ガンディーの教育思想とGujarat Vidyapith

栗原 香織

 

皆さん、こんにちは。
今日は「ガンディーの教育思想とGujarat Vidyapith」 というテーマでお話をさせて頂きます。

■Gujarat Vidyapith

Gujarat Vidyapithは1920年にガンディーが設立した大学で、設立の背景には、ガンディーが1919年から展開していった非協力運動が大きく関わっています。

非協力運動の中で、ガンディーが重きを置いたことの一つに、イギリスが統治する高等教育をボイコットすることがありました。Vidyapithはガンディーの非協力運動の考えに共感して
大学を辞めた学生や教授たちの受け入れ先なっていきました。

Gujarat Vidyapith

ビデヤピートを設立するにあったてガンディーが掲げた理念はSa vidhya ya vimuktaye、直訳すると私たちを解放する知識、です。知識とは人類への奉仕に役立つ全ての訓練を意味していて、解放とは英国支配と自分の中にある人工的な欲望からの解放を意味しています。ガンディーは人類の奉仕を通じて、英国からの独立と自身の人工的な欲望から解放されること、これを成し遂げることが真の意味での学びなのだと言っています。

ガンディー 初代総長

この理念を具現化していくために、Vidyapithはサッティアグラヒのトレーニングセンターとして機能していました。その生活は11の誓い、Constructive Programme Satyagraha に基づき、まず学生と教授は寮で共同生活をします。11の誓いに基づいて自らを規律すること、Constructive Programme という社会奉仕活動に、率先して参加していくこと、そして国の独立のために非暴力運動、Satyagrahaに参加して、人々を率いていく人間になること。この3つがVidyapithの教育の目的でした。

そのためVidyapithの生活はガンディーが展開した社会運動と密接に連動していました。一番有名なのが1930年の塩の行進です。当時、Vidyapithの全ての教授・学生が塩の行進に参加をしたため、1935年までVidyapithは閉鎖されています。当時の学生や教授たちの回想録を読むと、この歴史的なサッティアグラハの経験から学ぶより貴重な学びはない、と書かれています。また、回想録には彼らがガンディーと一緒にインドの歴史を作っているという事への感動にあふれていて、読んでいるとこちらの胸も熱くなります。

■ガンディーの教育とは

ガンディーにとって教育とは、3H(Head,Hand,Heart :頭、心、手)を使った教育であり、文字の読み書きだけを重視した教育ではありませんでした。彼が教育を通じて目指したのは、社会や国のために奉仕できる人格形成でした。ガンディーにとって、Vidyapithは一人の人間を社会に役立つ人間に育てるための、教育の実験場でした。

私は2009年から2017年の終わりまでの約7年半、このビデヤピートでガンディー思想について学んできました。今日はガンディーの教育思想を私が留学していたGujarat Vidyapith での経験を元により具体的に理解することと、現代においてガンディー思想を学ぶ意義について考えたいと思います。

Gujarat Vidyapith の校庭にて 
生徒たちと一緒に(1925)

私は2009年から2017年の終わりまでの約7年半、このビデヤピートでガンディー思想について学んできました。今日はガンディーの教育思想を私が留学していたGujarat Vidyapith での経験を元により具体的に理解することと、現代においてガンディー思想を学ぶ意義について考えたいと思います。

■現代のVidyapith (私の留学経験より)

先に述べたようにガンディーの教育とは3H、つまり頭、手、心、人間の身体全てを使った教育です。この教育は現在のビデヤピートでも行われていて、アカデミック・トレーニングと肉体労働の両立を目指すカリキュラムが組まれています。具体的に私のビデヤピートでの生活を振り返ってみましょう。ビデヤピートは全寮制で、寮で共同生活をします。

【1日の流れ】
5:30 起床(爆音のベルの音でたたき起こされる)
5:45 身支度
6:00 お祈り
6:30 キャンパス内 or 寮のそうじ
7:00 nasta (水っぽいチャイかホットミルクの二択)
9:30 食事
11:00 お祈り&糸紬ぎ
12:00-14:00 講義
14:00‐15:00 おやつ時間 (5ルピーのPargie G か ムング豆の塩ゆで)
15:00‐17:00講義
19:00 お祈り
19:30 食事
22:00 就寝

6時半の掃除の時間に、マハ―カームと呼ばれる、学生が誰しも嫌がる労働があります。寮に生活する300人の学生のローティを10人で作るという労働です。一人で90枚位ローティを作らなくてはいけないので、かなり大変です。1日に3回、お祈りがあります。糸紬と掃除も毎日行います。
Vidyapithのユニークな特徴は、単位がかかった学期末の試験にあります。私たち学生にとって「最大の恐怖」だったその試験は、ガンディーが1920年にVidyapithを設立した時からある特別なルールによって行われます。それは、「実技試験に合格しないものは、筆記試験を受けることができない」というものです。

実技試験の内容は、
① 竹のほうきを20分以内に作ること
② サンスクリット語のマントラを暗唱すること
③ 30分で150タールの糸をつむぐこと

この3つでした。
お陰様で、私は糸紬のエキスパートになることが
できました!

糸紬をする栗原

■私のガンディー理解に大きな影響を与えた人  ‐ナーラーヤン・デサイ氏との出会い‐

私がガンディーを理解する上で、一番大きな影響を与えたのが、ナーラーヤン・デサイ氏との出会いでした。ナーラーヤン・デサイ氏はビデヤピートの大学総長をだった方で、ガンディーの第一秘書、マハデブ・デサイのご子息です。1924年に生まれて、アーメダバードのサッティアグラハ・アーシュラムで育ち、ガンディーの側近としてインド独立運動を支えた方です。ガンディー亡き後は、ビノバの土地解放運動にも参加して、ガンディー亡き後もガンディーが目指した社会を作るために活動を続けてきた方です。当時のグジャラートでガンディーを側近として知る唯一の人として知られていました。

ナーラーヤン・デサイ氏
(Sangamitra Desai撮影)

この方が私のガンディー理解に大きな影響を与えてくれました。私はインド留学中、1年の半分以上は大学の外で、ナーラーヤン先生と一緒に生活をしていて、先生の元でガンディーについて学んでいました。
ナーラーヤン先生の元でガンディーについて学ぶというのは具体的にいうと、一つはベルチというアディバシエリアにあるアーシュラムでの共同生活とガンディー・カタへナーラーヤン先生のアシスタントとして同行することでした。

私はナーラーヤン先生に初めてあった時に言われたことがあります。それは「本や論文ばかりを読んでいても、ガンディーのことをちゃんと理解することはできないよ。ビデヤピートの外に出て、いろんな経験をしながらそこから学びなさい」でした。そして先生は私がインド留学中、ずっと私を「本当のインド」を見せたり、経験しながら学ぶ機会を与えてくれたりして、私のガンディー理解を深めるためにサポートをしてくれていました。

■「本当のインド」を見たり、「経験しながら学ぶ」いうこと

「本当のインド」を見たり、「経験しながら学ぶ」いうことを具体的に、スライドの写真をご覧頂きながら
説明したいと思います。

カタに聞き入るアディバシの女性たち (栗原撮影)

デディヤパラでのガンディー・カタ(栗原撮影)

これは南グジャラートのデディヤパラというアディバシ、部族民の村で行われたガンディー・カタの様子の写真です。村は都市と違って周りには何もありません。

ガンディーの“I have believed and repeated times without number that India is to be found not in its few cities but in its 7,00,000 villages. “  という言葉を思い出す景色 (栗原撮影)

ガンディーカタは部族民の村や学校などにガンディーのメッセージを伝える活動で、ナーラーヤン先生とメンバー数名のチームで、5日間行われます。都会育ちの私にとって、電気や水が24時間供給されない村での生活は衝撃でした。村の方と一緒に、地べたに座って料理を作るという経験も生まれて初めてでした。

Bajri no rotroを作る村の女性(栗原撮影)

食事は全て地べたに座って作る(栗原撮影)

私はガンディー・カタでは、ナーラーヤン先生のアシスタントを任されていて、ナーラーヤン先生が朝おきてから夜寝るまでのスケジュール管理と体調管理、お客さんの対応、食事の管理、カタの当日の運営についての交渉などを担当していました。

ガンディーカタは、ガンディーのことをあまり知らない村人たちに、カタの運営に協力してもらうには、彼らからの信頼を勝ち得ないとできません。私が気後れして、ナーラーヤン先生の傍ばかりにくっついて村の人とコミュニケーションを取らないでいると、ナーラーヤン先生にすぐ怒られてしまっていました。ナーラーヤン先生は、

「私の所ばかりにいるんじゃない。ここにいる色んな人たちから学びなさい」と私に言い放って、村の人の輪に入っていくように指示します。私は気後れしながらも、しどろもどろなグジャラーティを話ながら、村の人とコミュニケーションを取って何とか輪の中に入れてもらえるよう努力をしなくてはなりませんでした。私にとって、このガンディーカタの経験は、新しい環境で、色んな人々と関係を作ったり、つながるためのスパルタ特訓になっていきました。

カタで歌う歌の練習(栗原撮影)

■ナーラーヤン先生とのアーシュラム生活

ナーラーヤン先生はガンディー亡き後、南グジャラートのベルチという場所にSampoona Kranti Vidyalay というガンディーの教育思想を実践するアーシュラムを設立しています。ナーラーヤン先生が存命中はこのVidyalayには世界各国からガンディー研究者がインタビューをしにやってきたり、インド各地の社会活動家が滞在をして、勉強会を開いたりしていました。
このアーシュラムでの生活は朝4時半に起きて、夜9時半に眠るまで、ナーラーヤン先生のアシスタントとしての仕事が次から次へと降り注いできて、非常に忙しい生活を送っていました。
Vidyalayで生活する間は、私は特別に毎日1時間、ナーラーヤン先生と議論を時間を頂いていました。そこでガンディーについての事、政治の話、私の将来についての事など、色々な事を話していました。

■ナーラーヤン先生の叱責

今でも、強く心に残っているのは私の将来についての話をした時の事です。先生から日本に戻ったらどうするのかという質問をされて、私は日本にガンディー思想を持ち帰って、広めたいです」と話すと、突然、先生からものすごく怒られました。

先生は「違う!私はガンディー思想を日本に持って帰って広めたい、じゃない!まずは君がガンディー思想を生きることだろ。君の人生にガンディーの思想がにじみでるようにならないと。」と怒りました。その時私は、ガンディーの思想は研究のトピックでもなく、お土産のように持ち帰るものでもなく、自分が実践するものだよなと深く反省したのを今も覚えています。

ナーラーヤン先生と私(Damuben Choudri 撮影)

■「人間ガンディー」の思い出に満ち溢れた日々

ナーラーヤン先生との生活では、ご飯を食べている時、糸紬の時間、夕方の散歩の時間、1日の生活の中のどんな時も、必ずガンディーの思い出話が出てきました。先生のお父様マハデブ・デサイ氏が亡くなった時、アガカーン・パレスでガンディーがマハデブ・デサイをしのんで涙した姿のこと、自分が小学校に行かないと決めた時、周囲の大人は猛反対した中で、ガンディーだけが自分の味方についてくれた時の事。ガンディーはマハートマではなく、自分にとって友達で、大ゲンカをした時の思い出話、などです。

先生との生活は、本を読んでいるだけではなかなか触れることのできない、「人間ガンディー」を身近に感じながらの生活でした。そしてまた、自分の頭と、心、手を最大限に使って経験から必死に吸収する濃い学の時間になりました。私はこんな貴重な経験を授けてくれたインドという国に心から感謝しています。
本当にありがとうございます。

■今、ガンディーを学ぶ意義とは

最後にガンディー生誕150年にあたり、現代においてガンディーを学ぶ意義について、私のインド留学中も、帰国後も、何度も聞かれた質問と一緒に考えてみたいと思います。

その質問は、「今の時代、ガンディーを学んで何か意味あるの?」 です。
意味は、あります。

私はガンディーの思想とは広い意味での暴力に苦しむ人々が、前を向いて生きることができる社会を作り出すためのもの、だと思っています。そのために一人一人が実験をして、実践をしていく思想です。何かを学んでも、頭だけで理解をして心がついていかずに行動に移せないのでは、意味がありません。ガンディーの思想を学ぶという事は、自分を社会に役立てる人間に変えるにはどうすればよいのかを学ぶことです。これを学ぶことなしに、新しい社会を作ることはできないと思います。

では、「ガンディーの思想を実践する、自分を社会に役立てるために変える」のは、具体的にどうすることなのでしょうか?この点についてナーラーヤン先生から頂いたヒントを皆さんに共有させて頂きたいと思います。これはナーラーヤン先生がガンディーと一緒に活動していった中で見つけた秘訣だそうです。

■自分を社会に役立てていくために

まずは、社会の様々な問題に対して、自分がどうしたら役立てるかを考えること。そして、自分がいる場所で、自分ができることから始めることです。そしてまず、人々の協力を仰ぐこと。次に行動に移したことを形にして、前例を作っていくこと。そして自分の活動に関しての情報を人々に共有し続けること。さらに自分がやっていることに自信を持つこと、です。

それでも、行動をしていく中で、様々な困難に直面するときがあると思います。その時は、ガンディーと、自分の力と、協力してくれる仲間の力を信じて、自分が始めた活動を続けていくこと。そうすれば、カメのようにのろのろとではありますが、きっと少しずつ何かが変わっていくはずです。

■ガンディー思想を学び、帰国した今

私は現在、ナーラーヤン先生から頂いたこの3つのヒントを軸に、友人が立ち上げた社団法人で理事として活動をしています。メディエーションという話し合いによって、
地域のもめごとを解決しようとする活動に従事しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私以外、特にガンディーに興味がある人が集まっている訳ではありません。活動の中に、ガンディーの名前も出てきません。しかし、人々の日々の暮らしの中に生じる些細なもめごとを話し合いで解決するという活動の中身は、ガンディーが目指した非暴力に基づいた社会の構築という部分に、根っこの部分で通じていると思っています。私たちの活動は、始まったばかりで前途多難ですが、私は、ガンディーと、自分と、仲間の力を信じていれば、どんな困難も乗り越えられると考えています。どうか皆さんも是非、私たちに力を貸して頂けたら嬉しいです。

本日はありがとうございました!

 

栗原 香織(くりはら かおり)氏 略歴

2004年 大学卒業
2004年~2009年 会社員として勤務
2009年~2017年 Gujarat Vidyapith Department of Gandhian Philosophy に留学

更新日:2019.10.25