タゴール『子供時代』⑨

第6章

召使いの長は、ブロジェッショル。その下に仕える召使いの名前は、シャーム — ジョショル県 (1) 出身の、まったくの田舎者で、カルカッタ風の喋り方は、できなかった。「その方がた」を「そん方がた」、「あの方がた」を「あん方がた」、「食べなさい」を「食べなせえ」、「行きなさい」を「行きなせえ」、「ケツルアズキ」 (2) を「ケチルアズキ」、「イヌナツメのオムボル」 (3) を「イネナツメのアムボル」、と言った調子だった。ぼくのことを、愛情をこめて、「おばっちゃま」と呼んだものだ。真っ黒な肌、大きな両眼、油でてらてら光る長髪、がっしりした中背の体躯。性格に、厳しいところはまったくなく、心は真っ直ぐそのものだった。子供たちに対してはとても優しかった。

彼の口から、ぼくらは盗賊の話を聞くことができた。その頃は、ちょうどお化けに対する恐怖が人びとの心を支配していたように、どこの家も盗賊の話で持ちきりだった。今でも強盗事件は少なくない — 人殺しも傷害も強奪も起きるし、警察が犯人をつかまえないのも、昔と同じだ。でも、それは単なるニュースで、その中に「物語」の持つ面白味はない。その頃の盗賊の話は、次から次へと尾鰭がついて、人びとの口から口へ、長いこと伝わり続けた。ぼくらが生まれた頃には、まだ、若い頃盗賊の一団に加わっていたという人が、そこら中にいた。威風堂々とした棒術使いが、何人もの弟子を引き連れて、闊歩していた。そうした棒術使いの名前を聞いただけで、人びとは礼(サラーム)をしたものだ。当時の盗賊は、多くの場合、ただ単に人を殺したり物を盗んだりすることを、良しとはしなかった。その行いには、豪胆さとともに、寛大な心意気が見られた。いっぽう、良家の家庭にも、棒術によって棒術に立ち向かうための道場が設けられるようになった。名を成した棒術使いたちを、盗賊たちも大師(オスタード)と認め、彼らの領分を避けて通った。地主(ザミンダール)の多くは強盗を生業(なりわい)にしていた。こんな話を聞いたことがある — そうした地主のひとりが、盗賊の一団に、川の合流点で獲物の待ち伏せをさせていた。その日は新月、祭祀の夜、恐ろしい形相をしたカーリー母神に生贄を捧げるため、彼らが獲物の首を切って寺に運んで来た時、地主は額を叩いて自らの不運を嘆き、こう言ったそうだ、「おお、これは、わしの聟殿の首ではないか!」

他にも、盗賊ログ、盗賊ビシュの物語が、人口に膾炙(かいしゃ)していた。彼らは堂々と予告して強盗に入った、卑しい真似はしなかったのだ。彼らの雄叫びが遠くから響くと、住民は恐怖に戦き、その血は凍りついた。女たちに手出しすることは、彼らの間では禁じられていた。女の人がひとり、生贄の首切りのための刃を掲げたカーリー女神の姿をとり、盗賊たちから逆にお布施を巻き上げたことすらあった。

ぼくらの家で、ある日、盗賊の見世物が演じられた。どれもとてつもない巨体の、真っ黒な肌の若者たち、髪はすごく長かった。足踏み脱穀機にショールを巻きつけ、歯で噛んで支えると、その脱穀機を、頭上を越えて背中の方へと、放り投げてみせた。編んだ長髪に人間をぶら下げ、身体の回りをぐるぐる回転させた。長い棒を支えにして、二階に跳び上がった。一人の両腕の間の狭い空間を、鳥のようにすうっと通り抜けた。十里も離れた場所で強盗を働いた後、まるで何事もなかったかのように、その夜のうちに家に戻って寝ている、といったことが、どうやったら可能なのか、それも演じて見せた。とても大きな一対の棒の、それぞれの真ん中あたりに、横ざまに、足を載せるための木片が縛りつけてある。この棒を「ロンパ(竹馬)」と言う。両手でそれぞれの棒の先をつかみ、踏み台に足を載せて進めば、一歩進むのが十歩進むのと同じで、馬よりも速く走ることができる。強盗をすることを企んだわけではないけれど、ぼくは一時期、当時のシャンティニケトンの学生たちの間に、このロンパを操る訓練を広めようとしたことがあった。シャームが語る盗賊の話に、この時の演技のイメージをかぶせながら、何度ぼくは、夕闇の中、ドキドキする胸を、両腕でぎゅっと締めつけたことだろう。

日曜日はお休み。その前夜、外の南側の庭園の茂みの中では、コオロギが一斉に鳴いている。盗賊ログの話が始まる。巨きな影が部屋の壁に映り、灯りはチラチラ揺れ、胸のドキドキはおさまらない。次の日、休みで監視の目がないのをいいことに、駕籠の中に潜り込んだ。駕籠は、不動のまま動き始める — 架空の場所へ、物語の網に絡めとられた心に、恐怖を味わわせるために。ひそみかえった暗闇の血管の中を、駕籠舁きたちの「わっしょい、わっしょい」が、リズムに乗って響きわたり、ぼくの身体はぶるぶる震える。荒れ野は、見わたす限り人影がなく、陽にさらされた熱風が、吹き荒んでいる。はるか彼方、「カーリー池」の水はギラギラ光り、その白砂がチラチラ目に刺さる。池岸の水浴場の、あちこちひび割れた階段に覆いかぶさるように、ボダイジュモドキが、その枝枝をいっぱいに広げている。

物語の恐怖が、見知らぬ荒れ野の木蔭に、深い葦の茂みの中に、堆く潜んでいる。前に進めば進むほど、胸の震えはひどくなる。竹棒の先がいくつか、茂みの上に覗いている。駕籠舁きたちは、あの場所で、担ぐ肩を入れ替えるのだ。水を飲み、水で濡らした手拭いを、頭に巻く。とその時、不意に響きわたる雄叫び —

レーレー! レーレー! レーレー!

 

訳注

(注1)東ベンガル(現バングラデシュ)の南西部、西ベンガル州の北24パルガナス県に接する地域。
(注2)「ムグ・ダール」、ベンガルで最も一般的な豆の一つ。ダール(豆スープカレー)、キチュリ(豆・野菜入りの粥)等に使われる。
(注3)イヌナツメ(「クル」)は、4〜6mほどの低木、冬の終わりに、2センチほどの金茶色の実をつける。(西岡直樹『インド花綴り』による。)オムボルは、日に干したこの実に、ウコン、塩、黒糖を加えて煮た、甘酸っぱい味のスープ。

大西 正幸(おおにし まさゆき)

東京大学文学部(英語英米文学科)卒。オーストラリア国立大学にてPhD(言語学)取得。
1976~80年、インド(カルカッタとシャンティニケトン)で、ベンガル文学・口承文化、インド音楽を学ぶ。
ベンガル文学の翻訳に、タゴール『家と世界』(レグルス文庫)、モハッシェタ・デビ『ジャグモーハンの死』(めこん社)、タラションコル・ボンドパッダエ『船頭タリニ』(めこん社)など。現在、めこん社のホームページに、近現代短編小説の翻訳を連載中。
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更新日:2021.11.11