インド渡航歴40回超! インド・釈尊あれこれ紀行①

釈尊が生まれた地

大正大学名誉教授
文京区 光円寺住職 佐藤良純

インドはいまやアメリカ、ロシア、そして中国と同じ世界の大国です。人口13億人、携帯電話10億個テレビ、ラジオ局は1000局を超えました。

しかし何といっても釈尊、お釈迦様の国です。私は学生時代からお釈迦様の研究でインドヘは頻繁に訪れ、長期滞在もしてきました。だいぶ齢を重ねましたが、インド行きが決まると元気が出てきて、インドから帰ると「先生、若返りましたね」とからかわれることもしばしばです。そうした中、編集部(※1)から「仏教を開かれたお釈迦様の聖地を訪れたことのない僧侶がたくさんいます。ぜひ、先生にお釈迦様の国、インドとお釈迦様の話を書いて下さい」と頼まれました。学者畑を歩いてきたので、柔らかい文章は不得手ですが、おつきあいいただければ幸いです。

さて、お釈迦様のお生まれはいまのネパール南部テライと呼ばれる地方です。晴れた日には北にヒマラヤ山脈が見えます。場所はルンビニ、もともと女神ルンミンディの聖地でした。母のマーヤーが出産のため帰宅の途中、木の下でお生まれになりました。右の脇腹から産まれたという言い伝えは右側が吉祥とされていたからです。お母様は産後すぐ亡くなられたので義母にそだてられました。生まれた子の名前はゴータマ・シッダールタ、後に釈迦族出身の聖者という意味で釈尊と呼ばれました。お釈迦様の一生を表したレリーフには羊に乗って学校に通う姿が表されています。写真の誕生と羊に乗る釈迦のレリーフは、釈迦一代記の彫り物としてたくさん残っています。

お釈迦様の祖先については、代々「オーダナ」(お米の意)の名前がついているところから稲作に従事していたと思われます。王と呼ばれていましたが、おそらく小さな王国であったのでしょう。後に隣の国に合併されてしまいます。

また、お生まれになった時、仙人が「もし王様になれば理想の王である転輪聖王に、出家すれば人々を導く聖者(ブツダ)となられる方」と予言が残っています。

釈尊の生まれた年代には多くの説があります。主なものは、シュリランカ、ミャンマーに伝わる紀元前7世紀、中国南部では紀元前6世紀、アショカ王の年代に基き紀元前5世紀とするものもあります。そして、日本では紀元前5世紀が有力でしたが、最新の発掘調査で、ルンビニから紀元前6世紀の木造建築の屋根が出土し、炭素の放射性物質の検査からこの建築物が釈尊誕生の証拠の最有力とされるにいたっています。同様に釈迦族の首都カピラバストウについてもルンビニの西と、南へ十数キロのインド領ピプラバの二つの説がありいまだに決定できていません。そしてこの二か所は玄奘三蔵の『大唐西域記』にかかわる発掘でも両方の都市について記されているのです。

《本文 以上》
【掲載誌】『浄土』2020年5月号

【著者プロフィール】
さとう りょうじゅん
昭和7年東京生まれ。大正大学 同大学院、インドデリー大学院に学ぶ。
昭和34年より大正大学で教鞭をとり、教授、学科長を経て、平成14年退職、大正大学名誉教授となる。
インドヘの初渡航は昭和38年、以来インドヘ訪れること、40有余回。
著書は『ブッダガヤ大菩提寺』 、『釈尊の生涯』など多数。

【注】
※1・・・掲載誌『浄土』(法然上人鑽仰会)
「法然上人鑽仰会」は、「宗教者という人間としての魅力を社会に広めるために当時の若手僧侶が昭和10年に設立」した歴史ある会であり、今日まで脈々と受け継がれてまいりました。現在、webサイト「じょーど」にて、昭和10年当時の創刊号から現在までの誌面をPDFで公開するなど画期的な発信を続けておられます。その先進性と精神性に敬意を表し、紹介させていただくものであります。

更新日:2021.11.09