日本寺inブッダガヤ 今昔・あれこれ⑥
仏教が繋ぐ日本とインドの文化交流を多面的にご紹介するこのコーナー。今回は若き僧侶、林田徹順師による最新のインド仏跡巡拝紀行をお届けします。
祈りの地を歩く七日間
横浜市鶴見区 慶岸寺 副住職
林田徹順
【第1日――3月5日 デリー】
添乗員の上田さんに案内されてデリー空港を出ると、日本とは異なる空気を感じました。はじめに感じたのは暑さです。この時期、日本では高くても15度ほどですが、インドでは30度にも達します。夜の到着であったにもかかわらず、日中の熱気が残っていたのか、羽織っていた上着を脱いでしまいました。
次に目に入ったのは、野良犬が道路に我が物顔で寝そべっている光景です。インドには野良犬が多いと聞いてはいましたが、空港を出てすぐに出会うとは思いませんでした。しかもどの犬もとても大きく、そのことにも驚かされました。パリア犬と呼ばれる犬種らしいのですが、日本の柴犬よりも一回りほど大きく見えました。
手配されていたバスに乗り込み、あとはホテルへ向かうだけだと思っていたところ、突然、耳をつんざくようなクラクションの音が響きました。インドではこれが日常の風景のようで、車が進むたびに四方から音が重なります。インドで運転することはできそうにないと感じました。
今回の旅は16人での巡礼です。23歳から49歳まで、さまざまな宗派の僧侶の一行でしたが、同じ目的のもと同じ場所へ向かうことで、不思議な連帯感が生まれていました。それぞれが旅への期待を胸に抱きながら、窓の外に広がる異国の風景に目を向けていました。
ホテルに到着すると、本格的なインドカリーやナンを味わいながら、これから巡るお釈迦さまの足跡に思いを馳せました。
【第2日――3月6日 ナーランダー/ラージギル 霊鷲山】
「ここが玄奘三蔵が使っていたとされる部屋です。」
ガイドのアッシムさんの説明を聞きながら、私たちは順番にその部屋を見学しました。
この研修旅行で最初に訪れたのは、ナーランダー仏教大学跡です。世界最古の大学ともいわれるこの地には、広大な敷地の中に煉瓦造りの建物が静かに残されていました。かつてここで多くの僧侶が学んでいたことを思うと、深い感慨を覚えます。
私は以前、長安(現在の西安)で玄奘三蔵が翻訳活動を行っていた寺院を訪れたことがあります。飛行機はおろか車もない時代に、長安からインドまで歩いて来たことを思うと、玄奘三蔵の強い意志が伝わってきました。
その後、ホテルへ向かう途中で王舎城跡を訪れました。ここは『観無量寿経』に説かれる聖地です。ビンビサーラ王が幽閉された牢獄跡に立ち、王と同じように霊鷲山を見上げました。お釈迦さまに会いたいと願った王の気持ちが、ほんの少し理解できたように感じられました。
【第3日――3月7日 霊鷲山/ブッダガヤ】
朝5時。眠い目をこすりながら、ホテルのロビーへ向かうと、早朝にもかかわらず誰一人遅刻することなく集合していました。
こんな早朝に集まった目的はただ1つ。これから霊鷲山へ向かい、ご来光を拝するためです。バスでふもとまで移動し、そこから頂上を目指して歩き始めます。まだ暗い中、一歩一歩足元を確かめながら進んでいきました。
徐々に空が白み始めた頃、頂上に到着しました。頂上には「香室」と呼ばれる場所があります。ここはお釈迦さまが説法を行い、『無量寿経』をはじめ多くの経典が説かれた場所と伝わります。この地に多くの人々が集まり、お釈迦さまの言葉を一言一句聞き逃すまいと耳を傾けていたことを思うと、二千五百年の時の重みを感じずにはいられません。私たちはこの霊鷲山の香室でおつとめをさせていただきました。それぞれが、お釈迦さまへの深い思いを胸に抱いていたことでしょう。
下山の途中、雲の切れ間から突然光が差し込みました。その光は、日本で見る朝日よりも強く、どこか特別なもののように感じられました。
その後、バスで南へ向かい、ブッダガヤへと到着しました。
バスから降りると、まるで私たちのことを待っていたかのように、現地の人に囲まれました。何事かと驚いていると、その手には菩提樹の葉や仏像などが握られ、しきりに私たちに買わないかと勧めてきました。しかも、多くの方が日本語で私たちに話しかけてくるのです!インドでこのようなことが起こることは知っていましたが、まさか聖地であるはずの場所でも、現実の営みが強く入り込んでいることに、わずかな戸惑いも覚えました。
ブッダガヤはいうまでもなくお釈迦さまが悟りを開かれた地です。目の前には大塔がそびえ、その周囲には多くの仏教徒が集まっていました。その光景から、仏教が今もこの地に息づいていることが、はっきりと伝わってきました。
大塔の裏手には、聖菩提樹と金剛宝座が祀られていました。多くの参拝者の間を縫うように菩提樹の周りを歩いていると、一枚の葉がゆっくりと舞い落ちてきました。私はそれを拾い、この旅の記念として大切にすることにしました。
その後、私たちは日本寺へと向かいました。日本寺は、公益財団法人日本仏教興隆協会によって運営されている寺院です。現在は浄土宗と臨済宗の僧侶が駐在しており、この日は浄土宗の中野蓮音上人から説明をいただきました。
日本寺でもおつとめをさせていただきました。お釈迦さまがおさとりを開かれた土地でお念仏を称えさせていただけることを大変光栄に思いながら、一生懸命に称えさせていただきました。
【第4日――3月8日 ベナレス(ヴァーラーナシー)/サールナート】
4日目の朝は、ガヤ駅から始まりました。この駅から特急列車に乗り、ベナレスへ向かいます。列車の出発まで少し時間があったため、ホームを散策していると売店があり、卵が山のように積み上げられていました。「これは何だろう」と不思議に思って見ていると、ちょうど現地の人が注文をしました。店員さんは手際よく卵をフライパンに割り入れ、その場でオムレツを作り始めました。その光景に思わず目を丸くしましたが、このオムレツは日本での駅蕎麦屋のような、手軽な食事として親しまれているそうです。
特急列車に揺られること約3時間、ベナレスに到着しました。ここはさらに暑く、気温は33度にも達していました。思わずバッグから水を取り出し、喉を潤します。このベナレスから、初転法輪の地であるサールナートへ向かいました。
サールナートでは、静かな空気の中に歴史の重みが感じられました。遺跡の間を歩いていると、ここで初めて仏の教えが説かれたという事実が、次第に現実味を帯びて迫ってきます。華やかさはありませんが、お釈迦さまが初めて教えを説かれた地として力強さを感じる場所でした。
また、ここには日本人画家である野生司香雪が釈尊伝の壁画を描いたムーラガンダ・クティ寺院があります。ここはスリランカ人の方が多く参拝をする寺院ですが、恐れ多くもこちらの寺院でもおつとめをさせていただき、この世界で多くの教えを説いてくれたお釈迦さまのことを思いながら、お念仏を称えさせていただきました。
【第5日――3月9日 ガンジス河】
5日目の朝、4時15分にモーニングコールで目を覚ましました。3日目と同じくらいの時間ですが、疲れが出てきたのか、少し起きるのに時間がかかってしまいました。
この時間に起きるのには理由があります。ヒンドゥー教の聖地、ガンジス河へ向かうためです。ホテルからバスで少し移動しますが、心なしか皆の表情にも疲れがにじんでいるように見えました。
バスを降りると、まだ暗い道を歩き始めます。この道が世界有数の聖地へと続いていると思うと、期待と緊張が入り混じった不思議な感覚に包まれました。河に近づくにつれて、巡礼者の姿が少しずつ増えていきました。
やがて視界が開け、目の前に大きな河が現れました。早朝にもかかわらず、その場には多くの人々が集まり、独特の熱気が漂っていました。手配されていたボートに乗り、河へと漕ぎ出します。周囲を見渡すと、多くの人々が静かに水の中へと身を沈めていました。その姿には、言葉にできない強い祈りが込められているように感じられました。
ふと遠くを見ると、煙が立ち上っているのが見えます。そこでは火葬が行われており、その後、遺骨はそのまま河へ流されるといいます。日本では見ることができない文化に圧倒されました。
ボートを降りて改めて河と向き合うと、こちら側の河岸と対岸とでは、どこか異なる世界のように感じられました。聞くところによると自分が立っている場所が此岸で、向こう側は彼岸のように捉えられているそうです。
ガンジス河からの帰り道、ガイドのアッシムさんに勧められて露店でチャイを飲みました。これまでも何度か口にしてきましたが、できたてのチャイは格別で、ひときわ印象に残る味でした。素焼きの茶色い器で提供されましたが、なんと現地では飲み終えるとその場で割るのが習慣だそうです。せっかくなので、私は記念に持ち帰ることにしました。
【第6日――3月10日 アーグラ】
観光最終日の今日は、アーグラを訪れました。ここには、世界的にも有名なタージ・マハルがあります。
白い大理石の建物は、遠くから見ると霞の中に浮かんでいるようでした。近づくにつれて、繊細な彫刻が静かに姿を現します。巨大でありながら威圧感はなく、むしろ一つの静かな感情が形になったような印象を受けました。墓でありながら、心が澄んでいくような不思議な感覚が残ります。
周囲の庭園には色とりどりの花が咲き、多くの人々が写真を撮ったり、散策を楽しんだりしていました。穏やかでありながら、どこか特別な時間が流れているように感じられました。
観光を終え、バスに乗って目を閉じると、次に目を開けたときには、デリーの空港に到着していました。意識しないうちに疲れていたようです。空港で最後にお土産を買い、羽田空港行きの飛行機に搭乗します。振り返れば、一週間という時間は長いようで、広大なインドを知るにはあまりにも短いものでした。いつか再びこの地を訪れることを心に誓い、静かに目を閉じました。
【第7日――3月11日 帰 国】
「まもなく羽田空港に到着いたします。」
朝6時35分、飛行機は予定通り羽田に到着しました。
日本の空気はまだ冷たく、インドで感じたあの温かな風とはまるで違っていました。
インドで過ごした一週間はあまりにも日本とは異なる体験で、見てきた景色も、人々の表情も、街に満ちる音も、すぐに言葉にはできません。ただ一つ確かなのは、あの地で流れていた時間が、今も自分の中に静かに残っていることです。
更新日:2026.04.20


