サタジット・レイ『ぼくが小さかった頃』⑬
カルカッタの外で(3)
カルカッタの外での休暇で、どこよりも楽しく過ごせたのは、父方の2番目の叔母さんの家だった。義叔父さんは、州の副行政官だった。職場はビハール州。勤務地はしょっちゅう変わった –– ハザーリーバーグ、ダルバンガー、ムザッファルプル、アラー (1) –– こんな具合に、あっちこっち回るのが仕事だった。ぼくが最初に叔母さんを訪れた時は、ハザーリーバーグに住んでいた。叔母さんには、ニニとルビという二人娘がいて、その他にも、両親を亡くした従兄姉のコッランとロトゥがいた。みんなぼくより歳上だったけれど、誰もがぼくの友達だった。
ハザーリーバーグには、この後も、さらに何度か行った。最初に行った時、覚えているのは、義叔父さんに、緑色のオーヴァーランド車 (2) があったこと。その頃の車の、ちっぽけで不恰好な姿を見れば、今時の人たちはおかしく思うだろうが、このオーヴァーランドがどんなに強力で、どんな困難に出会っても、いかに車としての務めを立派に果たしてきたか、その話を義叔父さんの口から聞いたものだ。
まさしくこの車に乗って、ぼくらはラジラッパー (3) に行ったのだ。ハザーリーバーグから40マイルほど離れていて、ベラー川を渡り1マイルあまり歩くと、ラジラッパーに着く。そこには、寒気を覚えるほど無気味なマハーヴィディヤー女神の寺院 (4) があり、それを囲むようにして、ダーモーダル川の滝と砂岸、彼方に森や山を望む、驚くべき風景が広がっていた。
帰り途に、ブラーフマンベーリアの山裾で、車が故障した。その山には虎や熊がウヨウヨしているとのことだった。でも、車を修理するうちに夜になったけれど、虎や熊の姿を見ることはなかった。
車でどこかに行く計画がない時は、夕方、みんなと一緒に散歩に出かけた。食事の時間の直前に家に戻った。ランタンや灯油ランプのチラチラする明かりの下で、お話やゲームに、すっかり熱中した。カード遊びは、「鏡と金貨」と「盗人ジャック」 (5) 。「盗人ジャック」は誰でも知っているけれど、「鏡と金貨」は、その後、やっている人を見たことがない。それに、それがどんなゲームだったかも、今となっては思い出せない。
他の遊びの中で、もう一つ面白かったのは、「囁き遊び」。五人が丸く輪になってすわる。一人がその左隣の人の耳に、一つの言葉をヒソヒソと囁く。一度だけしか言っちゃいけない。その一度だけ聞いた言葉を、その人はそのまた左隣の人の耳に囁く。こうして耳から耳へと伝わった言葉が、初めの人のところに再び戻ってくる。この遊びの面白さは、最初の言葉が、最後にどんな言葉になってしまうか、にある。ぼくは、最初、左の人に「財産無しの、10人息子(ハラドネル・ドシュティ・チェレ)」と囁いたことがある。それが最後にぼくの耳に戻ってきた時には「でっかい耳に、象が笑う(ハングラカネ・ハティ・ハンシェ)」になっていた。10人以上になれば、この遊びはもっと面白くなる。
ハザーリーバーグの次はダルバンガー、その次はアラー。この二つの場所は、どちらも、ハザーリーバーグに比べれば大したことはないけれど、だからと言って、楽しいことに変わりはなかった。この時までに、ニニとルビのもう一人の従妹、ドリがやって来たので、遊び仲間がまた一人増えていた。
ダルバンガーの家は、ものすごく大きな敷地を持った、バンガローのような平屋だった。敷地の一方には背の高いシッソー紫檀 (6) とマンゴー、その他にも、いったい何本の木があったことか。家の左側の空き地には、もう一本、大きなマンゴーの木があった。そこにはブランコが吊るされていた。
ぼくらが行ったのは雨季だった。雨が一頻り降った後、ブランコが下がった木の下の、草のない地面の狭い水路や溝を通って、雨水が勢いよく走り、ドブの中に落ちた。ぼくらは紙の船を作って、溝の水面に漂わせた。溝は、いまや川となる。船は川の流れに乗り、ドブの海の中に落ちる。
この船が、時にはヴァイキングの船になることもあった。千年前、ノルウェイには海賊がいて、ヴァイキングと呼ばれていた。ぼくらは、ヴァイキングの誰かが船に乗ったまま死ぬと、その屍を船の上で焼くのだ、と想像した。紙で海賊を作り、紙の船の上にそれを寝かし、その顔に火をつけて船を雨水の中に解き放った。これがヴァイキングの葬式だった。もちろん、船も、ヴァイキングもろとも、燃えてしまった。
アラーへ行ったのは、ぼくが9歳の時だ。義叔父さんの家は、赤煉瓦の宏大な屋敷だった。真ん中の庭を囲んで、随分たくさんの部屋があった。思い出す限り、その内のいくつかの部屋は、使われてもいなかった。二階にもいくつか部屋があって、その内の一つが義叔父さんの作業室だった。屋敷の広さに見合った庭もあった。
コッラン兄(ダー)は、ぼくより6歳以上歳上だったけれど、ぼくの特別の友達だった。切手を集めていた。兄さんを真似て、ぼくも収集を始めた。ヒンジ (7) を買い、トゥイーザー (8) を買い、虫メガネまで買った –– 切手に印刷の間違いがないかどうか、見るために。間違いがあれば、その切手の価値は、すごく高くなる。国内のものも、外国のものも、切手が手に入ると、すぐに虫メガネを目に当ててそれを見た。 –– いいや、こいつには何の間違いもない –– こいつにも、だ –– こんな調子で、どんな切手にも、一度も間違いを見つけることはなかった。それがたぶん理由で、しまいには飽きて、収集するのをやめてしまった。
コッラン兄には、もう一つの役割があった –– そのことを、ここで話しておく必要がある。
クリスマスというものに、子供の頃から惹かれていたことは、前に述べた。サンタクロースという髭を生やした老人がいて、クリスマスの前夜に幼い子供たちの部屋に入って、寝台の枠に吊るされた彼らの靴下の中を、おもちゃでいっぱいにする –– このことを、ぼくはたぶん、そのまま信じていたのだ。
2番目の叔母さんの家での楽しさときたら、他のどことも、比べようもない。なのに、この楽しさからクリスマスが除外されるなんてことが、どうしてあり得よう? それが12月である必要が、どこにある? クリスマスが何月にあったって、いいじゃないか!
こういうわけで、アラーでは、6月に、コッラン兄がサンタクロースになったのだ。ぼくの寝台の枠に靴下が吊るされた。夜、ぼくは眠ったフリをして、寝床の中に入っていた。コッラン兄は、綿を顎髭と口髭に見立てて、顔に糊でくっつけた。背中には袋を担がなけりゃならない、なぜなら、その中に贈り物が入っているから。それに、サンタクロースがやって来ることを、知らせる必要がある。それで、袋の中には、他の物と一緒に、いくつもの空き缶が突っ込まれていた。
半時間ほど黙って横になっていると、ジャンジャン、ジャンジャン、音が聞こえた。
その少し後、半分閉じた目で薄闇を見透かすと、サンタクロースの服を着込んだコッラン兄が、袋をぶら下げて入って来て、寝台の枠の側で立ち止まった。そして、そのすぐ後に続くカタコトいう音で、ぼくの靴下の中に何かを入れているのがわかった。何もかもが作り事なのは自分でもわかっていたけれど、それでも、楽しいことといったら、なかった。
その時は、ぼくらがアラーに滞在中に、ドンお祖父ちゃんもやって来た。ぼくら兄弟姉妹はみんな揃って、夕方、お祖父ちゃんと一緒に外出した。アラー駅は、ぼくらの家から1.5マイルほど離れていた。ぼくらは、駅のプラットフォームに立って、日が暮れようという頃、インペリアル急行 (9) が、あたり一帯を震撼させて、ぼくらの前を汽笛を鳴らしながら走り去るのを見た。この巨大な汽車の客車の外側は薄黄色で、その上は黄金色の模様で飾られていた。他のどんな汽車にも、こんな派手さ、豪勢さはなかった。
ある日、みんなで駅の方に向かって歩いていた。お祖父ちゃんはフェルトの山高帽をかぶり、手にステッキを持って、完全に白人サヘブ風の服装で、ぼくらを従えて進む。そんな時、どこからか、一頭の牛が、角を振りかざし目を赤くして、ぼくらに向かって駆けて来た。こんな獰猛な牛を、ぼくはそれまで見たことがなかった。お祖父ちゃんは即座に言った、「おまえたち、畑の中に下りるんだ!」
畑に下りようとすれば、センニンサボテン (10) の柵を越えなければならないのだが、お祖父ちゃんは、そこまでは気が付かなかった。ぼくらも、だ。センニンサボテンの藪を抜けて、畑に下りた。棘に引っ掛かって手足がどれだけ傷ついたか、その状況下では、そんなことに気づく余裕すらなかった。ぼくらは藪の隙間から、息を呑んで見つめていた –– お祖父ちゃんは、牛の方に向かって両足を広げて立ち塞がると、手に持ったステッキを飛行機のプロペラのようにブンブン振り回す。牛の方も、角を振りかざして2メートルばかり離れた場所に立ち止まり、この奇妙な人間の奇妙な振舞いを目にして、釘付けになっている。
ドンお祖父ちゃんのこの威勢の良さを目にして、さすがの気狂い牛も、ものの1分と我慢することができなかった。
牛が立ち去ると同時に、ぼくらは勇気を奮って、それ以上身体を傷つけないように気をつけながら、藪の蔭から出て来た。
訳注
(注1)ハザーリーバーグとダルバンガーは、現在のジャールカンド州。また、ムザッファルプルとアラーは、現ビハール州にある。
(注2)アメリカの自動車製造会社。1903年に創立。
(注3)ハザーリーバーグの南東65 kmに位置する、ヒンドゥー教の聖地。ベラー川がダーモーダル川と合流する地点に、大きな滝がある。
(注4)ヒンドゥー教性力(シャークタ)派の聖地。マハーヴィディヤーは、シヴァ神の妻サティー女神の10の化身の総称。シヴァ神が怒りにまかせて、死んだ妻サティー女神の骸を抱えて踊った時、そのバラバラになった身体部位がインドの51箇所に落ちた。ラジラッパーはその一つで、サティー女神の首が落ちたと伝えられる。
(注5)4枚あるジャックの一枚を抜き、残りのカードをプレーヤーに均等に分配する。互いにカードを取り合い、同じ数字のカードが2枚揃うと除いていく。最後にジャック一枚を手元に残した人が盗人(負け)となる。
(注6)英名 Bombay rosewood マメ科の落葉高木。高いものは20mを超える。円形の滑らかな葉をつける。材は美しい濃褐色か紫褐色で非常に硬く、高級家具やタブラーの胴等に使われる。
(注7)切手を直に触れるのを避けるため、切手の裏に貼り付ける、蝶番型の紙片。容易に貼ったり剥がしたりできる。
(注8)切手をつまむためのピンセット。
(注9)ボンベイ港とカルカッタの間を、郵便物と、限られた人数の一等乗客を運ぶために運行した、急行列車。1897年に始まり、1926年からは新しい車両が設置され、インドで最も豪華な汽車となった。ボンベイーハウラー(カルカッタ)間を、片道40時間前後で往復した。
(注10)サボテンの一種、2メートルほどの高さに生育する。黄色や赤みがかった花を咲かせる。
大西 正幸(おおにし まさゆき)
東京大学文学部卒。オーストラリア国立大学にてPhD(言語学)取得。
1976~80年 インド(カルカッタとシャンティニケトン)で、ベンガル文学・口承文化、インド音楽を学ぶ。
ベンガル文学の翻訳に、タゴール『家と世界』(レグルス文庫)、モハッシェタ・デビ『ジャグモーハンの死』(めこん)、タラションコル・ボンドパッダエ『船頭タリニ』(めこん)など。 昨年、本HPに連載していたタゴールの回想記「子供時代」を、『少年時代』のタイトルで「めこん」より出版。
現在、「めこん」のHPに、ベンガル語近現代小説の翻訳を連載中。
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更新日:2024.02.27