ガンディー「知足」の精神④
虐げられた人びとに仕える
わたしの手もとに1枚の切り抜きが送り届けられてきた。そこには、わたしは神の使者とみなされていることが伝えられ、神からなんらかの特別な啓示を受けたと公言できるかどうかが問われている。この後者の質問については、わたしはそのような啓示は受けていないと答えなければならない。わたしは、すべての信心深い善良なヒンドゥーと同じように祈るのである。わたしたちは人を恐れるのをやめ、ひたすら神の真実のみを求めるならば、だれもが神の使者になることができると、わたしは信じている。わたしは、自分がただ一途(いちず)に神の真実のみを追求し、人間への恐怖をいっさい払拭したと思いこんでいる。したがってわたしは、神は非協力運動とともにあるものと痛感している。わたしは神の御意志(みこころ)の特別な啓示を受けてはいない。神は日ごと、すべての人に自らを顕(あらわ)してくれているが、わたしたちは「[神の]静かな小さな声」に耳を閉ざしているものと確信している。わたしたちは、眼前の「[神の]火柱」に目を閉じているのである。わたしは神の遍在を実感している。そして、質問者にも同じようにすることをお勧めしたい。
創造主の前では平等である
わたしは、みなさんと同じ過ちを犯しやすい人間である。わたしは夢にも、自分がマハートマ(Maha-atma[偉大なる魂])であり、他の人たちがアルパートマ(Alpa-atma [小さな魂])であるなどと考えたことはない。わたしたちはみな、創造主の前では平等である-ヒンドゥー教徒も、ムスリム [イスラーム教徒]も、パールシー教徒も、キリスト教徒もみんな、同じ一(いつ)なる神の礼拝者たちである。
わたしは臆病な人間かもしれぬが、真理がわたしを介して語りかけるときには、無敵になる。
*パールシー教徒……インド西部の都市ムンバイ (ボンベイ)を中心に定住するゾロアスター(拝火)教徒。
(森本達雄 編訳『ガンディー「知足」の精神』「人間と歴史社]、第9章「非暴力」の人生観より)
『サルボダヤ』7月号(一般社団法人 日印サルボダヤ協会、2020年)より転載
一般社団法人 日印サルボダヤ交友会:http://sarvodaya-japan.org/index.php
更新日:2020.08.19