サタジット・レイ『ぼくが小さかった頃』連載にあたって

サタジット・レイ『ぼくが小さかった頃』連載にあたって

サタジット・レイ(ベンガル語「ショットジト・ラエ」1921~1992)監督の三部作、『大地のうた』・『大河のうた』・『大樹のうた』の上映は、当時の若い世代にとって、インド社会に目を見開かせるきっかけとなった、事件と言ってもいいほどに重要な出来事でした。1974年の『大樹のうた』上映を皮切りに、この三部作を繰り返し上映したのは、東京神田の「岩波ホール」。ここでは、レイと深い親交のあった川喜田夫妻と、総支配人の高野悦子さんの尽力で、その後も、『チャルラータ』・『遠い雷鳴』・『家と世界』といったレイ監督の代表作が、次々に上映されました。残念なことに、この「岩波ホール」は、昨年7月閉館となり、一つの時代の終焉を強く印象づけました。

現在、レイ監督の映画を日本の映画館・劇場で見る機会は、ほとんどありません。一方、YouTubeなどのインターネットを通せば、多くの場合英語字幕つきで、ほぼすべての代表作を無料で見ることができます。今の若い世代には、こうした手段を通してでも、ぜひレイ監督の作品に触れてもらいたいと思いますが、こうした形の鑑賞がどれだけ映画作品の本来の良さを伝えることができるか、心許ない感じも抱いてしまいます。レイ作品の、映画館でのリバイバル上映を、切に望みます。

ところで、先日、カルカッタを訪れた折、私は、Bishop Lefroy Road (南カルカッタ)の古い館の3階にある、レイ家を訪問し、サタジット・レイのご子息、ションディプ・ラエ氏にお会いしました。(この通りには、現在、サタジット・レイを記念して、彼のさまざまな映画作品のポスターが、電柱に掲げられています。)その際、私が1985年に行ったサタジット・レイのインタビューの写真、書き起こし記事、その後レイからもらった二通の手紙のコピーをお渡しして、たいへん喜ばれました。また、以前から私が紹介したいと願っていた、サタジット・レイの二つの回想記、『ぼくが小さかった頃』と『オプーと歩んだ日々』の、日本語翻訳について許可を求め、快諾していただきました。

今回、本サイトでは、この2冊のうち、最初の作品、『ぼくが小さかった頃』の翻訳を連載します。この作品には、著名な児童文学作家・イラストレーターであった父をはじめ、幼少の彼を取り巻くさまざまな人物の描写、シャンティニケトンでのタゴール訪問、高垣信造から受けた柔道のレッスン等々、幼少期から14歳で中等教育を終えるまでの時期の、レイの多様な体験が書かれています。また、タゴールの回想記『少年時代』に描かれた時代から60年を経た、1920〜30年代のカルカッタの様子が活写されており、そうした点からも興味深い内容です。レイ自身による魅力的なイラストが随所に挿入されていますので、それも翻訳文とともに掲載したいと考えています。

『ぼくが小さかった頃』は、レイ自身が編集と出版に関わっていた、児童文学誌『ションデシュ』に、1980年と1981年の2回にわけて連載され、編集・加筆の上、1982年に、Ananda Publishersから出版されました。さらに、レイの歿後、奥様のビジョヤ・ラエによって英語に翻訳され、 ‘Childhood Days’ のタイトルで、1998年に、Penguin Books Indiaから上梓されました。私の翻訳は1982年出版のベンガル語原典に依っていますが、英語版も参考にしています。

 

Bishop Lefroy Roadのレイ家(3階)がある館

 

Bishop Lefroy Roadの電柱に掲げられた、映画『家と世界』のポスター

 

大西 正幸(おおにし まさゆき)

東京大学文学部卒。オーストラリア国立大学にてPhD(言語学)取得。

1976~80年 インド(カルカッタとシャンティニケトン)で、ベンガル文学・口承文化、インド音楽を学ぶ。

ベンガル文学の翻訳に、タゴール『家と世界』(レグルス文庫)、モハッシェタ・デビ『ジャグモーハンの死』(めこん)、タラションコル・ボンドパッダエ『船頭タリニ』(めこん)など。 昨年、本HPに連載していたタゴールの回想記「子供時代」を、『少年時代』のタイトルで「めこん」より出版。

現在、「めこん」のHPに、ベンガル語近現代小説の翻訳を連載中。

https://bengaliterature.blog.fc2.com//

更新日:2023.04.16