タゴール『子供時代』③

序詩:少年1

その頃 ぼくは 幼くて

身体も とっても 軽くって、

まるで 小鳥のようだったけど

翼は生えて いなかった。

隣に見える 屋上からは

野鳩の群が 飛び立って、

庭を見下ろす 手すりには

烏が止まって かあと鳴いた。

向こうの路地を 行き過ぎながら

呼ばわる 物売りたちの声、

籠にうごめく トプシェ魚2

濡れ手拭いが かぶせてあった。

 

屋上にいる 兄さん3

肩に ゆらゆら バイオリン、

奏でる調べは 夕暮れの

空に輝く 星のよう。

英語の教科書 うっちゃって

義姉(ねえ)さん4のとこに 仲間入り —

やさしい顔を ふんわり包む

真っ赤な縁どり すてきなサリー。

お部屋の鍵を こっそり盗んで

花瓶の中に 隠してみたり、

いろんな悪戯(いたずら) やらかして

怒らせちゃった ものだった。

 

お日様 沈むと どこからか

キショリ・チャトゥジェ5の お出ましだ —

左の手には 水煙管、

肩から だらり ショールを垂らし、

勢い込んで 朗唱するのは

ラヴァとクシャ6の 物語 

ぼくのノートは 詩でいっぱいで

教科書なんか 開きもしない。

ほんとは だあれも 知らないうちに

家から こっそり 抜け出して、

芝居の一座に 潜り込むのが

ぼくの 夢だった —

そしたら 試験 すっぽかして

見たこともない 村から村へ

歌物語 歌いながら

旅することも できたんだ。

 

学校がやっと 休暇(やすみ)になって

おうちまで来て ふと見上げると、

雲が もくもく 降りてきて

屋上にまで 懸かってる。

空を引き裂く 土砂降りの雨

道路はどこも びっちゃびちゃ —

管から落ちる 雨水は

象の ながーい お鼻みたい。

暗闇のなか 耳を澄ませば

しんしんと降る 雨の音、

人っ子ひとり 見えない荒れ野で

道に迷った 王子様。

 

地図の上には いろんな山や

いろんな川の 名前があった、

クエンルン ミシシッピ

ヤン シー キヤン —

知ってるような 知らないような

遠いお国の 不思議な響き。

いろんな色の いろんな糸で

頭の中は 網の目だらけ、

いろんな音の 調べに乗って

あっちこっち 行ったり来たり、

何にもかもが ひとつになって

なんだか 軽い 心の世界、

いろんな思いが そのなかを

ふんわり ふわり 漂っている —

あふれる 川面の 浮き草か

群雲(むらくも)の下の 小鳥のように。

 

 

訳注

(注1)詩画集『俚謡の絵』14番目の作品の転載。なお、この詩に付随するノンドラル・ボシュの絵は、『子供時代』にはないが、『俚謡の絵』掲載のものをここに転載した。ノンドラル・ボシュ(1882-1966)はインド近代美術を代表する画家。1921年、シャンティニケトンにビッショ=バロティ(タゴール国際)大学が設立された際、初代の芸術学部長に就任、大学の発展に大きく貢献した。
(なお、『俚謡の絵』の版権は、現在、ビッショ=バロティ(タゴール国際)大学に属しています。今回、この絵の掲載を許可してくれた同大学に、深く感謝いたします。)
(注2)ツバメコノシロ科の魚、英語名paradise threadfin。20センチほどの、長い髭をもつ薄黄色の海水魚で、ベンガルでは好んで揚げ物にして調理される。
(注3)タゴールの五番目の兄、ジョティリンドロナト・タクル(1849-1925)。
(注4)ジョティリンドロナト・タクルの妻、カドンボリ・デビ(1859-1884)。
(注5)キショリ・チャタルジ(チョットパッダエ)。「チャトゥ(ッ)ジェ」はチャタルジの口語形。タゴールの父、デベンドラナト・タクルの従者で、かつてパンチャリ(ヒンドゥー神話に基づく歌物語)の一座を率いていたと言う。
(注6)ラーマ王とシーター妃の間に生まれた双子の兄弟。貞操を疑われラーマに追放されたシーターが森で出産し、聖者ヴァールミーキに育てられる。成長して後、ラーマの弟ラクシュマーナが率いる軍隊と闘って打ち負かし、最後にはラーマに正嫡として王宮に迎えられる。(『ラーマーヤナ』第7巻(後巻))

大西 正幸(おおにし まさゆき)

東京大学文学部(英語英米文学科)卒。オーストラリア国立大学にてPhD(言語学)取得。
1976~80年、インド(カルカッタとシャンティニケトン)で、ベンガル文学・口承文化、インド音楽を学ぶ。
ベンガル文学の翻訳に、タゴール『家と世界』(レグルス文庫)、モハッシェタ・デビ『ジャグモーハンの死』(めこん社)、タラションコル・ボンドパッダエ『船頭タリニ』(めこん社)など。現在、めこん社のホームページに、近現代短編小説の翻訳を連載中。
https://bengaliterature.blog.fc2.com//

更新日:2021.07.05