『インド巡礼1080日—椎野能敬遺稿集—』という本を頂いた/松本榮一
松本 榮一
『インド巡礼1080日—椎野能敬遺稿集—』という本を頂きました。昭和60年発行の本ですから古い本です。
この本の著者、椎野能敬さんはインドで客死した旅の僧侶です。インド各地の仏教遺跡を十数年に渡って調べていた旅の僧侶でした。最後はインド・ビハール州の小さな駅チャッカルダルプールで亡くなりました。1982年の10月のことでした。享年39歳でした。
普通、調査というと大学に所属して、文科省から科研費をもらって、教授のもとに何人かで行います。しかし椎野さんはほとんど無一文で、インドの仏教遺跡を一人で調査していました。それは調査というよりも私には求道のように思えました。
実は私は生前の椎野さんとお会いしていました。1974年に二度目の渡印を果たした椎野さんとインド・ブッダガヤの尼連禅河の辺りで話をしたことを今も鮮明に思い出します。椎野さんは旅の思いを熱く語っていました。
椎野さんは千葉県東金市で生まれました。父は法華宗の元福寺で住職をしていましたが、早く亡くなり、母が後をついで住職となり、その母も亡くなり、椎野さんが住職を継いだのでした。そんな生い立ちも影響したのでしょうか、仏教書の読誦三昧の生活の後、1968年、25才のときに最初のインドへの旅に出ます。それからの椎野さんは何度か帰国はするのですが、常に心はインド、仏跡に向いているようでした。
改めて、1080日に及ぶ椎野さんの巡礼者のような旅の記録を読み返してみると、驚くような綿密な調査活動をやり遂げていたのだということがよくわかります。一人で超人的な仕事をしていました。今日まで伝わる椎野さんの仕事の第一は、摩訶迦葉・マハー・カシャーパの入定した鶏足山はガヤーの南東にあるグルパ山であると特定したことでしょう。
「わたしはすでにグルパ山の麓で この山が鶏足山であると信じていましたが、大岩石の割れ目をくぐって、このお山が鶏足山であると確信しました」とこの本のなかで語っています。
マハー・カシャーパは仏陀の仏教教団サンガで一番の高弟と言われた人です。仏陀の亡くなった後の教団を統率して、最初の経典編纂会議・結集を主宰しました。今日の経典の元を作った人です。そして最後に一人で鶏足山に入っていって入定したと伝えられています。
経典に載っている鶏足山はインドのどの山であるかは仏教徒にとって大きな問題でしたが、椎野さんはこの山をグルパ山であると特定したのです。いま鶏足山はラダック出身のアーナンダ師に引き継がれ石段も整備され登りやすくなりました。それでもこの山は相当な難所です、私が登ったときには土地の人が引っ張り上げるように介添してくれました。
山頂で私はこの山で消えてしまったマハー・カシャーパの姿が現れないかと思わずさがしていました。高野山の弘法大師のように、マハー・カシャーパは仏教徒にとって不滅の存在です。
椎野さんが書いた、この本はいくつかの遺跡調査の章に分かれて書かれています。朝日新聞におられた福田徳郎さんと一緒に行く予定だった南インドの補陀落山調査は、彼が亡くなってしまったために予備調査だけに終わりましたが、実施されていたら素晴らしい成果を生んだことでしょう。仏陀がお亡くなりになったクシナガラや城跡のカピラヴァストゥなど、仏陀の生い立ちや亡くなるときの伝説と史実の調査がたくさん項目に上がっていました。
もう少し長く生きていたら達成したであろう、これらの仕事は後の私達が継いでいくでしょう。
継いでいくといえば、シャンティニケタンの牧野先生もこの本に一文を寄せておられます。この大学で教鞭をとることになった奈良康明先生との出会いを椎野さんは大変楽しみにしていたようです。奈良先生から学びたいと思っていたようです。しかし二人は会うことは出来ませんでした。ビハール州の南端の駅の列車の中で亡くなっていたからです。
椎野能敬さんの心を呈してインド仏教の記録を継いでいきたいと思います。その意味で椎野能敬さんは私たちにとって不滅の存在です。
写真撮影:福田徳郎氏
松本榮一の主な仕事eiichim@gmail.com
*写真集『インド』全三巻、『西蔵』全三巻、共に毎日コミュニケーションズ刊
*東北大学西蔵学術登山隊学術班に参加してチベットを縦断。小学館より写真集『極限の高地 チベット世界』として発表
*平山郁夫画伯、堤清二氏などと共にアンコールワット修復日本委員会に参加。取材撮影を行い『アンコール・ワットへの旅』講談社刊
*チベットの聖地カイラースを色川大吉氏、上野千鶴子氏などと共に旅行し、写真集『KAILAS チベット聖地巡礼』にまとめる
*多田等観請来の仏伝図を撮影し、豪華本『釈尊絵伝』学研刊
*インド・ラジャスターン州の染織を取材する
*NHKの大型企画NHKスペシャル『ブッダ』取材に参加する
*写真集『祈りのブッダ』奈良康明先生と共著
*松原哲明師と共著の写真集『三蔵法師の道』河出書房新社
*『聞き書きダライ・ラマの言葉』NHK新書
更新日:2018.05.25