サタジット・レイ『ぼくが小さかった頃』①
2歳のサタジット・レイ
序文
子供の頃の、どの出来事が記憶にとどまり、どの出来事が永遠に心から消え去ってしまうか、誰も予め言うことはできない。覚えていたりいなかったりは、どんな決まりにも従おうとしない。「追憶」が謎めいているのは、こうした事情のためだ。5歳の時、私は、自分が生まれたゴルパル・ロード(北カルカッタ)の家を完全に後にして、ボバニプル(南カルカッタ)に移ることになった。この古い家から新しい家に移った日のことは、きれいさっぱり忘れてしまったくせに、ゴルパルに住んでいた時に、家の料理人だった女性バラモン(1) の息子ホレンをめぐる、ごくありきたりの夢を見たことは、今でもはっきり覚えているのだ。
私のこの回想記には、そういうわけで、たくさんの些細な出来事が語られている。有名人の話もあるにはあるが、それと並んで、普通の人の話がとても多い。普通の人と普通でない人の間の区別を、子供たちは、大人たちがするようにはしない。そのため、子供たちは、人と交わる時、あれこれ選り好みすることはないのだ。そうした折、子供たちは、必ずしもいつも、目上の人の判断に同意したり、それをそのまま受け入れたりはしない。
この回想記は、最初、月刊誌『ションデシュ』(2) の二つの号に分けて掲載された。その後、さらにいくつかの出来事や、何人かのことが思い出されたので、この本の中では、そうした出来事や人びとについても、紙面を割くことにした。
訳注
(注1)バラモン女性の、特に寡婦は、菜食の料理に慣れているため、裕福な家に料理人として雇われることが多かった。
(注2)著名な児童文学誌。サタジット・レイの祖父ウペンドロキショル・ラエチョウドゥリ(1863~1915)が1913年に創刊、父シュクマル・ラエ(1887~1923)が引き継いで一躍有名になった。父が若くして亡くなった後、その弟のシュビノエ・ラエの手で2年間刊行され、いったん休刊。1929年から再び約4年間刊行された後、廃刊状態が続いた。その後、1961年に、サタジット・レイ自身が共同編集者となって新しい形で出版を開始。レイ歿後も、現在に至るまで刊行が続いている。なお、雑誌の名前の「ションデシュ」は、ベンガルの子供たちに愛されている甘菓子の一種。煮詰めたミルクの上澄みに、砂糖を加え、固めて作られる。
大西 正幸(おおにし まさゆき)
東京大学文学部卒。オーストラリア国立大学にてPhD(言語学)取得。
1976~80年 インド(カルカッタとシャンティニケトン)で、ベンガル文学・口承文化、インド音楽を学ぶ。
ベンガル文学の翻訳に、タゴール『家と世界』(レグルス文庫)、モハッシェタ・デビ『ジャグモーハンの死』(めこん)、タラションコル・ボンドパッダエ『船頭タリニ』(めこん)など。 昨年、本HPに連載していたタゴールの回想記「子供時代」を、『少年時代』のタイトルで「めこん」より出版。
現在、「めこん」のHPに、ベンガル語近現代小説の翻訳を連載中。
更新日:2023.04.28