天竺ブギウギ・ライト⑤/河野亮仙
第5回 競技スポーツとして定着したカバディ
「カバディ、カバディ」と連呼することだけが知られていた「インド発祥・謎のスポーツ」が、大分、定着しました。4年に一度のアジア競技大会の年には取材が増えてテレビにも出演します。
冬季オリンピックの時だけ注目を浴びたカーリングもまた、マイナーとはいえないくらいの人気スポーツになりました。お菓子を食べてほっこりする、ゆるいスポーツと思われていましたが、藤澤五月選手のボディメイクコンテストにおける活躍で、背筋や体幹の強さを必要とし、厳しい筋トレを行っていることが知られました。筋肉は一日にしてならず、です。
マンガ『灼熱カバディ』のおかげで、カバディも珍スポーツではなく、ちゃんとした競技スポーツとして認識され、愛好者が増えてきました。コンタクトスポーツなのでコロナ禍においては、他のスポーツ以上に対応が大変でした。
「カバディ、カバディ」と声を出すから危ないなどともいわれ、息も絶え絶えでしたが、ようやく息を吹き返してきた感じです。
さて、カバディの歴史については以前に書きましたので、今回は2023年7月22日、23日に行われた東日本大会のことをレポートします。
今回は参加チームが増えて男子18チーム、女子5チームの参加です。協会が公開で毎月練習会を開催しているのでその参加者も多く、カバディをよく知っています。逆にいうと、初期にはルールも知らない急造チームも参加していたのです。
初めてカバディが正式種目となった1990年。北京のアジア競技大会に参加した日本代表チームは、今の高校生にも負けると思います。ここ数年は、女子の参加が少なく試合を組むのにも苦労していましたが、やっと格好が付いてきました。
大学でカバディ部があるのは大正大学だけなので、平成の間は大正大学がカバディ界をリードしていましたが、令和のコロナ禍で部員募集もままならず、今回、大正大学のチーム、大正マイトリーは初戦で敗退しました。高校でカバディ部のある自由の森学園も、高校生であるのにかかわらず、常に上位入賞していましたが、栃木ガーナレンズに初戦敗退。
そのかわり、自由の森学園OGを中心として新チームを結成した摩耶が女子で初優勝。男子決勝は常に優勝争いに食い込むAKS(ABHIJIT KABADDI SANGA)とBUDDHAの闘いとなり、BUDDHAに軍配が上がりました。
茨城や栃木、新潟や鹿児島からもチームがエントリーし、カバディが各地に広まって新しい風が吹きました。
国際的にいうと、ほとんどアジアだけの競技なので、オリンピックに参加するのは難しい現状です。もともとベンガルなど北インドで流行っていたので、初期にはインド、パキスタン、バングラデシュが三強で、そこにネパールや日本が続くという格好で、日本も2010年広州大会で銅メダルを獲得しました。
その後、身体能力の高いイランがインド人コーチを招き、インドに迫るほどのチーム力をつけました。どちらもコシティというレスリングの土壌があります。韓国もセミプロ的な強化策を講じて上位を構成し、台湾も格闘技系の選手が多く参加し、力をつけてきました。
日本チームは今年6月の韓国・釜山における男子アジア選手権で韓国に勝つことができ、インド、イランに次いで、台湾と同率三位を獲得しました。終盤の競り合いで負ける傾向があるので、これを克服すればアジア競技大会でもメダルに手が届きます。
インドは「オレがオレが」という個人技で勝負していますが、日本はチームプレイで守りながら点をコツコツ取る闘い。ここに二、三人飛び抜けたレイダー、攻撃手が若手の中から育つとメダルにぐっと近づきます。サッカーでも点取り屋がなかなか現れないように、日本は組織で戦うチームです。
インド、イラン以外のタイ、マレーシア、インドネシア、韓国、台湾、日本は、やってみないとどちらが勝つか分からない状況です。混戦から抜け出してメダルを獲得するには選手強化が必要で、そのためにはスポンサーを獲得しないと運営が難しい。皆様に物心共に支援をお願いします。
日本カバディ協会
公式ホームページ https://www.jaka.jp/
Twitter https://twitter.com/jaka_kabaddi
河野亮仙 略歴
1953年生
1977年 京都大学文学部卒業(インド哲学史)
1979年~82年 バナーラス・ヒンドゥー大学文学部哲学科留学
1986年 大正大学文学部研究科博士課程後期単位取得満期退学
現在 天台宗延命寺住職、日本カバディ協会専務理事
専門 インド文化史、身体論
更新日:2023.09.15