天竺ブギウギ・ライト⑥/河野亮仙

第6回 一角仙人を誘惑したのは誰か

アマゾンを探検していたら『ガンダーラの高級娼婦たち/ガンダーラの仏教彫刻に表現された貴婦人像のモデルを求めて』柳原出版、金6000円也を見つけた。著者名は田辺理となっているが、田辺勝美の「一角仙人と高級娼婦」という論文も収められた、親子二代にわたるガンダーラ研究の賜物である。

2022年11月に200ページ、6000円で出版しているが、よく出版までこぎ着けたものだと思う。図版の収集が素晴らしいのだが、惜しむらくはどの写真も小さくてよく見えない。これを大きくしたら一冊8000円になってしまうから妥協の産物だろう。本屋で見たことはなく、私のような物好き、いや本好きでなければ研究者でも買わないだろう。大きな本屋に行ってもインド関係の本は極めて少ない。

ヤクシーのモデル

従来、樹木の精とされる豊満なヤクシー、ヤクシニー女神のモデルは当時の上流女性とされていた。ガンダーラの釈迦菩薩像についても、当時の貴族の姿を写したとされる。

マトゥラー・マホーリー出土でニューデリーの国立博物館に収蔵されている、酔っ払って片膝をついた女性の像はよく知られている。また、その裏にアショーカ樹の元、男二人と上半身裸の女と少女の図がある。

C.シヴァラームムールティーは、この図はカーリダーサ以前の作家シュードラカの戯曲『土の小車(ムリッチャカティカー)』から採った場面と比定した。国際的な大商都ウッジャイニーにおける、気前が良すぎて貧乏になった商人チャールダッタと遊女ヴァサンタセーナーの物語である。当時の暮らしぶりがうかがえる珍しい作品だ。

私は大学3年の時、小林信彦助教授の授業で大先輩たちと『ムリッチャカティカー』を購読した。大先輩というのは、今はもう退官しているが、その中の何人もが教授となって世界的な業績を上げたからだ。当時は若手だった小林先生は、今年の7月25日、87歳で亡くなられた。とても細かく面倒を見てくださる先生で、生徒のテキストをまとめてインドのモティラルに発注してくれた。あれから50年である。歳としては十分であるが悔やまれる。いや、学恩に報いることが出来ないのが悔やまれる。

インドから船便で届くのに2、3か月かかり、その間は湿式コピーのテキストを使った。独特の匂いがあった。

インドのガニカー、ギリシアのヘタイラ

話を戻すと、古代インド女性の姿、衣装は当時の貴婦人の姿を写したと理解されていたのだが、それは具体的にはガニカーと呼ばれる高級娼婦であると田辺は例証した。ギリシア・ローマの図像の分析に始まる。

古代ギリシアにはヘタイラと呼ばれる高級娼婦がいて、彫刻や陶器の絵のモデルとなっていた。饗宴において妻や娘は参加を許されなかったが、ヘタイラは参加して歌を歌い楽器を奏で、踊りを踊り、物語を聞かせた。

ギリシアの政治家ソロン(前640-560年頃)はアテーナイに娼館を造り、その利益から女神アフロディーティーの神殿を造ったという。娼婦の保護者とされる、豊満なアフロディーティー像はヤクシニーの造像に影響を与えたといわれている。

ローマ美術においてもギリシアの女性像を参考に女神や上流階級の女性、娼婦像が制作された。

ダルマ、アルタ、カーマ

古来、インド人の学ぶべきものとしてダルマ、アルタ、カーマがある。ダルマは宗教的義務を果たすこと。アルタは利、経済活動をして世を渡り、財産を築くこと。カーマは愛、すなわち性愛の学を学ぶべきとされる。

カーマ・スートラに付随して64の技芸を宮廷人や富裕な商人ナーガラカ(街人)、そしてガニカーは学ぶべきとする。

ガニカーというのは読み書きが出来て教養があり、音楽舞踊の嗜みがある高級娼婦の事だ。王宮にも出入りして王侯貴族と渡り合う存在なので、上流婦人といえばその通りである。

経典などでは漢語で婬女なので、ふしだらな女?と誤解されてしまうかもしれないが、ガニカーの事であり、売春婦とか娼婦と訳してしまうのが適当とも思えない。かといって白拍子とか花魁とかいっても文化が違うので誤解を招く。

大きな都市に娼館がないのは恥とされ、いろいろな国の言葉、巧みな話術で男を落とす、多芸多才で品性の高い美女を抱える必要があった。100年前ならオリエンタル・ダンサーのマタ・ハリである。

https://tsunagaru-india.com/knowledge/%e6%b2%b3%e9%87%8e%e4%ba%ae%e4%bb%99%e3%81%ae%e5%a4%a9%e7%ab%ba%e8%88%9e%e6%8a%80%e5%ae%87%e5%84%80%e2%91%ab/

日本では仏教が中国大陸経由で入ってきたことから、漢文化を通してインドを理解してしまうが、本当はギリシア・ローマ世界の方向からアプローチした方が筋が通る。

64の技芸をすべては列挙しないが、楽のほかに、化粧や香、宝飾の知識、料理や針仕事、大工仕事、花輪の作り方、遊戯、賭博、絵画や劇、マントラ、詩作、叙事詩など物語の知識と朗唱などが求められている。釈尊が学んだという幾多の学芸、手業、遊戯、スポーツにも近い。

カタックの語は語り手カターカに由来するというが、おそらく宮廷に侍る遊女は歌と踊りのみならず、夜伽に物語を語って聞かせたのだろう。千夜一夜物語、天竺夜伽物語。

アームラパーリー

涅槃経などの仏典に、ヴァイシャーリーに住む遊女アームラパーリーの話が語られる。この商業都市はアームラ、すなわちマンゴーの名産地として知られ、アームラパーリーとはまさに、マンゴー園の守り手を意味する。

死期の迫った釈尊が阿難尊者と共にクシナガルに向かう途中、アームラパーリーのマンゴー園にとどまると、アームラパーリーがやって来て食事を供養する。弟子と共に彼女の大邸宅に赴くとそのマンゴー園を寄進すると申し出る。説法を聞いて出家し、弟子になったという話だ。教団の尼僧には元遊女もいた。

ガンダーラの仏伝図にそのマンゴー園の布施の話が描かれている。淫靡な雰囲気は全くなく、上品な貴婦人の姿として描かれている。ガニカーはさげすむべき売春婦ではなく、うらやましがられる存在なので、仏典にも大金持ちの功徳者として登場する。

マハーバーラタに登場する一角仙人

一角仙人の物語はマハーバーラタやジャータカほかの仏典に記され、日本に入ってからは、今昔物語、能楽や歌舞伎「鳴神」でも語られる。様々な伝承とその分析については、森雅秀『エロスとグロテスクの仏教美術』に詳しく書かれている。大変面白い本だ。田辺勝美は「一角仙人と高級娼婦」の中で仏典の『大智度論』から紹介している。ジャータカの話は以前に書いた。

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マハーバーラタの伝えるところでは(上村勝彦『マハーバーラタ』、『インド神話』)、聖仙ヴィバーンダカが沐浴していると、天女の中で最も美しいウルヴァシーがやって来る。その姿を見た仙人は思わず精を漏らし、その水を飲んだ牝鹿が妊娠する。そして生まれたのがリシュヤシュリンガで鹿の角が生えている。

アンガ国で祭官が王ともめて宮廷から去り、祭祀が行われなくなったため、雷霆神インドラ(帝釈天)が怒って雨を止めた。王が苦行を積んだバラモンに相談すると、森で父親と住んで苦行をして、女を知らないリシュヤシュリンガを連れてくれば雨が降るでしょうと答えた。

王は悔い改め大臣と相談し、最高級の遊女たちを集めてリシュヤシュリンガを誘惑し、宮廷に連れて来ることを提案した。しかし、遊女たちは苦行者に呪いを掛けられることを恐れて尻込みした。そこに一人の老女が現れて、私が連れてきますと請け負う。娼館のやり手婆だ。若さと美貌を誇る女たちを大勢引き連れて森に行き、自分の娘を派遣する。

リシュヤシュリンガは女の姿を見たことがないので、男の苦行者だと思って向かい入れると、果物や酒で饗応され、毬で遊び、抱きつかれ接吻される。帰った後に恋煩いに陥る。

その事、神の子のように美しい、髪を編んだ梵行者が来た事を父に告げる。その乳房や臍、脇腹や戯れの描写がポルノまがいで聞かせ所である。マハーバーラタは簡潔な韻文だが、おそらくサンスクリット語原文の朗唱者は、地方語で解説しながら身振りを交えて語ったのだろう。

そして父が、それは羅刹だから近づいてはならぬと諭す。しかし、父親不在の間に連れ出し、船に乗せて国王の下に連れて行くと雨が降った。王は喜んで一人娘のシャーンターをリシュヤシュリンガに嫁がせ、それを見た父親も満足してめでたしとなる。父親は結婚を認めたものの、息子が出来たら再び森に帰れと命じた。

跡継ぎの息子が出来ると妻と共に森に帰った。山あり谷あり繁みありの物語だが、四住期の学生期、家長期から林住期に入り、やがては北方のヒマラヤを目指して遊行するというバラモン的な規範を示しているように思える。

500人の美女が森の庵に

鳩摩羅什訳とされる仏典の大智度論巻17に描かれる物語は、これを翻案したものと思われる。娘のシャーンターの名はヴァーラーナシーに住むガニカー、扇陀の名となっている。

ヴァーラーナシーの国王が一角仙人の呪詛を止めるため、五神通を喪失させる事の出来る者を募る。すると比類のない美女のシャーンターが、およそ人である限り落とせない事はないと応募した。500台の鹿車を買い揃え、500人の仲間の美女を集めて森に向かった。様々な強壮剤の丸薬に色を塗って果物のようにする。酒を水と思わせて飲ませようとする。

ガニカーたちは樹皮や草をまとって森を歩き、仙人のごとくに振る舞い、一角仙人のそばに庵を結ぶ。仙人がそれを見つけると500人の美女が花と香で彼を出迎えて饗応する。この庵に住むように勧め、皆で互いに身体を洗う。つまりこすりつけるわけだ。そして、なるようになって五神通を失うと、七日七夜にわたって大雨が降った。

用意した酒も果物も尽きたので王都に向かう。一角仙人は宮殿に住むことになるが、五欲の楽しみを得ても森の閑静な暮らしが忘れられない。森に帰るといって修行し直し、再び、神通力を取り戻すことが出来たという話になっている。

500人の娼婦が森に押しかけて苦行者を誘惑する、簡素なはずの森の庵がハーレムに変わるという面白い話が、なぜ映画にならなかったのかと思う。インド映画にポルノはないが、寺院の彫刻や仏典にポルノまがいがあるのは興味深い。

一角仙人の姿はバールフットにも描かれ、マトゥラーやガンダーラにもある。前2世紀頃にはインド中で様々なヴァリアントが面白おかしく語られていたのだろう。

 

河野亮仙 略歴

1953年生

1977年 京都大学文学部卒業(インド哲学史)

1979年~82年 バナーラス・ヒンドゥー大学文学部哲学科留学

1986年 大正大学文学部研究科博士課程後期単位取得満期退学

現在 天台宗延命寺住職、日本カバディ協会専務理事

専門 インド文化史、身体論

更新日:2023.11.06