タゴール『子供時代』⑧

第5章

ぼくらの時代の少し前、金持ちの家では、趣味人たちの、娯楽のための芝居が流行していた。女の子のような声の男の子たちを選んで、芝居のグループを作ることが流行(はや)っていたのだ。ぼくの父のすぐ下の叔父さん (1) は、こうした娯楽芝居のグループのリーダーだった。芝居を創作する力があったし、子供たちを役者に仕立てるのにも熱心だった。このような、金持ちの庇護の下にある芝居グループだけでなく、ベンガルの人びとは、その頃、職業集団による芝居にも熱を上げていた。あちらの村、こちらの村で、名の知られた指導者の下、芝居の一座が雨後の筍みたいに出現した。こうした一座の座長の誰もが、高位の出自(ジャーティ)の出身だったり、読み書きに秀でていたりしたわけではない。彼らは自分の実力で名を成したのだ。ぼくらの家でも、よく、職業集団による芝居の公演があった。でもどうすることもできなかった –– まだ子供だったのだから。見ることができたのは、最初に公演の準備をしているところだけ。ベランダの隅から隅まで、芝居の一隊が占拠し、四方からタバコの煙があがっている。男たちは皆長髪で、目は墨で隈取られている。年端もいかないうちから、その顔は大人びていて、パーンの噛みすぎで唇は黒ずんでいた。扮装用の材料は、色塗りのブリキ箱に入っていた。家の正門の扉は開いていて、人の群れが、そこから中庭にぞろぞろ入って来た。四囲からふつふつと喧噪が湧き立ち、その響きは路地裏から溢れ出て、チトプルの大通り (2) にまでこぼれ落ちた。そうこうするうち、夜9時になる –– 小鳩の背中に鷹が襲いかかるように、召使いのシャームが突然現れて、その胼胝(たこ)のできたがっしりした手で、ぼくの肘をぎゅっとつかんで言う、「お母様が呼んでいますよ、さあ、もう寝る時間です。」 皆の目の前でこんなふうにひきずられていくのが、恥ずかしくてたまらず、俯いたまま、すごすごと寝室に足を運んだ。外では賑やかな騒ぎが続き、シャンデリアが煌めいている。ぼくの部屋はコトリとも音がせず、ランプ台の上では、黄銅の灯皿に明かりがちらちら揺らめいている。夢うつつの中、間を置いて、踊りのリズムがぴたりと決まり、合わせ鉦 (3) がじゃんじゃん鳴るのが耳に入る。

何もかも禁じるのが、大人たちの方針だった。でも一度だけ、どういうわけか彼らの心が寛容になり、子供たちも芝居を見てよろしい、というお布告(ふれ)が出たことがあった。ナラ王=ダマヤンティー妃 (4) の物語だった。芝居が始まる前、夜の11時までベッドで眠っていた。時間になったら起こしてあげると、何度も言い聞かされた。でも、目上連中のやり方はわかっていた、その言葉は信用できない –– だって、彼らは大人で、ぼくらは子供なのだから。

その夜はでも、いやがる身体を引きずって、どうにかベッドに潜り込んだ。その理由のひとつは、母さんが、自分でぼくを起こしてくれると言ったからだ。あとひとつ、理由があった。9時の後、自分を眠らせないためには、ずいぶんいろいろ、無理をしなければならなかったのだ。やがて、眠りから起こされ、外に連れ出される時が来た。眩しくて目がチカチカした。一階も二階も、色鮮やかなシャンデリアから、光がキラキラ四方に飛び散っていて、敷物に白く覆われた中庭は、ものすごく広く見えた。その一方を、家の主人たち、その招待客たちが占めている。残りの場所は、芝居を見たくて、どこからともなくやってきた連中でいっぱいだ。家で娯楽演劇があった時には、見に来るのはおなかに金鎖をぶら下げた、高名な人たちばかりだったけれど、この芝居の場は、金持ち貧乏人の別なく、いろんな見物人でぎゅう詰め。そのほとんどは、良家の人が「卑しい連中」と呼ぶような人たちだった。出し物もまた、それに見合って、葦の筆で身を立て、英語の練習帳をなぞるなどということはした試しがない、田舎出の脚本家の手になる歌物語だった。その調べ、その踊り、その筋書きは、すべてベンガルの草の根から生まれたものだ。その言葉は、学者先生たちの手で磨かれてはいなかった。

観客席の兄さんたちの傍にすわると、ハンカチに包んだ小銭が、ぼくらに手渡された。喝采すべき頃合いを見計らって、投げ銭をするのが、習慣(ならい)だったのだ。これが役者たちへの祝儀となり、また、招待した家人たちの評判を高めるのにも役立った。

夜は尽きつつあるのに、芝居はなかなか尽きようとしない。公演の最中に、くたびれ切った身体を横抱えに抱えて、誰がどこに連れ去ったか、知ることすらできなかった。知っていたら、恥ずかしくてたまらなかったことだろう –– 大人たちと同列に祝儀を投げている人間に、中庭を埋め尽くす観客の目の前で、こんな恥辱を与えるとは! 眠りから覚めてみると、母さんのベッドの上だった。周囲はすっかり明るくなって、陽射しがさんさんと照りつけている。日が昇ったのにぼくが起きていない、なんてことは、それまであった試しがなかった。

今日、都会では、川が流れるように、娯楽に溢れている。息をつく隙すらない。毎日、いつかどこかで必ず映画があり、誰もが僅かなお金で、好きなように入場することができる。昔の歌芝居は、乾いた川底の砂を何キロおきかに掘り起こし、水を汲み出すようなものだった。水は何時間か続くだけ。たまたま通りかかった行人が、両掌でそれをすくい取り、何とか喉の渇きを癒やしたのだ。

昔の時代は、王子様。祭祀祭礼の時節が訪れると、気が向くままに、自分の領民に施し物を授ける。今日の時代は、商売人のお坊っちゃま。ありとあるきらびやかな商品を並べ、目抜き通りの街角で店開きする –– 買い手は集まる、大通りからも、路地裏からも。

 

訳注

(注1)タゴールの祖父、ダロカナト・タクル(1794-1846)には、三人の息子がいた。タゴールの父デベンドロナト(1817-1905)は、長男。ここで言及されているのは、次男ギリンドロナト(1820-1854)。三男はノゲンドロナト(1829-1858)。ギリンドロナトは、近代インドを代表する画家オボニンドロナト・タクル(1871-1951)の祖父。
(注2)当時のチトプル・ロード(Chitpur Road)、現在のロビンドロ・ショロニ(Rabindra Sarani)。
(注3)「コロタル」、真鍮でできた一対の小型のシンバル。左右の掌に持ち、合わせて打ち鳴らしながら、歌や踊りのリズムをとる。
(注4)『マハーバーラタ』第3巻(森林の巻)の中の挿話、名高い恋愛譚。岩波文庫の『ナラ王物語』(鎧淳訳)参照。

大西 正幸(おおにし まさゆき)

東京大学文学部(英語英米文学科)卒。オーストラリア国立大学にてPhD(言語学)取得。
1976~80年、インド(カルカッタとシャンティニケトン)で、ベンガル文学・口承文化、インド音楽を学ぶ。
ベンガル文学の翻訳に、タゴール『家と世界』(レグルス文庫)、モハッシェタ・デビ『ジャグモーハンの死』(めこん社)、タラションコル・ボンドパッダエ『船頭タリニ』(めこん社)など。現在、めこん社のホームページに、近現代短編小説の翻訳を連載中。
https://bengaliterature.blog.fc2.com//

更新日:2021.10.23