的場裕子のインド留学記 その2

タミルナード州立音楽大学入学まで

カルカッタに一泊して、翌日の午後便でマドラスへ向かった。

当時運行されていた航空会社は国際線がエア・インディア、国内線はインディアン・エアラインズのみだった。国内線はモーニング・フライト、アフタヌーン・フライト、イヴニング・フライトの1日3便しかなかった。

夕刻にマドラス(現チェンナイ)に着いて、YMCAに宿泊した。その夜は蚊の猛攻撃をくらい、一睡も出来なかった。持って来た蚊除けスプレーを塗ったのだが、蚊は飢えていて、塗った上からガンガン刺して来た。朝になって窓の外を見ると大きな蛇池があった。緑に囲まれ景色は綺麗なのだが、そこから蚊が大量に発生していたのだった。

翌日小泉先生の紹介状を手に、アダイヤール川のほとりにあるマドラス州立音楽大学を訪ねた。副校長のクリシュナン先生にお会いして、「日本から来たのですが。」と紹介状を差し出した。手紙を読んだクリシュナン先生はいきなり立ち上がって、とても懐かしそうに「フミユ! フミユ!」と叫んだ。小泉先生をよくご存知だったのだ。

私は教室に連れて行かれ、何人かの先生の前で、ヴィーナーを弾かされた。

上原先生に日本でヴィーナーを習った事が評価されたようだった。何も習わずに行ったのでは、恐らく入学まで漕ぎ着けることは出来なかったと思う。入学試験を受けるでもなく、いきなり門を叩いて入学させてくれと言うのだから、無謀な行動であったことは間違いない。

翌年1973年春に帰国した時に話は飛ぶが、小泉先生に留学報告するため大学を訪れた。

「無事帰って参りました。あちらでクリシュナン先生にお会いしました!」と言うと、

「私はあの先生嫌いです!押し付けがましくて。」と腹立たしそうな口振りでおっしゃられた。「あんなに手紙を見て喜んでいたのに、嫌われていたのか・・」とちょっと可笑しくもあり、可哀想でもあった。クリシュナン先生は音楽理論を担当されていたので、恐らく小泉先生のためを思って親切にいろいろアドバイスされたのだと思う。そう言えば小泉先生はご自身がやろうとしている事をインド人に理解してもらえなくて辛かったというような話をどこかで聞いた事があった。

翌日クリシュナン先生は私をタミルナード州政府のオフィスに連れて行った。州立だから入学するには役所の許可が要るとのこと。一階にある最初の窓口で、「日本から来たのだが、こちらの学校で学ばせて欲しい。」と説明すると次の窓口へ回された。さらに次の窓口と3回同じ話を繰り返した。そうするうちに私も辿々しかった英語が少し上手くなって来た。

それから階段を昇って2階の一室へ案内された。

扉を開けると正面奥にカーキー色の軍服を着て髭を生やした格好いい若い将校風のお役人が大きな机を前に座っていた。またこれこれしかじかと伝えると、将校様は黙ったままだった。窓口の人もクリシュナン先生も私も固唾を飲んで将校様の顔をじっと覗き込んだ。ややあって、将校様はたった一言「You can study」。インド版大岡越前守の鶴の一声みたいなドラマチックな光景が目の前に展開した。御沙汰を聞いた瞬間思わず「はは〜っ」となって、深々とお辞儀をした。それから全員やれやれドヤドヤと部屋を出た。

州政府からお墨付きをもらった途端、一階から案内して来た窓口のお役人の態度が一変した。にこやかにうやうやしく「どうぞこちらへ!」。私はそこからいきなりVIPになって2階の階段を降りた。

移民局でビザの延長手続きをするようにと書類を渡され、言われた通りに移民局へ行くと、そこでも別室へ通され、丁重な扱いを受けた。

それから直ぐにムルティーさんの家も訪ね、小泉先生からのお土産を渡した。宿泊したYMCAから大学までは遠かったので、大学に歩いて行ける距離にあるアンドラ・マヒラ・サバと言うツーリスト・ホステルを紹介され、そこに滞在する事になった。

 

ギータ ムルティさんと ムルティさんの家の屋上にて

 

翌日食堂に行った時、偶然にもそこで大谷紀美子先生にお会いした。大谷先生もそこに泊まっていらしたのだった。初めてのインドで右も左も分からない私を一緒にあちこち連れて行って下さり、いろいろインドでの生活の知恵など教えて頂いてとても有り難かった。「今回は1ヶ月しかいられないのよ〜」と帰りがけにサリーまで頂いた。大谷先生の心優しいお人柄に触れ、異国での緊張がどれほど和らいだ事か。短い滞在期間でお忙しかったはずなのに、殆ど見ず知らずに近い私をお世話下さった事に改めて(50年後になってしまったが)感謝申し上げます。

大谷先生とホステルのボーイさん アンドラ・マヒラ・サバにて

 

的場裕子(ヴィーナー奏者)プロフィール

日本女子体育大学名誉教授

1949年秋田市に生まれる。

東京藝術大学楽理科卒、民族音楽学専攻、故小泉文夫教授に師事

1972年タミルナード州立音楽大学留学。ヴィーナーを故Rajalakshmi Narayanan氏、故Kalpakam Swaminathan氏および、故Nageswara Rao氏に師事。以後50年に渡り、研修を続ける。

2007年よりインドでも演奏活動を開始。チェンナイ、マイソール、カンヌールなど、南インド各地で演奏する。

研究論文

「南インド古典音楽で演奏されるラーガの現状について」 諸民族の音p.635—60 音楽之友社 1986

研究報告

「Musical Aspects of Baul Music」Musical Voices of Asia p.76—82 by Japan Foundation 1980.

「Flexibility in Karnatic Music」Senri Ethnological Studies 7 p.137—168 国立民族学博物館

執筆

岩波講座「日本の音楽・アジアの音楽」別巻Ⅱ≪インド古典音楽≫ p.155—166 岩波書店1989

民族音楽概論≪南アジア≫ p.149~166 東京書籍 1992

共翻訳

人間と音楽の歴史 第4巻 南アジア 音楽之友社 1985

更新日:2023.03.13