タゴール『子供時代』⑰

第11章(後半)

ジョティ兄さんは乗馬が好きだった。義姉さんにも乗馬させて、チトプル・ロードを通ってイーデン庭園 (1) まで、一緒に散歩に出かける、といったことすらあったのだ。シライドホでは、ぼくに仔馬をあてがってくれた。でもそいつは、ゆっくり駆けるような相手ではなかった。兄さんは、ぼくに馬駆けさせるため、ロトトラの野原 (2) まで送り出した。でこぼこの野原で、あやうく落っこちそうになりながらも、何とか馬を走らせることができた。ぼくが馬から落ちることなんかあるまい、という兄さんの堅い信念があったので、落馬せずに済んだのだ。しばらく後になって、兄さんは、カルカッタの街頭でもぼくに乗馬させた。その時は仔馬ではなく、かなり気の荒い馬だった。その馬は、ある日、ぼくを乗せたまま正門を過ぎ、そのまままっすぐ、飼い葉のある中庭めざして駆け抜けた。その次の日から、ぼくはこの馬と袂を分かったのだった。

ジョティ兄さんが銃撃に熟達していたことは、前に書いた。虎狩りをしたいという願望があったのだ。猟師のビッショナトが、ある日、シライドホの森の中に虎が出た、と知らせてきた。兄さんはすぐさま銃を持ち出して準備した。そして驚くなかれ、このぼくも一緒に連れ出したのだ。何か困ったことが起きるかもしれない、などという懸念は、まったく頭になかったようだ。

ビッショナトは、本当の狩猟の達人だった。彼にとって、竹を組んだ高台の上から狩りをするなんてことは、男のすべきことではなかった。虎を目の前に呼び寄せて銃で撃ったものだ。一度として狙いを外したことはなかった。

深い森だ。そんな森では光と影が入り乱れて、虎の姿はどうやっても目に入ろうとしない。一本の太い竹の、横に延びる細枝を短く切って、梯子のようなものにすると、ジョティ兄さんは、銃を手にそれに上った。ぼくの足には靴すらなかった — 虎が追いかけてきたら、それで頭を叩いてやることすらできない。ビッショナトが合図した。それでもジョティ兄さんには、長いこと、その姿が見えなかった。目を凝らしに凝らして、とうとう、茂みに隠れた虎の胴体の斑点のひとつが、メガネをかけたその目に入った。銃を撃った。運良くそれは、虎の背骨に当たった。虎はもう、起き上がることができなかった。目の前に転がっていた木の切れ端に噛みつき、尻尾を振り回しながら、すごいうなり声をあげ続けた。今になってみると、何だか胡散(うさん)臭く思う。死が迫っているのに、あんなに長い間、辛抱強く待っているなんてことは、虎の本性にはないはずだ。前の晩、虎を騙して、その食い物の中に、阿片でも混ぜたんじゃないだろうな! あんなに長く眠っていたのは、どうしたわけだ!

あと一度、シライドホの森に、虎がやって来たことがある。ぼくら兄弟二人で、森に虎狩りに出かけた — 象の背にまたがって。象は、サトウキビ畑からサトウキビを引っこ抜いてバリバリ食みながら、背中を地震のように揺らし、重々しい足取りで前に進む。とうとう森に行き着いた。象は、木々を膝で押さえつけ鼻で引きつけて、地面に倒し始めた。以前、ビッショナトの弟のチャモルから、こんな話を聞いていた — 虎が跳びかかって象の背に乗り、爪をずぶっと食い込ませて張り付くとなると、とんでもないことが起きる。象はぐゎーぐゎー叫びながら密林の中を駆け回り、背中に乗っている人たちはその鼻に当たって、手も足も頭もどこかに吹き飛ばされてしまうのだ、と。その日、象の背にまたがりながら頭の中にあったのは、つまるところ、この骨が粉々に砕かれる絵だ。恥ずかしいので怖がっていることは隠していた。怖い物知らずのフリをして、右に左に顔を巡らし続けた — 虎の姿を、一度でも目にしたいものだ、とでも言いたげに。象は森の深みに分け入った。ある場所まで来て、立ち竦んだ。象使いは象をたきつけようとすらしなかった。相手を餌食にせんとして向かい合っている、二つの生き物を比べて、象使いの軍配は、虎のほうに上がっていたのだ。ジョティ兄さんが虎を傷つけて死に物狂いにせることを、彼は何よりも恐れていたに違いない。突然、虎は、茂みの中から一跳びに跳び出した。それはまるで、雲の中から飛び出した、稲妻を伴う嵐の一撃のようだった。ぼくら猫や犬やジャッカルに見慣れている者の目には、それは、頭の先から爪の先まで力の塊、それでいてまるで重さがないかのように映った。遮るもののない田圃の中を、昼ひなかの陽射しを浴びて、虎はいっさんに駆けた。その迅速な動作の、何と美しく、自然だったことか! 田圃は刈り入れが終わっていた。疾駆する虎を心ゆくまで見るのに、まさにうってつけの場所だったのは間違いない — あの、陽光がさんさんと降り注ぐ、黄に染まった、広大な田圃。

もう一つ、言い残したことがある — 聞くと面白く感じるかもしれない。シライドホでは、庭師が花を摘んできて花瓶に生ける習慣があった。それを見て、ぼくは花の汁で詩を書こうという気紛れを起こした。花びらを絞り出して得る僅かな汁では、筆先にうまく載ろうとしない。機械を一つ作る必要がある、と思いついた。穴が開いた木の器が一つ、その上に回転するすりこぎがあればいいだろう。紐でくくった車輪を使って、それをぐるぐる回せばよい。ジョティ兄さんに直訴した。兄さんは内心笑っていたかもしれないけれど、そうした素振りは見せなかった。通達を出し、木材を持って指物師がやって来た。機械が完成した。花がいっぱいの木の器の上で、紐で縛ったすりこぎを何度回しても、それは潰れて泥のようになり、汁は出てこない。ジョティ兄さんの見るところ、花の汁と機械の圧搾とは、韻律が合わなかったのだ。それでもぼくを笑い物にはしなかった。

一生のうちで、これがただ一度、ぼくが工学に手を出した時だった。自分にふさわしくないことを思いつく者を額づかせるために、待ち受けている神様がいらっしゃる、と聖典に記されている。その神様が、この日、ぼくの工学技術に冷ややかな視線を投げたのだ — それ以来、ぼくが機械に手を染めることは御法度になった。シタールやエスラジ (3) の弦を張り替えることすらない。

『人生の追憶』に書いた通り、ジョティ兄さんは、ベンガルの河川に国産の船を運行しようとして、フロティラ会社 (4) と競った結果、財産を使い果たしてしまった。その頃には、義姉さんはもう、この世になかった。ジョティ兄さんは、彼の三階の住まいをとり毀して、去って行った。最後は、ラーンチー (5) のある山の上に、住居を構えた。

訳注

(注1)「イーデン庭園(ガーデン)」については、第4章(『子供時代』⑦)(注1)参照。
(注2)「ロト(山車)=トラ(本拠)」。タゴール家の管理事務所より南東1キロほどのところにある、ゴピナト寺院の広場。寺院に、ゴピナト神の姿を彫りつけた巨大な木製の山車があったことから、この名がある。(「ゴピ(牛飼い女)=ナ(ー)ト(主)」は、クリシュナ神の別名。)
(注3)パンジャーブとベンガル地域で用いられる、フレットがついた弓奏の弦楽器。ヒンドゥスターニー古典音楽の独奏や伴奏のほか、ベンガルでは、タゴール歌曲の伴奏に用いられる。
(注4)蒸気船を購入して、東ベンガルのクルナ〜ボリシャル間を運行するが、同路線を運行するイギリスのFlotila Companyとの価格競争に敗れ、破産・撤退する。
(注5)ラーンチーは、現インド・ジャールカンド州の州都。ジョティリンドロナトは、1912年、この町の北郊外にある高地、「モーラーバーディーの丘」に家を建て、余生を過ごす。現在、この場所は「タゴール・ヒル」と呼ばれ、観光地になっている。

大西 正幸(おおにし まさゆき)

東京大学文学部(英語英米文学科)卒。オーストラリア国立大学にてPhD(言語学)取得。
1976~80年、インド(カルカッタとシャンティニケトン)で、ベンガル文学・口承文化、インド音楽を学ぶ。
ベンガル文学の翻訳に、タゴール『家と世界』(レグルス文庫)、モハッシェタ・デビ『ジャグモーハンの死』(めこん社)、タラションコル・ボンドパッダエ『船頭タリニ』(めこん社)など。現在、めこん社のホームページに、近現代短編小説の翻訳を連載中。
https://bengaliterature.blog.fc2.com//

更新日:2022.05.08