インド渡航歴40回超! インド・釈尊あれこれ紀行③

出家する

やがて釈尊は出家するが、動機についてはいくつかの説が伝えられている。

―つはまだ幼児のころ、父の王の耕運祭(コメ・麦)についてゆき、木の下に休んでいる時、小さな虫が大きな虫に食べられ、その虫が鳥に食べられるのを見て自然界の厳しさを知ったから。また、四門出遊の物語も広く知られている。ある日釈尊は城の門を出ると老人に出会い、別の門を出ると病人に出会い、次の門を出ると死者に出会う。そして最後に出た門で出家者と出会い、家を出ることを決意したというもので、南方上座部の寺院にはこの物語の様子を記した壁画が多く残されている。

釈尊の出家は29歳と言われ、釈尊は多くの出家者のもとへ訪れる。仏典には当時の出家者のことが記してあり、多くのバラモン教の聖者や、バラモン教以外の6 人の著名な思想家などで、人は無機物からできている、(心はない)倫理・道徳は存在しない、人を殺しても構わない、など極端な思想を持っている出家者もいたという。

釈尊も多くの人々に教えを乞うた。まず初めにアーラーラ仙人、次にウッダカ仙人を訪れるがいずれにも満足できず、一般的な修行法の苦行に落ち着く。これは人が肉体(物質)を痛めれば心(精神)が清まるとの考え方である。苦行には断食、不眠、片足で長い時間立つ、などがある。原語はタパス(熱)で、苦行がエネルギーを生むとの考えである。苦行は7 年に及んだが、悟りにはほど遠いことに気付き、村の娘スジャータから供養の乳がゆを受け、菩提樹の下で瞑想にふけった。瞑想中に男女の悪魔の軍勢の誘惑が現れるがこれを退ける。やがてヴェーサカ月の満月の日に悟りをひらいたと伝えられている。

釈尊が苦行を捨てたのを見て、共に苦行をしていた人々は釈尊が堕落したと思い、釈尊のもとを去っていく。

今日、悟りを開かれたブッダガヤは仏教徒にとって第一の聖地となり、毎年、タイ、ミヤンマー、スリランカ、日本、マレーシア、台湾、その他の国々から数十万人の人々が訪れる。また、日本寺、カンボジャ寺、タイ寺、中国寺、ブータン寺、ミャンマー寺チベッ卜寺、スリランカ寺、モンゴリア寺などがある。

弟子入りの儀式。
釈尊時代と変わらず今も続いている

弟子入リ後に行われる入門式

【掲載誌】『浄土』2020年07-08月号

【著者プロフィール】
さとうりょうじゅん 昭和7年東京生まれ。大正大学 同大学院、インドデリー大学院に学ぶ。昭和34年より大正大学で教鞭をとり、教授、学科長を経て、平成14年退職、大正大学名誉教授となる。インドヘの初渡航は昭和38年、以来インドヘ訪れること、40有余回。著書は『ブッダガヤ大菩提寺』 、『釈尊の生涯』など多数。

☆本稿は月刊誌『浄土』(法然上人鑽仰会)に掲載されたものを、著者の佐藤良純先生と編集長の村田洋一先生の寛大なるご配慮のもとに転載させていただいたものです。ぜひ歴史ある『浄土』誌もこの機会にご覧いただければと存じます。
「法然上人鑽仰会」は、「宗教者という人間としての魅力を社会に広めるために当時の若手僧侶が昭和10年に設立」した歴史ある会であり、今日まで脈々と受け継がれてまいりました。現在、webサイト「じょーど」にて、昭和10年当時の創刊号から現在までの誌面をPDFで公開するなど画期的な発信を続けておられます。その先進性と精神性に敬意を表し、紹介させていただくものであります。

更新日:2022.02.18