導かれたodissiへの旅——花の宮祐三子インド留学記⑦

Oshoアシュラムで まずなんとも歯がゆかったのは、多くの人達がとても楽しそうに美しく踊っているのを目の当たりにすることだった。  私は今まで、クラッシックバレエや、インド舞踊をしてきて、「踊ってきた」と思っていたのだが、いざ、自由に踊る!!という段になると、なにをどう踊っていいやら、わからない!!!

なのに、みんなは、なんて楽しそうに踊っていることか!!!

そして、約10年の間、ボディワークのトレーニングを受けたり、内面と向き合う瞑想ワークをしたり、、、と  odissiを踊ることから離れることになる。

 

oshoアシュラム ブッダホールでのパフォーマンス

 

はじめ、どうしていいかわからなかったのだけれど、毎夜、osho講話の前にはライブミュージックによるダンスの時間があったり、、、などが積み重なり、しばらく経つと 音楽・エネルギーに身を任せて自由に踊ることが、非常に心地よくなってきた。

 

 

サニヤシ・セレブレーションにて

 

しかし、なんとも因果なものだろう。

 

10年後のある日のこと。

ミスティックローズという33週間、(笑い、泣き、静かに座る)の瞑想ワークの最後の週、突然、私の脳裏にodissiの曲が舞い降りてくるのだった。

 

サニヤシ・セレブレーションにて

 

ワークが終わると、一生懸命、昔習った振りやステップを思い出そうとする自分がいた。

すると、ちょうど、近くにodissiを踊っているという、Radhikaというサニヤシン女性に出会い、共にレッスンさせてもらうことに。

そこで、Prachiというボンベイからの女性が来て、いくつかの踊りを教えてもらうこともできた。

その後、オリッサに出向き、かつてお世話になったシブ・グルジやスジャータ女氏がいるSrjanを訪ねたり、ビチットラナンダ・グルジの開かれたRudrakshyaを訪ねたりして オディッシーを続けることになる。

時は、ちょうどインド・スイスでの15年に渡る海外生活を経て 日本に帰っていく途上のこと。

 

ガウリ・マ

 

ダンスヴィレッジに戻らなかったのは、私が中断していた間に、あまりにも残念なことながら、愛するガウリ・マは 既に お亡くなりになってしまったからだった。

 

花の宮祐三子Hananomiya Yumikoプロフィール

大阪生まれ。本名 茶谷裕美子(Yumiko  Chatani

大阪府立天王寺高校、広島大学総合科学部(文化人類学)卒業。

’89年、中国・パキスタンを経てインドへ一人旅、’90年、故プロティマ・ガウリ女史によってバンガロール郊外に開かれたばかりのNRITYAGRAMThe Dance Village)にて、インド古典舞踊 odissi Padma Vibhushan 故ケルチャラン・モハパトラ・グルジや、ガウリ・マ等から住込みで修養。その後、瞑想と踊りの探究が続き、パートナーの住むスイスと日本を行き来する生活。様々なジャンルの音楽家とのコラボを含め、自然を感じ、魂の喜ぶ「舞い歌絵書き」も戯れ遊ぶ。インド・イギリス・スイス・アメリカなど、国内外での公演、寺社ご奉納、瞑想会や パートナーとの Inner touch ワークショップ等を行う。

更新日:2023.11.16