河野亮仙の天竺舞技宇儀㊲
アーシュラマ/四住期と修養道場
王家の御曹子として生まれたお釈迦様は、お坊ちゃまだったと思う。強大なマガダ国(ガンジス河南岸)にも近く、釈迦族の国はコーサラ国(ガンジス河北側)の属国といわれる。マガダ国の都は王舎城ラージャグリハ、コーサラ国の都は舎衞城シュラーヴァスティーである。広大なインド亜大陸で、釈迦の国の面積は千葉県位といわれている。明治時代なら県令という感じか。
大粒のお米が取れる穀倉地帯で、カーシー産の絹をまとっていたというから、ブランド物で固め、宝石や奢侈品に囲まれた王侯貴族の生活だ。お坊ちゃまといっても、われわれ地方寺院の坊主の子ではなくて高貴なお方、本願寺の大谷家のお坊ちゃまという感じか。そんな中にも大谷光瑞のような破格の傑物が生まれる。
『ブッダチャリタ』には、文学的な表現なのか、内省的、感傷的でなよなよした性格のように描かれるが、後の仏伝『ラリタヴィスタラ』ではクシャトリヤらしく勇者、武芸者の面が描かれる。あらゆる学芸に優れて婿選びに勝ち抜き、16歳でヤショーダラー(あるいはゴーパー)と結婚する。
そのお坊ちゃまが王家を出て、乞食同然の修行者の仲間に入ろうというのだから大変だ。妻子を捨てて家出、王家の後継者が消えてしまうのである。なかなか、われわれ凡人には想像がつかないのだが、何不自由ない王宮生活、ハーレムから出て荒野を彷徨おうと思い立つのだ。
どうも、インド人の思いの根底に森の生活への憧れ、苦行指向があるようだ。今の世界から脱皮して、自給自足以下のすれすれ命を保つ生活をして、苦をそのまま楽に変えたい。神に近づきたい、天界、とりわけ梵天界に生まれ変わりたいということのようだ。
シュラマナとアーシュラマ
お釈迦様はシュラマナ、すなわち沙門の生活を始めることになる。シュラマナとは努力する人のこと、いわゆるバラモン教の正統圏から外れて、森林に住んだり、乞食して各地を遊行する修行者のことである。ヴェーダ時代の祭官達からも、それはそれとして認められていた。正統的な『マヌ法典』においても、学生期、家長期に続いて林住期、遊行期が取り込まれている。あらゆる束縛から離れて放浪したい。
四住期は人生における4つのアーシュラマ、拠り処、修養の場で、特にその期間に関していう。場所についていうとそれはいわゆるアシュラム、ヨーガなどの修養道場の事だ。シュラマナもアーシュラマも努力する、克服する、苦労する、身体をやつれさせるという意味の動詞から来ている。
仏教では四苦八苦、一切皆苦というが、幸せな家庭を築くというイメージの家長期も、やはり、子育てや夫婦喧嘩、嫁姑問題、頑固親父で苦労する苦行期間ということなのか。
聖人といわれるマハートマ・ガンディーも家庭生活は滅茶苦茶で、息子はグレたというが、お釈迦様の家庭生活についての記述は見たことない。
学芸を学んだ後は家長となり、出家して苦行に入るのが林住期、菩提樹下で悟ってから各地で法を説くのが遊行期に相当するか。お釈迦様は例外的に長生きで80歳で涅槃に入ったとされ、弟子の方が早く亡くなっている。
ジャータカには、両親や妻の死後、子が出来たら、あるいはよちよち歩きまで育ったら出家すると書かれている。
『マヌ法典』には、孫が出来て顔に皺が増え、白髪が生えてきたら林住期に移るのがよいと書かれるが、それは何歳くらいの事なのだろうか。今の日本で考えると、肩たたきにあったり、定年を迎える60歳前後の事かと思うが、大昔の平均寿命30歳、15で結婚するとしたら30代のことになる。お釈迦様も16歳で結婚し29歳で出家したとされる。30、40で種の保存、家の存続という義務を果たしたら、後は余生を暮らすことになる。余剰な生産力のない時代には、40、50まで子を産み続けても養っていけない。
森林に入り樹下や岩山、洞窟、あるいは墓場、死体遺棄場で暮らす。大蛇やコブラ、熊や虎、象が出てくる。それより身近で一番恐いのは野犬やジャッカルである。死体を食い荒らす。ヨーガの修行をすると猛獣もなだめることができるようだが、本当に恐いのは人間、すなわち山賊、追い剥ぎの類いである。しかし、お金も何も持っていない、剥ぎ取られるような服はなく、樹皮やボロ布をまとう程度だから、無所有は強い。ま、食べる物も持っていないわけだが。
それでは何を食べるかというと、第34回に書いたように、草木の根、ナツメなど落ちている果実、蓮根など生存に必要なものだけを食べた。木の葉、花、樹皮、糞を食べた例もある。落ちている果実というのは、栽培されてないものをすべて食べてしまうと次の年から実がならなくなるからではないか。生態系に配慮したエコロジー生活、動植物に対する不殺生、あらゆるものを傷つけないというアヒンサーの精神だ。
家畜ではない野生の動物の暮らしなので、環境を保全できる。地球に迷惑をかけない究極の生き方だ。瞑想というのも大脳新皮質でちらつく煩悩を抑えて、大脳旧皮質や脳幹の働きを活性化させる訓練ではないかと思う。
また、死体捨て場で修行するのは、その場で死んでもいい覚悟を示す。三昧、サマーディには墓場という意味もある。三昧に入るというのは釈尊の苦行のように、生死の境目まで自分を追い詰めて、そこで精根尽き果てたら落ち葉のように、枯れ木のように死んでしまうということではないか。
最終的には解脱というか、こんな生活いやだと輪廻転生の輪から抜け出すことを目指す。インドで暮らしていると余計な摩擦が多くてすり減ってしまう。その厭世観が、安楽な生活を送る日本人の感覚と違う。もう1回生まれ変わったら、誰それと結婚して、好きな音楽で身を立ててみたいな夢物語になってしまう。
『マヌ法典』に描かれる4つのステージ
学生時代に集中講義で、ダルマシャーストラ(法典)の専門家である大先輩の渡瀬信之に『マヌ法典』を読んでもらった。この書は英領インドの時代に統治のために研究され、ヒンドゥー世界、インド理解の根本となっている。人の道、真っ当なヒンドゥーの生きる道、慣習法の書である。以下は渡瀬の著述に従ったものである。
『マヌ法典』などのブラフマニズムの伝統では、人は生得的に聖仙、神々、祖霊にリナ、すなわち3つの債務を負っていて、それぞれ、ヴェーダを学び、神々に供犠を捧げ、子孫(息子)を得ることによって返済できると考えられている。
ところが、森林に入って苦行をする人がいる。チャンドーギヤ・ウパニシャッドによると、彼らは神の道を通ってブラフマンに達すると考えられている。村で祭式、布施、善行をする人たち、要するに普通の人々はブラフマンに到達できず、この世に戻って再生するとされる。
その苦行者達の生活を、『マヌ法典』では林住期、遊行期という形で取り込んだ。苦行によって神通力を得たり、願い事を神様に聞いてもらうのではなく、人生の最終ステージ、幕引きの理想とした。
学生期
ヴァルナによって異なるが、再生族は早ければ受胎後5年から入門式ウパナヤナをしてヴェーダを学ぶものとする。シュードラは入門できない。上位3カーストは師のお導きの元に入門式を行い、第二の誕生ブラフマ・ジャンマを経てダルマを習得するので再生族と呼ばれる。
学生期においては、制服のように衣服、上衣(ウッタリーヤ)、下衣(ヴァーサス)、腰紐(メーカラー)、聖紐(ヤジュナ・ウパヴィータ)、杖(ダンダ)の材質がヴァルナごとに決められている。
梵行ブラフマチャリヤとは、ブラフマン(宇宙の最高原理)と一体となって歩むことである。梵行をする学生期の学生ブラフマチャーリンは禁欲生活をし、師を敬って仕え、師の妻に仕え、聖火に薪を供給し、乞食をして地面に寝る等々、細かい規定が第2章に書かれている。
蜂蜜や肉、香、花飾り、調味料、女性、酸っぱいもの(味付けされたものという意味だろうか)を避ける。身体に油を塗ったり、履き物や傘の使用、歌舞、楽器演奏、博打、中傷、精を放つことなど避けるべしとされている。
ヴェーダを学び、その補助学として音声学、文法学、祭式学、語源学、韻律学、天文学を学ぶなどなかなか大変である。サンスクリット語は必修というか、基礎になる。最低一つのヴェーダを習得し、梵行を果たした学生は、師の許しを得て沐浴し、帰家式を行い沐浴者(スナータカ)の称号を得る。
果たしてどれだけの人がスナータカになり得たのか、理念的なモデルと実体がどう違ったのかは分からないが、その後に結婚して家長となり、感官を制御して祭火を守ることになる。また、一生にわたり学生期、師に奉仕して苦行を続けるという選択肢もありうる。
家長期
家長は結婚と同時に家庭祭式と料理のための火(竈)を設け、この竈で用意した料理を聖仙、神々、祖霊、賓客、すべての生類に捧げる。祭官を招かないで家長が行う祭式を五大祭という。
四住期の中で、家長が最も優れたステージで、他のステージの者に食を与えて支え、不滅の天界へ行く事を望み、絶えず世の中の幸福を願う者によって保持される。
林住期
3種の債務を果たして、家督を息子に譲る。森林に住む事を決意すると、私物を放棄し、祭式のための火と祭具を携えて移り住む。ヴェーダを独習し五大祭を行うが、お供え物は森で採集された野菜や根、果実に限られる。
衣服は獣皮や樹皮となり、髪は髻に結い、髭や体毛、爪は伸び放題で外見は苦行者と同じになる。妻を伴う場合もある。ゆるやかな林住者もいるだろうが、苦行を増大させて、やがて、水と空気だけで過ごし身体をやつれさせる。最後は身体が倒れるまで東北を目指して進む。本来、林住でご臨終、死を迎える事になるのだが、遊行に出る場合もある。
新型コロナの感染者で、まだまだ大丈夫と思っているうち、急に亡くなるケースがある。それを防ぐためにパルスオキシメーターで、血中酸素濃度を測る事が勧められている。下がってますと訴えると、保健所も早めに病院を手配してくれるようだ。わたしも測ってみたが、98%前後なので、当分は生きているようだ。
血中酸素濃度が下がってくると、ジョッギング・ハイのように高揚してきて、自分が危険な状態にあるという事が自覚できなくなるそうだ。
どうも、人間の身体というのは楽に死ねるようにプログラムが仕組まれているようである。飢餓状態にあるときには、胃に血が回らない分、頭が冴えて寝なくてすむようになる。臨終が近づくにつれ食べられなくなる。枯れていって幸福感に包まれ、すーっと息を引き取るのだと思う。動物には安楽死できる安全装置が備わっている。
遊行期
林住期の後、世俗への思いが断ち切れてから放浪遍歴の旅に出る事もあれば、家長を終えてすぐに遊行する場合もある。一切の財産を祭官に布施し、祭火を自己の中に移す。浄めるための水壺と乞食のための鉢と杖を手に出る。ぼろ布をまとうだけではあるが、頭髪、爪、髭は整えるものとする。樹下に休み、同伴者は伴わず1人で歩む。
乞食に出るのは日に1回のみ、生命を維持するに足る量で満足する。肉は食してならない。生き物に危害を加えないよう、地面をよく見て歩き、水を飲むときも虫を殺さないように漉して飲む。感官を制御して沈黙を守り、一切の事柄に無執着となる。愛も憎しみもなくなり、一切を平等視する。仏教やジャイナ教の沙門に似ている。乞食坊主が来たと石を投げられたり、小便を引っかけられたりもするのだ。
「この身体を放棄するとき、人は苦しみというワニの口から解放される」「根底から一切の存在に対して愛着がなくなるとき、この世においても、死後においても永遠の幸せを獲得する」と『マヌ法典』第6章に記される。
いやいや、実に厳しい人生観だが、『マヌ法典』にはちゃんと抜け穴も用意してある。3種の債務を弁済したら、息子の保護の元、幸せに暮らしてもよいという。ただし、一切の愛着を捨て、ヴェーダの復唱に努め、ブラフマン世界へ到達し、あるいは解脱する事を目指す。
わたしも早く息子に譲ってブラフマンの世界、いや、般若心経でも唱えながらインド世界を遊行したいものだ。
参考文献
渡瀬信之『マヌ法典/ヒンドゥー世界の原型』中公新書、1990年。
〃 『サンスクリット原典全訳/マヌ法典』中公文庫、1991年。
河野亮仙 略歴
1953年生
1977年 京都大学文学部卒業(インド哲学史)
1979年~82年 バナーラス・ヒンドゥー大学文学部哲学科留学
1986年 大正大学文学部研究科博士課程後期単位取得満期退学
現在 大正大学非常勤講師、天台宗延命寺住職
専門 インド文化史、身体論
更新日:2021.02.26