劇の影響を指摘するが、どちらも仮説である。
インダス文明の遺跡、インド西部グジャラート州カッチのドーラビラー遺跡(紀元前2000年)には、三段の観客席を持つ、長さ280メートル、幅47メートルの広場があり、世界最古のスタジアムかと見られている。100メートル走が出来る広さだが、果たしてスポーツ競技が行われたのか、歌や踊りのパフォーマンスを行った祝祭空間か、それともバザールでござるか。
マケドニア出身のアレクサンドロス大王の10年に及ぶ東征により、紀元前4世紀末に強大なアケメネス朝ペルシアを滅ぼした。ペルシアの旧領とギリシア世界を合わせた大帝国を作り上げた。諸処に都市を築き移民してギリシア文化を残していった。ヒンドゥークシ山脈、カイバル峠を越えて五河川地方パンジャーブ(インダス川は5つの支流を持つ)に入った。ガンダーラ彫刻にギリシアの影響が認められるのはよく知られる。
アレキサンドロスの父フィリッポス2世は、前342年、マケドニア王家に哲人アリストテレスを迎えたので、彼はアレキサンドロスの家庭教師として知られる。というよりも、政治学、倫理学のみならず、地理学、生物学、民俗学から医学、あらゆる学問に通じた、王の指南役であった。
その頃、インド、パータリプトラ(現パトナ)を都としていたナンダ朝を滅ぼして、マウリヤ朝を開いたのはチャンドラグプタ(在位紀元前317~293年頃)である。時の名宰相がカウティリヤ(別名チャーナキヤ)、「実利論」を書いたとされる。
また、ギリシア人のメナンドロス王(紀元前2世紀後半に西北インドを統治していた)と仏教僧との対話「ミリンダ王の問い」もよく知られている。王はカーストを認めないコスモポリタンな性格を持つ仏教に帰依した。
クシャーナ朝
踊るを意味する語根√nrtから、演劇ナーティヤ、戯曲ナータカ、舞踊ヌリッタ、舞踊家ナタの語が作られる。現存の最も古い戯曲は、完本ではないが馬鳴作「シャーリプトラ・プラカラナ」、舎利弗と目連が釈迦に諭されて弟子となる仏教劇である。馬鳴はクシャーナ朝カニシカ王に重用されていた。
カニシカ王が中インドに進軍して勝利した時、馬鳴とブッダが用いた仏鉢と慈心鶏を得たと伝えられる。馬鳴アシュヴァゴーシャは、おそらく仏教や哲学、文芸のみならず、あらゆる事象に通じていて、アリストテレスやカウティリヤのように、王の良き相談役であったと思われる。
西北インドのクシャーナ朝はローマとの交易で栄え、カニシカ王によって金貨が作られた。カニシカ王はローマの金貨を鋳つぶして、新たに自分の姿を刻んだコインを鋳造した。
その金貨は約9.2グラムで純金95パーセント、ローマ金貨と同質同量であった。表面には王の肖像とギリシア語の銘があり、裏面にはイランの神々、ブッダやシヴァが描かれることもある。諸宗教を認めて多くの国と通商しようとの考えだろう。
シルクロードというと、東西に走る天山山脈北側のステップ路、中央のオアシス路、南海の海のシルクロードが知られているが、それらを縦断する南北のシルクロードと呼ぶべきものもある。
ヒンズークシ山脈を越える南北のルートは最も重要で、中央アジアの交易品が集まるサマルカンドなとのオアシス都市とインドの港をつないでいる。クシャーナ朝は内陸のシルクロードと海のシルクロードを結んで、膨大な利益を得て繁栄した。それにつれて、ガンダーラ地方が文化の中心ともなる。
クシャーナ(月氏)は中央アジアの遊牧民族で、インドとは異なる文化を持つ。帝王を神のように祀る文化があり、それが釈迦像を造形するという発想に至ったかと思われる。
ガンダーラの地でブッダが視覚化され、仏教自体もインド現地を離れるリノベーションを準備することによって、シルクロードを渡り、中央アジア、中国、日本という異なる風土に定着することが出来た。
それは、アメリカ黒人のロックンロールをイギリスのビートルズやローリング・ストーンズが消化して、ロックに改装したことによって世界中に広まったのと似ている。文化として捉えるとそういうことだ。
坊主になった方がいい
仏教は富裕な貿易商をスポンサーとし、こちらの方が待遇がいいとばかり、ブラーマンの優秀な学者たちが仏教サンガ、僧院に帰依する。
地方語で語られ、口承で伝わっていた仏説、経典が、紀元前後から白樺の皮などに記述されるようになり、仏教徒の共通語であったパーリ語に変わって、インド標準のサンスクリット語が仏教教団でも用いられるようになる。
経典が記述されるようになると、スートラといっても記憶のための要項ではなく、物語的に発展できるようになり、大乗仏教が興ってくる。法華経がその典型である。法華経がいつ成立したかも大問題だが、「シャーリプトラ・プラカラナ」の成立はそれに先立つ。馬鳴はカニシカ王の尊崇を受けた。王の即位についても、78年説から278年説まであり、2世紀初めの頃かと思われる。
1911年、リューデルスにより中央アジアのトゥルファン出土「シャーリプトラ・プラカラナ」の写本断片が発見された。戯曲の形で残っているが、この頃の演劇はおそらく口立てであっただろう。
馬鳴自身が台詞を語り演出したのではないか。役者はそれをそっくりそのまま覚えて演技する。後にも座長、演出家が暗誦している台詞、振り付けを役者に授ける。それが、インドという現場を離れて伝えるため、文字に書き起こされて中央アジアに伝わった。こういうことはサンクリット文学の本には書かれていない。わたしが初めて言う。
多くの経典も、ウォーキン・ディクショナリー、歩く経典、歩く律蔵たる僧侶自身が保持、暗誦していて、僧侶が移動できない場合、遠くへ持ち出すために初めて書き起こされたのではないか。
トリヴァンドラム劇
ケーララ州の寺附きカースト、すなわち、アンバラヴァーシー(アンバラは寺、寺に住む人の意)のチャーキヤールが保存していたバーサ作とされる戯曲13本が、ガナパティ・シャーストリーによって1909年に発見されて出版された。トリヴァンドラム劇と総称された。
これらすべてがバーサの手によるものかはいろいろ議論されている。馬鳴作とされる作品すべてが馬鳴によるものかどうかも分からない。権威のある名前を使って後世の作家、学者が語る。中村元の名を冠して弟子達が書いているようなものだ。
バーサは馬鳴とカーリダーサの間に位置するとされる4世紀頃の詩人だ。マハーバーラタに取材した一幕の戦記物数編はとても簡潔であり、演出のしがいがある。これらも口立で伝えられて、大分経ってからチャーキヤール達の手で写本に記されたのではないか。
アクションが重視される。また、サンスクリット語が皆に了解されるわけではないので、それがハスタ・ムドラーなどの発達する因になったと思われる。一方、カーリダーサの戯曲は長編であり、歌、詩節は高度な技巧が施されているので、学者といえども一聴して理解できるものではない。読むための戯曲になっている。
チャーキアールとはクーリヤーッタムの役者のカーストであり、ナンビヤールはその打楽器奏者のカースト。ナンビヤール家の妻、娘が女優となる。ユネスコは2001年5月18日、クーリヤーッタムが無形文化遺産であると宣言した。
30年ほど前は、彼等と毎年のように会っていたが、世界遺産になってからインドに行っていない。当時、若手の有望株だったマドゥがよく懐いていたが、今や、人間国宝級の役者である。これについて書き出すと長くなるので、また、稿を改めて書きたい。
インド演劇の約束事
インド古代の演劇については推測するしかないのだが、古典演劇書バラタ作とされる「ナーティヤ・シャーストラ」に規定が記述されている。おそらくは紀元前後から口頭で伝承されていた要項が、数百年を経てまとめられ、記述されてバラタの名を冠した書であろう。
1233年に成立した「教訓抄」によって、古代の伎楽を推測するようなもので、古代の演劇の実態は分からない。
現代に至るまで古典サンスクリット劇を伝承している唯一の伝統、世界最古の演劇といわれるケーララ州のクーリヤーッタムの伝承と「ナーティヤシャーストラ」の記述とは異なるので、紀元1、2世紀に行われていた演劇とも、また、異なっていたはずだ。観客はもともと地位や教養のある人に限られている。
詳しくはカーリダーサ作辻直四郎訳『シャクンタラー姫』の解説に「ナーティヤシャーストラ」が簡単に紹介されている。カタカリ舞踊劇は男性のみが舞い踊り、いわゆる女形が登場するが、演劇論の規定で基本的には男は男役、女が女役を演じる。仮面の使用は魔物などに限定的に行われる。
劇場の作り方には規定があるが、これも演劇書に書かれている規定と、クーリヤーッタムで用いられている劇場クータムバラとは仕様が異なる。座長、演出家はスートラダーラと呼ばれ、劇場を建築・設営する係でもあり、自ら出演する。舞台装置はお能のように簡素である。
クータムバラは寺院の境内に設けられる神楽殿のような劇場で、役者は寺院の本尊の方向に向かって演じる。すなわち、神に奉納する、神々を喜ばせるご法楽というのが本義で、観客はご相伴にあずかっていることになる。これは、ケーララの影絵人形劇でも同様だ。
俳優の衣装、装身具等も、役割や身分によって規定される。カタカリにおいても主役パッチャ、敵役カッティというように、それぞれ役柄によってメイクや衣装も決まりがある。
演技術アビナヤとして4種、しぐさ、身振りアーンギカ、情緒サートヴィカ、台詞ヴァーチカ、扮装アーハーリヤが挙げられる。インド舞踊にあるように、頭、顔、四肢、指の動きと意味が決められている。
サンスクリット劇は、ナーンディーと呼ばれる祝福の詩節から始まり、プラスターヴァナーと呼ばれる序幕が演じられる。それも現行クーリヤーッタムで行われているやり方とは異なる。
サンスクリット語劇
サンスクリット語劇というように、主役や王族、ブラーマン、大臣、将軍はサンスクリット語を話す。女王、尼僧、高級娼婦ガニカーも使う。サンスクリットは天界、神々の言葉である。従者等はそれぞれ役柄に応じたいくつかのプラークリット語、地方語、疑似田舎言葉を用いる。
クーリヤーッタムでは、道化ヴィドゥーシャカの役割が拡大される。王に付き従うブラーマンなので、本来、サンスクリット語を話すべきところ、プラークリットを話すという演劇論の規定なのだが、クーリヤーッタムにおいては現地語のマラヤーラム語を話し、古典雅語を通訳する役割を担い、自由に世情を風刺する。
サンスクリット語劇には創作もあるが、二大叙事詩に取材したもの、古来の説話に基づくものが多い。代表的なカーリダーサの戯曲はナータカで、古来の説話に取材する。ナータカの展開にも決まりがある。発端があり、解決のための努力をして、成功を希望し進展するが、葛藤があり頓挫し、最後は大団円となって目的を成就する。地方劇やインド映画も多くはそのパターンだ。
もっとも特徴的なのはラサの理論だ。恋情シュリンガーラ、憤激ラウドラ、勇気ヴィーラ、憎悪ビーヴァッツァ、滑稽ハースヤ、悲愴カルナ、奇異アドブタ、驚愕バヤーナカ、それに信愛バクティをくわえるとナヴァ・ラサ、ラサは9つになる。
ラサは味、エッセンスを意味する。バラタは第6章に詳述している。
ラサとは味わわれるもの。食通達が、種々の薬味で仕上げた食べ物を食べてその味を味わい、喜びなどに達するように、よき観客は、種々のバーヴァ(感情)やアビナヤ(演劇的表現)に表出された基本的感情を味わい、喜びなどに達するとある。
プラカラナは伝説の英雄達の物語ではなく作者の創作が基本。プラハサナと呼ばれる笑劇も一幕物の独白喜劇バーナ、一幕の戦記物ヴィヤーヨーガもある。笑劇「遊女上人バガヴァッドアッジュキーヤ」はクーリヤーッタムのレパートリーにあり、ヴィドゥーシャカの活躍はバーナ劇の影響があるといわれる。
各地方の舞踊と演劇
インド各地方に残された伝統的な演劇、ケーララのカタカリ、クーリヤーッタム始め、カルナータカのヤクシャガーナ、ベンガルのジャットラ、ベンガル、ビハールのチャウ・ダンス、マニプリーのラース、アッサムのバーオナー、グジャラート、ラージャスターンのバヴァーイー、マハーラーシュトラのタマーシャー、ウッタラプラデーシュのナウタンキーなどにインド古典劇の痕跡が残っている。
また、各地のデーヴァダシーが伝承している舞踊、祭りで催されるラース・リーラー、クリシュナ・リーラーを調査し、古典演劇書によって解析すると古典時代のインド演劇を再構成できるのではないかと考えた。
インドの大衆映画の成立に影響を与えたタマーシャーについては、今年に入って飯田玲子によって研究書が出版された。第21回には間に合わなかったが、小尾淳も宗教音楽についての研究書を出版した。どちらも博士論文が基となっている。出版不況の中でこのような好著が発表されるのは喜ばしいし、この分野における女性の若手研究者が増えたことも驚きである。
この2冊が森尻純夫『ヤクシャガーナ』と一緒に、池袋西武デパートの三省堂の棚にあるのを発見して、非常に驚いた。今般、大型書店に行ってもインド本はほとんど棚に並んでいないのが現状なのだ。インド好きの書店員さんがいるようだから、マークして下さい。
たまたま出てきたタマーシャーはこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=y58SxQ9Kjoo
ナウタンキー https://www.youtube.com/watch?v=sbcXcpM9Yjg
バヴァーイー https://www.youtube.com/watch?v=czuGUGioAfo
飯田がタマーシャーの踊り子を研究したいと相談すると、社会の周縁にいる低カーストで売春をしている、恐ろしい世界だからやめなさいと脅かされた。人さらいをするとかジプシーのように偏見の目で見られている。入ってみると他者を気遣うとても優しい人たちだったと交流が描かれている。
果たして大本から分かれたのか
19世紀に比較言語学が発達し、サンスクリット語、ギリシア語、ラテン語等々の印欧諸語が研究された。ヴェーダの古い言葉とアヴェスターの言葉が近いと、イラン語とサンスクリット語が分かれたのは4、5000年前である、その共通の言葉とギリシア語が分かれたのは何千年前と推測する。そのまた基になる印欧祖語があったのではないか。
すると、その言葉を話していた人たちはどこに住んでいたのであろうかと故地を探す。それは、南ロシアではないか、カスピ海、黒海の辺りではないか、北シリアではないかと様々な議論が交わされるが、勿論、結論は出ない。中には大まじめに、自分で印欧祖語というのを想定し、さらに、インドのジャータカ物語、ヒトーパデーシャ、イソップ物語など各国の民話を比較して、その元となる寓話を仮想祖語で書く学者まで現れる。
それと同じ様に、各地に散らばって残ったインド舞踊・演劇を集成して統合すれば、仮想のあるべきインド演劇、インド舞踊を構築出来るのではないか。それがカラークシェートラのバラタナーティヤム、バラタ国(インド)、あるいはバラタ仙のナーティヤム(舞踊)という企てではないか。
ルクミニー・デーヴィーの創立したカラークシェートラ(技芸の聖地)という学院の名前自体も、マハーバーラタに描かれるバラタ族の大戦が繰り広げられたクルクシェートラ(クル平原)に似ている。イギリスに対抗する猛烈な自国意識が感じられる。
参考文献
飯田玲子『インドにおける大衆芸能と都市文化/タマーシャーの踊り子による模倣と上演』ナカニシヤ出版、2020年。
小尾淳『近現代南インドのバラモンと賛歌 バクティから芸術、そして「文化資源」へ
』青弓社、2020年。
カーリダーサ作 辻直四郎訳『シャクンタラー姫』岩波文庫、1977年。
上村勝彦『インド古典演劇論における美的経験』東京大学東洋文化研究所報告、1990年。
河野亮仙『カタカリ万華鏡』平河出版社、1988年。
宮治昭・福山泰子『アジア仏教美術論集/南アジアⅠ』中央公論美術出版、2020年。
森尻純夫『歌舞劇ヤクシャガーナ』而立書房、2016年。
河野亮仙 略歴
1953年生
1977年 京都大学文学部卒業(インド哲学史)
1979年~82年 バナーラス・ヒンドゥー大学文学部哲学科留学
1986年 大正大学文学部研究科博士課程後期単位取得満期退学
現在 大正大学非常勤講師、天台宗延命寺住職
専門 インド文化史、身体論
更新日:2020.04.01