導かれたodissiへの旅——花の宮祐三子インド留学記⑤

寝室の直ぐ横にあるレッスン場。

その床は、細かい土を固めたような、なめらかな床だった。裸足で足を打ち付けるようにステップを踏み踊る私達には、コンクリートや大理石のような硬さがないため、足腰への負担も少なく、冷やっとしていて、とても心地良かった。

未だかつて、ここ以外に、こんな素材の床には出会ったことがない。

レッスンが始まる前は、まずお掃除。ジャルーといわれる箒で掃く。そして、雑巾がけは日本のやり方とは違い、ビチャビチャに湿らせた雑巾を横流しのようにして床をなぞっていき、その後、扇風機で乾かす、って感じ。

また、お洗濯も、すべて手洗い!

インド特有の洗濯板ならぬ、「洗濯石」の上で、トントン打ち付ける手法!クラスメイトがするのを見よう見まねでやったものだったが、長いサリーを洗うのは、結構大変だった。

 

ガウリ・マとオディッシーグルクルの生徒達

 

さて、NRITYAGRAM(ダンスヴィレッジ)は、当初、7つの古典舞踊のグルクル〜gurukul(師と生徒が一緒に生活、レッスンする場)をすべて作るのが目標にされていて、まずはガウリ・マが踊る私達のodissi danceグルクルが作られた。

その後、ケララ州発祥のダンス、モヒニアタムのgurukulも作られた。そこには、今は亡き大御所、師カリヤニクティ・アマKalamandalam Kalyanikutty Ammaammamma)と、孫娘のスミタSmitha氏が来られ、数人の生徒が共に生活するようになった。

そして、週末には村の子ども達に教えるクラスがあったり、

夏にはサマーワークショップが行なわれ、アメリカなど海外からの参加者もいた。

 

サマーワークショップの集合写真

(右手中央には、ケルチャラン・マハパトラ・グルジを挟んで、カリヤニクティ・アママとスミタ氏、左手にはスジャータ氏、Laxmipriya Mohapatraグルマ)

 

あと、アビナヤのワークショップでは、バラタナティアムや、カタカリの名手も集まり、素晴らしい演技を見せてくれた。

 

カタカリKathakaliの名手Kalamandalam Krishnan Nairによるアビナヤ in ヨガセンター

 

ダンスヴィレッジの一番奥に作られたオープンエアーのステージでは、Vasanta Habba〜春の祭りが開催され、世界的にも有名なタブラ奏者、ザキール・フセインUstad Zakir Hussain氏や、インドフルート・バンスリ奏者、ハリプラサード・チョーラシアHariprasad Chaurasia氏なども来られたものだった。

これもガウリ・マが彼らと親しくしていたおかげ。私達も恩恵を受け、そんな方々と親しく接することができた。

 

 

花の宮祐三子Hananomiya Yumikoプロフィール

大阪生まれ。本名 茶谷裕美子(Yumiko  Chatani

大阪府立天王寺高校、広島大学総合科学部(文化人類学)卒業。

’89年、中国・パキスタンを経てインドへ一人旅、’90年、故プロティマ・ガウリ女史によってバンガロール郊外に開かれたばかりのNRITYAGRAMThe Dance Village)にて、インド古典舞踊 odissi Padma Vibhushan 故ケルチャラン・モハパトラ・グルジや、ガウリ・マ等から住込みで修養。その後、瞑想と踊りの探究が続き、パートナーの住むスイスと日本を行き来する生活。様々なジャンルの音楽家とのコラボを含め、自然を感じ、魂の喜ぶ「舞い歌絵書き」も戯れ遊ぶ。インド・イギリス・スイス・アメリカなど、国内外での公演、寺社ご奉納、瞑想会や パートナーとの Inner touch ワークショップ等を行う。

更新日:2023.09.29