タゴール『子供時代』⑬

第8章(後半)

ぼくの生活の中で、青空の下のこの屋上 (1) は、またとない自由の領土だった。子供の頃から大人になるまで、ぼくのさまざまな日々は、この屋上で、さまざまな仕方で過ぎていった。父さん (2) が家にいる時には、その居場所は三階の部屋だった。屋根裏部屋の蔭に隠れて、何度遠くから見たことだろう、まだ太陽が昇る前、白い石像のように、屋上に黙然とすわっている父さんの姿を — その膝の上には、手が組まれていた。折に触れて、父さんは、長い期間、山ごもりのために家を離れることがあった。そんな時は、ぼくにとって、この屋上に行くのが、七つの海を越えて行くような喜びだった。下の階の日々の生活では、ベランダにすわって、手すりの間から路上の人びとの往来を見るのがせいぜいだ。いっぽう、屋上に上がるとは、人びとが生活する世界の仕切り柱を越えていくことだった。そこに行けば、心は、カルカッタの頭上を、一歩一歩踏み越えていく — 空の果ての青が、地上の果ての緑と溶け合う、はるか彼方に向けて。いろんな家のいろんな造りの、高低さまざまの屋上が目に映る — 合間合間に、もじゃもじゃもつれた木々の頭が見え隠れする。ぼくは、真昼時になるとしょっちゅう、足を忍ばせて屋上に上がったものだった。真昼時は、いつも決まってぼくの心を虜にした。あたかもそれは、昼日中に訪れた夜、少年修行者の心が現世を離れる時間だった。開き窓の隙間に手を突っ込み、部屋の入り口の掛け金を外す。扉の真ん前にソファーがひとつ — そこにたったひとり、腰を下ろす。ぼくを逮捕するはずの見張り番たちは、おなかいっぱい食べて眠気がさし、伸びをしながらゴザいっぱいに身体を横たえ、眠りに落ちている。

陽は赤みを増し、鳶は鳴きながら空をよぎる。前の路地では、腕環売りが呼ばわりながら過ぎていく。 — あの頃の真昼時の、あのしんとした時間は、今はもうない。しんとした時間を行き交う、あの物売りたちの姿も。

時に彼らの呼び声が届くこともあった — 兄嫁たちが枕の上にほどけた髪を広げて寝ている、家の一番奥にまで。女召使いたちが彼らを家に呼び寄せる。年老いた腕環売りは、彼女たちの好みに合った、水晶のような切子面のガラスの腕環を、その可愛らしい手を絞りながら腕に通す。その頃のこうした「嫁」たちは、今日では、いまだ「奥様」としての資格を得ることなく、2年生のクラスで教科書を暗記しているのだ。そしてあの腕環売りはと言えば、今もその同じ路地裏で、人力車を引きながらうろついていることだろう。屋上は、本で読んだままのアラビヤの沙漠となり、四囲に遮るものなく茫々と広がる。熱風が埃を撒き散らしてびゅうびゅう吹き荒れ、空の青は次第に白味がかってくる。

この屋上の沙漠に、その時、オアシスがひとつ現れたのだ。今日では、水道の水が上の階にまで届くことはない。でもその頃は、三階の部屋にも水道が来ていたのだ。こっそり潜り込むことのできる浴室 — それを、ベンガルの幼いリビングストンが、今まさに発見したところだ。水道の栓をひねると、流水が全身を浸した。ベッドの上のショールを一枚取って身体を拭い、何事もなかったかのようにすまし込んだ。

休暇の日は、あっという間に終わりに近づく。下の正門の鉦が4時を知らせる。日曜の夕刻の空は、嫌らしく顔をしかめている。すぐそこにあんぐり口を開けて待ち構えている月曜日の影が、それを蝕(むしば)み始めたのだ。下の階ではようやく、見張りの目を逃れて行方をくらました子供の探索が始まる。

おやつの時間だ。これこそブロジェッショル (3) が赤ペンで印をつけた、一日のハイライト。おやつを買うのは、彼に任されていた。この頃の店店は、まだ、バター油の代金の中から、百ルピーに3〜40ルピーの割合でピンはねするような真似はしなかった。よけいな味付けをして、おやつを台無しにすることもなかった。だから、もしコチュリ (4) やシンガラ (5) が出て来たとしたら、大喜びでそれを口に入れていただろう — じゃがいもの汁無しカレーでさえ、喜んで食べたに違いない。でも、ブロジェッショルが、いつもの捻れた肩をさらに捻りながら、「さあ、お坊っちゃま、今日は何を買ってきたか、当ててご覧なさい!」と言って取り出すのは、ほとんどの場合、炒った南京豆入りの紙筒だったのだ。ぼくらがそれを、特に嫌いだったわけではないけれど、彼がそれを好んだのは、その安い値段のためだった。ぼくはそれでも、いつも一言も文句を言わなかった。ウチワヤシの葉っぱを丸めた筒から、ゴマをまぶしたゴジャ (6) が出てきた時でさえも。

昼の光は次第に濁ってくる。気分が滅入ったまま屋上に一度上がり、下のほうに目を凝らす — 池からは、家鴨の一隊が、もう陸に上がっている。池の水浴場(ガート)には人びとが行き交い始め、バンヤン樹の影はその水面の半分を覆い、道路からは馬車の馬丁たちの呼び声が響いてくる。

訳注

(注1)詩画集『俚謡の絵』掲載の、「空」と題する詩に付随するノンドラル・ボシュの絵を、下に転載した。(なお、『俚謡の絵』の版権は、現在、ビッショ=バロティ(タゴール国際)大学に属しています。この絵の掲載を許可してくれた同大学に感謝いたします。)
(注2)デベンドロナト・タクル(1817-1905)。
(注3)第6章(『子供時代』⑨)参照。
(注4)ケツルアズキ(第6章(『子供時代』⑨)(注2)参照)などの豆類を詰め物にして揚げた、丸パン。
(注5)皮付きのジャガイモやカリフラワー、豆などのカレーを詰めて、三角形の形に揚げた軽食。北インドの「サモサ」に似るが、それより小振りで香辛料も少ない。
(注6)小麦粉と糖蜜で作った、安価な甘菓子。第3章(『子供時代』⑥)の(注9)参照。

大西 正幸(おおにし まさゆき)

東京大学文学部(英語英米文学科)卒。オーストラリア国立大学にてPhD(言語学)取得。
1976~80年、インド(カルカッタとシャンティニケトン)で、ベンガル文学・口承文化、インド音楽を学ぶ。
ベンガル文学の翻訳に、タゴール『家と世界』(レグルス文庫)、モハッシェタ・デビ『ジャグモーハンの死』(めこん社)、タラションコル・ボンドパッダエ『船頭タリニ』(めこん社)など。現在、めこん社のホームページに、近現代短編小説の翻訳を連載中。
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更新日:2022.03.30