タゴール『子供時代』⑱

第12章

やがて、ぼくが家庭を持つようになってから (1) 、三階の部屋に、また新たな幕が開かれたのだった ……

かつて、稲倉 (2) 、駕籠 (3) 、そして三階の屋上の空き部屋が、ベデ(遊牧民) (4) としてうろつき回るぼくの束の間の住処だった — あっちに行ったり、こっちに来たり。そこに義姉さんがやって来て、その部屋の前に庭園が姿を現した。三階の部屋にピアノが来て、いろんな新しい調べの清流が奔った。

東側にあった屋根裏部屋 (5) の蔭で、朝、ジョティ兄さんはコーヒーを飲む用意をした。そんな時、兄さんは、何か新しい劇の、できたての草稿を読んで聞かせてくれた。そうしながら、時にはぼくにも、何か書き加えるよう、声がかかることがあった — まだまだ、下手くそな詩行しか思い浮かばなかったのに (6) 。だんだん日が高くなる — 烏たちは屋上で羽を伸ばし、パンのかけらを狙って呼び交わす。10時には、影は萎(しぼ)み果て、屋根は燃えるように熱くなる。

真昼時になると、ジョティ兄さんは、下の階の事務所に行く。義姉さんは、果物の皮を剥いて小さく切り刻み、銀の皿の上に丁寧に並べる。手製の甘菓子が少し添えられていて、その上にはバラの花びらが散らしてあった。グラスにはココナツの汁か、果汁か、ウチワヤシの柔らかい実 (7) を氷で冷やしたものが入っていた。その全部を花模様の絹のハンカチで覆い、ムラーダーバード製 (8) の小盆の上に載せて、おやつの時間の1時か2時頃、事務所に送り届けた。

その当時、『ボンゴドルション』誌 (9) が大流行(はやり)だった — シュルジョムキ、クンドノンディニ (10) が、自分たちの家族のように家々を往き来した。何が起き、これからどうなるか、ベンガル中の人びとが固唾を呑んで見守っていた。

『ボンゴドルション』誌が届くと、近所界隈では、昼間、誰の目にも眠りは来なかった。ぼくにとって便利だったのは奪い合う必要がなかったことだ。なぜなら、ぼくには読んで聞かせるのが上手だという、利点があったから。自分ひとりで読むより、ぼくが読むのを聞く方が、義姉さんは好きだったのだ。その頃はまだ扇風機はなかった — でも、読んでいたおかげで、義姉さんが扇で煽ぐ風の一部を、自分のものにすることができた。

訳注

(注1)タゴールがムリナリニ・デビ(1873-1902)と結婚したのは、1883年12月、タゴール22歳の時。翌1884年4月にカドンボリ・デビは自死する。
(注2)第7章後半(『子供時代』⑪)参照。
(注3)第2章後半(『子供時代』⑤)参照。
(注4)第2章後半(『子供時代』⑤)の(注6)参照。
(注5)第8章後半(『子供時代』⑬)参照。
(注6)ジョティリンドロナトの戯曲『ショロジニ』(1875)、『夢見る女』(1882)等に、タゴールの歌や詩が挿入されている。
(注7)ウチワヤシ(パルミラヤシ)は高さ30メートルに達する高木で、頂に掌の形をした、大きな葉を群がりつける。黒褐色の光沢ある核果をつける。この核果が十分熟する前に、その核のまわりを、寒天質のほの甘い味の胚乳が覆う。(西岡直樹『インド花綴り』参照。)
(注8)ウッタル・プラデーシュ州の町。真鍮製の食器の製造で名高い。
(注9)ボンキムチョンドロ・チョットパッダエ/チャタルジ(1838-1894)によって、1872年4月に創刊された、月刊の文芸総合誌。1876年3月まで刊行された。掲載の写真は、1872年4月(ベンガル暦1279年ボイシャク月)発刊の第1号の表紙(「カルカッタ小雑誌図書館」(Kalikata Little Magazine Library)所蔵)。雑誌名の「ボンゴ」は「ベンガル」、「ドルション」は「拝観、謁見、観察」等を意味する。
その後、彼の兄ションジブチョンドロ・チョットパッダエ(第2次)、スリシュチョンドロ・モジュムダル(第3次)によって断続的に引き継がれ、1901年からは、タゴール編集による第4次『ボンゴドルション』が刊行される。
(注10)ボンキムチョンドロの長編小説『毒の木』に登場する、二人の女主人公。寡婦の再婚と多重婚をテーマにしたこの小説は、『ボンゴドルション』誌に連載の後、1873年に単行本として刊行された。

大西 正幸(おおにし まさゆき)

東京大学文学部(英語英米文学科)卒。オーストラリア国立大学にてPhD(言語学)取得。
1976~80年、インド(カルカッタとシャンティニケトン)で、ベンガル文学・口承文化、インド音楽を学ぶ。
ベンガル文学の翻訳に、タゴール『家と世界』(レグルス文庫)、モハッシェタ・デビ『ジャグモーハンの死』(めこん社)、タラションコル・ボンドパッダエ『船頭タリニ』(めこん社)など。現在、めこん社のホームページに、近現代短編小説の翻訳を連載中。
https://bengaliterature.blog.fc2.com//

更新日:2022.05.20