3. Incredible India—3人のインド人女性
Three Incredible Women in India

立教大学法学部教授竹中千春(日印協会理事)

大学で国際政治の授業を担当しつつインドの政治や歴史を研究して、はや40年以上になるが、未だに「インド学」をマスターしたとは言い難い。インドはあまりにも奥深く、多様で、長い歴史を誇る国だからだ。そして、古に伝えられた仏教の言葉は多くの人々の魂を潤してきたに違いないが、「開眼」という語は私とインドの関係を捉えている。ダイナミックに変貌しつつ永遠の悠久さを備えたインドとそこに暮らす人々は、私の狭い常識を揺さぶり、新鮮な世界観に開眼させ続けている。以下では、そうしたインドへの感謝を込めて、私の人生に衝撃を与えてくれた3人のインド人女性との出会いを綴ってみたいと思う。

1. 女盗賊プーラン・デーヴィーとの出会い

2010年に有志舎から刊行してもらった『盗賊のインド史—帝国・国家・無法者』は、過分な評価をいただき大平正芳記念賞を受けたが、本書の真の主人公は女盗賊プーラン・デーヴィー(PhoolanDevi)であった。きっかけは、インド政府留学生としてデリー大学に留学した1980-81年に遡る。ジャナタ政権が下野し、インド国民会議派のインディラ・ガンディーが政権を復活した頃だ。「プーラン逃亡」「盗賊団と警察隊の衝突」という見出しが、日々の新聞を飾り、「盗賊」を指す「ダコイト(dacoit)」の語や盗賊の跋扈する現実に、心底驚いた。

彼女は1983年にマディヤ・プラデーシュ(MP)州で警察に投降し、グワリオール刑務所に収監された。彼女によれば、強力な女性首相インディラ・ガンディーと直に談判したというが、投降の舞台には「盗賊の女王」を一目見ようと大勢の人々が集まった。日本でもプーランについての訳書や本が出されたが、1996年には彼女が国会議員に転じて世を驚かせた。ウッタル・プラデーシュ(UP)州政権を握る社会党党首ムラヤムシン・ヤーダブが彼女を釈放し、総選挙で候補者に擁立したのである。同州ではインド人民党、社会党、大衆社会党が、地主や商人などの座を占めてきた上層カーストの人々、「他の後進諸階級(OBC)」と呼ばれる農民層、差別されてきたダリットの支持基盤を土台に激しく争っていた。プーランはヴァラーナシに近いミルザプール選挙区で、強力な社会党候補として他党を破ったのである。

 

ニューデリーのプーラン・デーヴィーの議員宿舎。2001年2月(竹中撮影)

私がプーラン・デーヴィーに会ったのは2000年2月である。1996-98年ジャナタ系の連合政権下で与党議員を務めた後、1998年総選挙では落選し、翌年の総選挙で返り咲いていた。日本経済新聞のデリー支局に務めていたインド人女性が、プーランとの約束を取り付けてくれた。面会当日、プーランは場所と時間を何度も変更し、夜10時頃ようやくニューデリーの彼女の家で面会を許してくれた。人民党政権は護衛を付けてくれないとこぼしつつ、アラファト議長さながらに刻々と居場所を変えていたのである。

翌年2月には彼女の議員事務所で再会した。党のお目付け役がいたが、国際女性デーにはアッサムで講演してくれと依頼する女性教授や、夫のDVから逃げてきたというビハール出身の女性がいて、なかなか興味深かった。数日後、プーランの勧めで彼女の故郷に向かった。工業都市カンプールからデコボコ道を車で6時間ほど行った、ジャムナ川沿いの村にある質素な泥の家で、しっかり者のお母さんと学校の制服を着た元気な甥と姪に会った。彼女を主人公にした映画にも出てきた「盗賊地帯」の風景に奇妙な感動を覚えながらデリーに戻ったが、最新号のIndia Todayには、前年にこの地域で数千人の人々が身代金のために誘拐され、殺された人も多いという記事が掲載されていて、肝を冷やした記憶がある。

 

プーランの村の家の前でお母さん、甥御さん、姪御さん。2001年3月(同左)

プーランの人生は波乱万丈だ。生年は定かではなく、11歳ころ嫁入りし、夫の迫害に逃げ出し、盗賊団に拉致された。夫とプーランの叔父の仕業だとされる。盗賊団の首領はプーランを無理やり愛人にしたが、恋仲になった同じ盗賊団の若者と逃げたプーランは、自らの盗賊団を結成する。自分を虐めた人々の村を襲って、20名以上を殺害する強盗の容疑で警察に追われ、数年後に投降した。しかし、出会った彼女は私とほぼ同年代で、率直で賢く明るい女性。学校には通ったことがなく読み書きはできないが、デリー大学で学ぶ青年を養子にしていた。教育は大事だ、女性は強くなるべきだ。差別はいけない、村に工場を立てて農民を雇うべきだ。核兵器は正しい、私も男ならカシミールで戦うなどと語る。矛盾に満ちながら、パワフルな女性だった。

イギリスの歴史家ホブズボームは、近代国家が形成され市場経済が浸透する変動期に「社会的盗賊」が民衆英雄として登場すると論じた。地元の権力者である地主や金貸しに報復し、国家権力と戦い、貧しい人々に金品を分け与える。ドゥルガー女神やカーリー女神のように、正義の鉄槌を下す女盗賊プーラン。だが、政府や富裕な人々にとっては、極悪非道の犯罪者だ。私の出会った4か月後、彼女はデリーの議員宿舎前で凶弾に倒れた。

プーランは日本人を尊敬していたと思う。その理由は、議員時代に京都精華大学などに招かれた経験があったからである。自分が平等に尊敬をもって歓待された仏教国こそが、日本だった。だからこそ、私にも会ってくれたのだろう。アンベートカルの教えに従って仏教徒になったと彼女は力説し、シッキム産のお茶と仏の座像を贈ってくれた。今も大学の研究室に置いたこの像を見るたびに、彼女の笑顔を思い出す。

2001年7月プーラン・デーヴィー暗殺直後のIndia Todayの表紙

2. 女性の自立と助け合いをめざし、NGOヴァナンガナを設立したマダヴィ・ククレジャ

二人目は、UP州南部のチトラクット県で女性NGOのヴァナンガナ(Vanangana)を設立したマダヴィ・ククレジャ(Madhavi Kuckreja)さんだ。彼女も豪傑だ。「一食基金」を運営する庭野平和財団の南アジア・プログラムと担当のプロジェクト・オフィサーだった中村唯さんのご縁で、彼女に会えた。2006年9月同財団の助成を受けて治水のためのダムを建設したヴァナンガナの視察に出かけたからである。

 

ダムの開所式のマダヴィ・ククレジャさん。2006年9月(竹中撮影)

マダヴィさん自身はデリーの豊かな家庭に育ち、カナダに留学した後、1990年代初めから政府の農村女性識字教育プログラムのためにチトラクット県に派遣された。水の乏しい、生産力の低い農村地帯で、地主が貧しい農民や先住民を支配してきた土地柄。ヒンドゥー至上主義勢力も根城を築き、隣のMP州に続くブンデルカンドは盗賊地帯として有名で、プーランの故郷とよく似ている。

ヴァナンガナがまず手掛けたのは「マイクロクレジット」である。バングラデシュのグラミン銀行で有名だが、インドでもグジャラート州のSEWAなどが1970年代より実践してきた。約15名の女性たちが村銀行を開設し、共同で資金を管理する。積み立てや長期ローンで女性の経済能力を担保し、職業訓練、識字教育、保健衛生教育を行う。経済的なエンパワーメントのしくみだ。しかしヴァナンガナには新しい挑戦が起こった。家から逃げた妻と娘が夫であり父である男性から迫害される事件が持ち込まれたのである。しかもヒンドゥー至上主義団体が介入し、ヴァナンガナやマダヴィさんも脅かされた。こうして1990年代後半には「女性に対する暴力」と「アドヴォカシー(権利主張)」が重要な課題となった。

 

ヴァナンガナとマダヴィさんも加わり、UP州の女性NGOが女性の権利と民主主義を訴えている。2014年5月総選挙中のヴァナーラシで(同上)

伝統的な社会であり、政治や社会の圧力が掛けられても、インドの人々は諦めない。NGOもメディアも専門家も裁判も選挙も使って、権利を主張して生き延びようとする。救いを求めてヴァナンガナに辿り着いた女性たちは、先輩の経験や知識に学び、自らの問題を乗り越え、仲間に手を差し伸べる者に成長し、クリエイティヴな「自助(セルフヘルプ)」の花を咲かせてきた。だからこそ、貧しさを生む水不足に挑み、日本の支援を引き出してダム建設を実現するまでのNGOとなっていた。リーダーのマダヴィさんはすごい人だ。そして、少し前には不運に泣いていたのに立ち上がった女性たちもすごい。アマルティア・センの「人間開発」理論を具現したような、現代インドの奇跡を目の当たりにしたと思う。

3. フェミニスト出版社を築き、女性の歴史を書くウルヴァシ・ブタリア

最後は、ウルヴァシ・ブタリア(Urvashi Butalia)さんである。初めて会ったのは、私が国際文化会館のフェローシップでデリーに滞在した1989年。新しい歴史研究の脚光を浴びたサバルタン・スタディーズの先駆者ギャーネンドラ・パンデーさんの紹介だった。彼女のオフィスで先駆的なフェミニスト出版社として1983年に設立された「女性のためのカーリー女神(Kali for Women)」を訪ねた。ちょうど電話中だった彼女は、受話器を置いた途端、”Hi! Are you Chiharu?” と元気な声を掛けてくれた。分離独立についてのドイツからの電話だったらしい。この瞬間、ウルヴァシさんが大好きになった。

 

“THE INQUISITIVE FEMINIST: URVASHI BUTALIA”, Kindle, February 2, 2017.
http://kindlemag.in/inquisitive-feminist-urvashi-butalia/

長年の調査を基礎に綴った彼女のThe Other Side of Silence: Voices from the Partition of India (Penguin, India, 1998)は、インドとパキスタンにとっての歴史問題ともいうべき分離独立についての画期的な歴史書として、国内外で大反響を呼んだ。多くの言語に翻訳され、日本では藤岡恵美子さんの翻訳で『沈黙の向こう側』(明石書店、2002年)が刊行された。フランスの芸術文化勲章、日経アジア賞などを数々の賞を受賞し、2011年国民名誉賞のパドマ・シュリー賞がインド大統領から授与された。

『沈黙の向こう側』は、ウルヴァシさんの家族の物語でもある。彼女の母親は分離独立のとき自分の母親とラホールからデリーに移り住んだが、彼女の弟、つまりウルヴァシさんの叔父はイスラームに改宗して故郷を離れなかった。何十年もの別離の後、ウルヴァシさんは国境を越え、ついに叔父に出会う。本書はこの逸話から始まるが、国家の激動の歴史に巻き込まれ、家や畑を失い、家族と別離し、残酷な暴力を被った人々、なかでも女性たちの運命に目を広げていく。オーラル・ヒストリーという手法の先駆けでもあった。

 

藤岡恵美子さんの翻訳『沈黙の向こう側』(明石書店、2002年)

ウルヴァシさん自身が、ジェンダー研究や女性運動の歩みとともに生きてきた。彼女がデリー大学やロンドン大学で学んだころ、新しい動きが始まっていた。第一に、1975年の「国際女性年」と世界女性会議を契機に世界で女性差別撤廃条約への関心が高まり、インドのインディラ・ガンディー首相も新しい政策を手掛けた。第二に、皮肉にもそのインディラの独裁政治が批判され、民主化を求めるジャナタ運動が広がり、女性運動や女性NGOが活発化した。盗賊の世界ではプーランが台頭して後に議員になり、マダヴィさんがソーシャル・ワーカーとして女性NGOを立ち上げたのも、こうした歴史の流れの中で理解できる。

ウルヴァシさんは「女性のためのカーリー女神」を継ぐ「ズバーン(Zubaan)」社を運営し、女性の歴史・活動・思想に関わる多くの書物を出版し続けているが、同時に多くの女性NGOと連携して活動する。毎年、色鮮やかなNGOのポスターや女性リーダーのプロフィールを集めて展覧会や写真集を発信している。緊張の絶えないカシミールで苦闘する女性たちの声を集めた書籍を発行し、笹川平和財団の支援も得て内戦を経たアッサム州や東北地域の女性NGOと連携したプロジェクトも行う。彼女は日本とも縁が深い。南アジアへの支援を送るNGOシャプラニールにいた大橋正明さんや国際交流基金のデリー支局長を務めた小川忠さんとも親しく、国際交流基金・国際文化会館主催のアジア・リーダーシップ・フェロー・プログラムの2000年フェローとして来日した。私自身も、ウルヴァシさんと共に数々の国際交流の企画を実施させてもらった。

以上のように書くと本当に偉すぎる人だが、私にはあくまでも頼りになる姉御であり、家族の親しい友だ。下の娘は、幼い頃にウルヴァシさんに日本語の「あいうえお」を教えたことが自慢だ。数年前、多忙な仕事を終えた後のウルヴァシさんを夫と共に鎌倉の東慶寺に案内した。江戸時代に多くの女性を救った駆け込み寺を一緒に歩いたことは、大事な思い出だ。かつての仏教がそうであったように、ウルヴァシさんは日本とインドの懸け橋として、さらにグローバルな知識人として、絶え間なく知恵と勇気を与え続けてくれている。私の周囲の若手研究者や学生たちも、貴重な教えを学んできた。ありがたいことだと思う。

以上、私にとっての大事な人々の話を綴ってきた。このように、日印友好の土台には数えきれない人々の交流の物語があるのだろう。先達への感謝を込めつつ、筆を置きたい。

竹中千春(たけなか ちはる)

立教大学法学部教授
国際政治・インド政治・ジェンダー研究。東京大学法学部卒業(1979年)。東京大学法学部助手、東京大学東洋文化研究所助手、明治学院大学国際学部助教授・教授を経て2008年より現職。公益財団法人日印協会理事、公益財団法人国際文化会館評議員、一般財団法人NHKインターナショナル理事。アジア政経学会理事長(2013-2015)、日本平和学会会長(2020-現在)。

『世界はなぜ仲良くできないの?暴力の連鎖を解くために』(CCCメディアハウス、2004年、Kindle版)、『盗賊のインド史—帝国・国家・無法者』(有志舎、2010年、第27回大平正芳記念賞受賞)、『ガンディー—平和を紡ぐ人』(岩波新書、2018年)。子ども向けの著書に、『千春先生の平和授業2011~2012 未来はこどもたちがつくる』(朝日学生新聞社、2012年)、監修『平和を考えよう(全2巻)』(あかね書房、2013年)。

(『月刊インド』2020年2月-3月合併号から転載)

更新日:2020.03.27