仲香織の今どきデリー③
インドのコロナ対策
皆さん、この世界的な新型コロナウィルス (COVID-19)の感染広がりの中、何処でどのようにお過ごしでしょうか?私は、日本に帰りたかったけど、帰れず、インドの首都デリーでなんとか踏ん張っております。
3月19日にモディ首相がテレビで演説を行い、コロナウィルスの脅威や今はワクチンが無く、国民の協力なしにこのウィルスへの勝利はないと、とても丁寧な言葉(ヒンディー語)で語り、そして、“JANTA CURFEW”という言葉を連呼しました。“CURFEW” は外出禁止令という意味で、そこに、“JANTA”(=人民の為の)をつけたのは、突然の外出禁止令を和らげる為、または、この外出禁止令が自分達の為ですよという意識付けの心理的作戦であったと思います。19日に発令からインド人は、マスクをつけ、スーパーで買いだめし、3月22日に実行された“JANTA CURFEW”に備えました。この夜の最後、国民はバルコニーに立ち、この状況の中で戦っている医療関係者に拍手や音出しで感謝を伝えました。
インドの警官が外出禁止令を守らなかった人を警棒で殴る画像がYouTubeやFacebook等で拡散され物議をかもしましたが、それは序の口で、その日から、あれよあれよという間に、デリー封鎖、国際線着陸停止、国内線停止、インド全土封鎖、JALやANAが日本人の救済の為の臨時便運航、そして、5月末までのインド⇔日本便運休を発表。
インドのこの無謀に見えた見事で素早い対応は世界中からも注目されました。現在の所、インドの感染者は1万人超え程度で、インドの人口を考えるとロックダウンの功績と見れるでしょう。
しかしインドのあまりにも早い政策は、自分の家に帰りたい日雇い労働者がバス停に群がり、いつ出るか分からないバスを待ち、その日の食べ物がない貧しい人達を襲いました。結局、モディ首相はバスを出さず、謝罪し、更なる食料支援を強調しました。色々な議論はありましたが、個人的には、十何億とも言われているインド人人口。まだまだ、とてつもなくインドは貧しい。もしこのウィルスが地方に蔓延すれば、何千、何億という人が亡くなると思います。
ロックダウン疲れが出始めた4月5日に国民は21時から9分間、部屋の明かりを消し、バルコニーに立ち、ロウソクに明かりを灯し、コロナと戦う連帯感を表しました。私のエリアでは最後にはバジャン(神様に対する歌)の大合唱となり、インドらしさ満載で感動しました。因みに身内はイスラム教徒なので、このロウソク5ルピーで貧しい人が救えるだろ?!としらけムードでしたが、、。
さて、私のデリーのロックダウン中の生活ですが、朝毎日来てくれていたメイドももちろん来れなくなり、自分で掃き掃除、拭き掃除から始まり、朝ヨガ、食事作り、(たまに在宅で仕事)、ゴミを取りに来てくれないので、ゴミ収集車が来たらゴミを持って走り、Zoomでのオンラインインド舞踊ステップ練習、そして、日用品の買い物、食事作りと毎日、毎日、同じ日常を繰り返しています。
日用品の買い物は、あらゆるゲートが封鎖され、恐らく住んでいるエリアで1つしか門が開けられていないと思います。薬局と野菜屋、ミルクやスパイスなど生活必需品を取り扱う小さなパパママショップだけ開いています。店の入り口にはロープが引かれ、店の外側から商品名を叫びます。店の前の道路には、間隔の開いた丸い円が描かれ、ソーシャルディスタンシングを遵守しています。少し大きめのスーパーでは2.3人程度しか店の中に一度に入れず、店の前で人数制限、入店前にはおでこで検温、手にはサニタイザーと徹底。警察がそこら中にいて、監視しています。
デリーでは現在60か所のホットスポット(封じ込めエリア)が設けられ、既に感染者が出ているエリアは更なる厳しい外出禁止令を設け、完全デリバリーのみでまかなうように命じられました。私のエリアは幸い、まだこのホットスポットに入っていませんが、これを機に、デリバリーで食料品を頼む事が増えました。問題は、さすがインド。デリバリーサイトが上手く機能していません。。。初めて、牛乳や肉をデリバリーしてみました。牛乳は少し高めですが、美味しく日本の牛乳の味がしました。肉は、驚くほど、防腐剤の臭いがし、どんなにスパイスをつけても消えないという恐ろしさ!!インドの闇をここでも見ました。防腐剤無しを明記している店を選ぶ事をお勧めします。
現在の所、4月14日までの予定のロックダウンが5月3日まで延長されました。
ここまで頑張ったのだから、今解除してしまうと今までの苦労が水の泡と、この延長に好意的な国民がほとんどだったと思います。自分の命、自分達の愛すべきインドを救う為、私たち一丸になって戦っています!皆様もどうぞ、ご自愛ください。
仲香織
東インド古典舞踊オディッシー舞踊家。
現在ニューデリー在住。京都とカナダでインド舞踊の基礎を学び、その後、インド政府奨学生としてデリーとオリッサに留学。
更新日:2020.04.20