書籍紹介:『ラフカディオ・ハーン: 源郷としてのインド』

『ラフカディオ・ハーン: 源郷としてのインド』

前田 專學 著
春秋社、2021年10月20日
(https://www.shunjusha.co.jp/book/9784393112793.html)
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『怪談』で有名な小泉八雲ことラフカディオ・ハーン。この漂白の作家が何故に最期の地「日本」を訪れたか、ご存じだろうか?

ギリシャのレフカダ島に生まれ、幼少期をアイルランドのダブリンで過ごしたハーンは、フランスの神学校を経て、アイルランドの大学に入学するも叔母の破産により退学。新大陸に移り各地を転々としながら、新聞記者として生計を立てる一方(※1)、フランスで学んだ経験を活かした仏文学の翻訳や文芸書評などを発表していた。

ニュー・オリンズ(※2)のタイムズ・デモクラット紙の文芸部長をしていたとき、現地で開催された万国博覧会を取材する中で、“東洋の仏教国”日本に興味を覚え、その後、世界一周競争から帰国した友人の女性ジャーナリスト、エリザベス・ビスランド(※3)から、かの“東洋の神秘の国”の印象を聞かされて日本行きを決意。1890年、ハーバー・マガジンの通信員として念願の訪日を果たした。

一般的には、ハーンの訪日は、ビスランド女史から聞かされ、また当時はじめて英訳された『古事記』を通じて得た「神国・日本」の印象に突き動かされたものと言われている。しかし、ここに紹介する『ラフカディオ・ハーン: 源郷としてのインド』の著者・前田專學博士は、ハーンの訪日の背景に、当時の欧米論壇の話題を席巻していた“オリエンタル・ルネッサンス”(※4)、すなわち古代インドの思想・文学研究、なかんずく《近代仏教学》と称される、ヨーロッパの学者による最先端の文献学を駆使した仏教の再発見の静かなドラマの展開があったと指摘する。新聞記者としてのハーンが神国・日本に魅せられていたのに対し、当時のアカデミズムの潮流に精通した文芸評論家としてのハーンは、仏教国・日本に知的関心の目を向けていたのだ。

著者の前田博士は、ハーンゆかりの島根県松江市出身のインド哲学・仏教学者、中村元博士
の後を受けて東京大学のインド哲学研究室の教授となり、現在は松江市の中村元記念館の館長を務めるインド哲学者。一見関わりのなさそうなハーンとインドであるが、とある篤志家から発せられた「ハーンは仏教徒であったのか?」という問いをきっかけに、思いがけず前田博士の中で両者が結びつくことになった。

はたして「ハーンは仏教徒であったのか?」。この問いに前田博士は、ハーン活躍当時の欧米文壇に対する考察と、博士が専門とするヴェーダ、ウパニシャッド、バガヴァッドギーター、仏教の文献学の該博な知見を以って切り込んでいく。その結論については、読者の皆さんそれぞれに確かめていただけたら、と思う。

巻末には附章として、博士がハーンの日本仏教“留学”の「卒業論文」と評した小論『涅槃』を収録。この『涅槃』からだけでも、ハーンの仏教研究の水準の高さをうかがい知ることができる。

(紹介者:佐々木一憲)

『ラフカディオ・ハーン: 源郷としてのインド』

参考

※1 ハーン活躍当時、アメリカでは、エドガー・アラン・ポーを始めとして新聞記者出身の人気大衆作家が多数生まれていた。人気作家を生む土壌として、当時の新聞業界がどのような状況にあったのかは、実はデマやフェイク・ニュースが横行する現代のネット情報社会の状況にも通じる非常に興味深いテーマである。このテーマについては下に紹介する書籍が参考になる。

『トップ記事は、月に人類発見!―十九世紀、アメリカ新聞戦争』

『英国の仏教発見』(法蔵館文庫)

※2 ニュー・オリンズはメキシコ湾のミシシッピ川河口に開けたアメリカ南部の中心都市で、ヨーロッパやアフリカ大陸との海上交通の玄関口ともなっていたことから、ジャズ音楽やケイジャン料理をはじめ、アングロサクソン/ラテン/アフリカンの様々な人と文化がまじりあった数々の独自文化の発祥地となってきた。郊外には少し以前に話題になった書籍『闇の脳科学』の舞台となった、「南部のハーバード」と称される名門・テュレーン大学があり、同大学図書館のコレクション・ルームには、ハーンが訪日の際に残していった蔵書を集めるハーン・コレクションが設置されている。

『闇の脳科学 「完全な人間」をつくる』

※3 エリザベス・ビスランドはハーンの才能を見出し、ハーン没後にその評伝を執筆した女性ジャーナリスト。ネリー・ブライ女史と世界一周の世界記録を懸けて競争するなかで、日本を訪れ、その清潔で神秘的な印象を語り、ハーン訪日のきっかけを作った。ビスランド視点でハーンの生涯を描いた工藤美代子氏の三部作は文庫で出ており読みやすい。

『夢の途上 ラフカディオ・ハーンの生涯(アメリカ編)(ランダムハウス講談社文庫)』

※4 “オリエンタル・ルネッサンス”はこのテーマを扱ったR.シュワッブの著作のタイトルに因む。西洋のインド発見に関しては近年、類書が多く発刊されているが、もっとも包括的なものとしてはF.ルノワールの本書がある。また、このテーマを開拓したアーモンドの記念碑的な著作が最近、文庫で翻訳出版されている。

『仏教と西洋の出会い』

『英国の仏教発見』(法蔵館文庫)

更新日:2021.12.01