シルクロードの東端で、インド仏教の時間を歩く(その三)

「知」の巡礼から「行」の実践へ 

前回までは長安の寺々を巡り、インドからシルクロードを経て伝わった大乗仏教の壮大な思想体系を辿ってきた。それは、各時代の学僧たちが「人間とは何か」「この世の本質とは何か」という問いに命を懸けて向き合い、築き上げた「知」の結晶だった。 

しかし、仏教にはそれらとは一線を画す、もう一つの大きな流れがある。それが今回訪ねた「禅」の教えだ。 

禅には「教外別伝(きょうげべつでん)」、あるいは「不立文字(ふりゅうもんじ)」という立場がある。真理や悟りは、言葉や文字だけで表し尽くせるものではない。理屈で理解するのではなく、自らの身体的な体験を通してのみ体得できる、という考え方だ。 

この教えは6世紀初頭、達磨大師によってインドから中国へ伝えられ、700年の時を経て、天童寺第31世住職・如浄(にょじょう)禅師へと受け継がれた。日本の道元禅師は、まさにここ寧波の天童寺で如浄禅師に師事し、その真髄を継承した。道元が受け継いだ「只管打坐(しかんたざ)」――余計な考えを脇に置き、ただひたすらに坐る伝統は、今も永平寺と總持寺の両大本山へと脈々と受け継がれている。 

 

天童寺天王殿。今にも降り出しそうな空のもと、この修行寺は静かに私達を迎えてくれた。 

 

雨の天童寺:時空を超えた師弟の語らい 

長安での「知を巡る旅」は、寧波での「行(実践)を巡る旅」へと深まっていく。 雨の降る寧波。市内からタクシーで1時間ほど走った太白山の麓に、天童寺はあった。観光地として賑わう西安の寺とは対照的な、修行寺らしい静寂が漂っていた。 

 


大雄宝殿(仏殿)。ここ大雄宝殿には阿難尊者(あなんそんじゃ)と迦葉尊者(かしょうそんじゃ)を脇侍として伴った釈迦如来像を中心に、左に薬師如来像、右に阿弥陀如来像が安置されている。 

 

タクシーを降り、寺専用の電動カートに揺られて山門を目指す。(後で気づいたのだが、運転手が裏道を通ったため、拝観料の窓口を素通りしてしまったようだ。如浄禅師、ごめんなさい!) 閉門1時間前、滑り込むように山門へ到着。今にも降り出しそうな曇り空の下、荘厳な山門をくぐると立派な伽藍が見えた。境内には巨大な「千僧鍋」や修行の合図を送る「魚板(ぎょばん)」など、かつて1000人以上の修行僧が切磋琢磨した面影が今も息づいていた。 

 


本堂より千仏塔を臨む 

 

1223年、24歳で入宋した道元は、1225年の初夏にこの天童山に到着した。如浄禅師が住職に就いたまさにその年だ。 今回の旅の途中、23時間の寝台列車内で読み耽った道元の著書『宝慶記(ほうきょうき)』には、二人の深い交流が赤裸々に描かれていた。如浄は道元に対し、昼夜を問わず、また正装でなくともいつでも自室に来て質問することを許した。「父親が息子を可愛がるように」接し、熱心に指導を行った両者の師弟愛に、胸が熱くなった。 

 

道元を揺さぶった「二つの出会い」 

天童寺での修行中、道元の人生を決定づけるエピソードが残されている。 

  1. 「身心脱落(しんじんだつらく)」:執着を脱ぎ捨てる

ある朝の坐禅中、隣の修行僧がついうとうとと居眠りをしていた。それを見た如浄禅師は厳しく叱打し、こう一喝した。 

「参禅は身心脱落なり、何ぞただ打睡(たすい)するのみならん!」 (坐禅とは心身の執着をすべて脱ぎ捨てることだ。なぜ眠ってばかりいるのか!) 

この一喝を聞いた瞬間、道元の心の中にあった迷いや「自分」という枠組みが音を立てて崩れ去った。文字通り、心も体も解き放たれる大きな悟りを開いた瞬間だった。 

  1. 老典座(てんぞ)との出会い

また道元は、食事係の責任者である二人の老和尚から、修行の本質を学んだ。暑い中、汗を流して働く老典座に、道元が「なぜ、誰か他の者に任せないのですか?」と尋ねた際、和尚はこう答えた。 

「他は是れ吾に非ず(たはこれわれにあらず)」 (他人が修行をしても、自分の修行にはならないのだよ) 

さらに「なぜ、そんなに急いで今やるのですか?」と問うと、和尚は笑って言った。 

「更にいずれの時をか待たん」 (今この瞬間を逃して、いつやるというのかね) 

道元は「日常のすべての営みが悟りへと通じている」という確信を得た。この思想は、後に彼が著した『典座教訓』の根幹となっている。 

 

 

「今、ここ」を歩く 

これらの逸話を胸に、私は天童寺の境内を「今、この瞬間」に意識を向けながら歩いてみた。 普段、あちこちに飛び回ってしまう自分の意識にそっと手綱を引き、一歩一歩の感覚を確かめる。すると、かつての禅師たちと共に瞑想しているような心地になり、不思議と心が凪いでいくのを感じた。 

天童寺は曹洞宗の聖地だが、実は臨済宗の祖・栄西や、画家の雪舟も滞在した歴史があるそうだ。宗派を超え、真理を求めた日本の先人たちがこの静寂に身を置いた事実を知り、自分の中の時間が、ふと止まった気がした 

長安から寧波へ。インドから中国、そして日本へ。仏教という壮大なリレーのバトンが、今もこの雨の寺に静かに置かれている。 

その感触だけが、静かに観られていた 

(次号に続く)

 

 

藤倉健雄 

Ph.D教育演劇学博士。 ニューヨーク州立大学修士課程を経て、ウィスコンシン大学演劇学部博士課程修了。現在早稲田大学国際教養学部講師。プロのマイム集団、カンジヤマ・マイム主宰。演劇的要素の教育的応用を常に研究の柱としている。NHKテレビ「おかあさんといっしょ」の身体表現コーナー「パント!」の振付、監修を始め、様々な教育番組を振り付け、同時に出演している。日印文化交流ネットワーク幹事 

更新日:2026.05.12