インドの「国家教育方針2020」に思うこと

日印関係アドバイザー MIT-ADT University非常勤講師
磯貝 富夫

7月29日にインド議会はNEP2020(国家教育方針)を承認しました。今後20年先を見据えて34年来の懸案であった教育改革が実行されることになります。今回MHRD(人材開発省)がMOE(教育省)に改名(復活)しました。その原文は以下をご参照下さい。60頁にも及ぶ長文です。

https://www.mhrd.gov.in/sites/upload_files/mhrd/files/NEP_Final_English_0.pdf
この原文には以下のような記述があります。これは正にインドの教育方針が古代の教育の原点に立ち返って改革を目指そうとしていることを感じさせてくれます。
The rich heritage of ancient and eternal Indian knowledge and thought has been a guiding light for this Policy. The pursuit of knowledge (Jnan), wisdom (Pragyaa), and truth (Satya) was always considered in Indian thought and philosophy as the highest human goal. The aim of education in ancient India was not just the acquisition of knowledge as preparation for life in this world, or life beyond schooling, but for the complete realization and liberation of the self.

日本のメディアは今回のインドの歴史に残るであろう重大な教育改革について、「海外大学の国内参入承認」など、ごく一部の報道に留まっているようです。実は今回のインドの教育改革は、今後インドが世界の教育界の中でのハブ国となることを目指しているものなのです。そのようなインドの動きを正しく日本の教育界にも政界にも知らせていくことがメディアの重要な役割ですね。2027年ごろまでには中国を抜いて世界一の人口になることや、2030年までには経済規模で日本を追い抜き、世界No.3の経済大国となることなど、これらは既にインド国内では周知のことであり、今回の新教育方針にも記載がありますが、日本人の多くはそのことに気付いていないようです。これもメディアの責任ですね。日本人はインドの今後の発展に常に注目しておくこと、そして日本の将来のためにインドとの強力なパートナーシップを構築することの重要性を認識すること、今から行動することが肝要です。欧米諸国はしっかりインドに注目しており、今回の教育改革についても新たな手を打ってくることでしょう。

人口増とりわけ若者人口が増大している中で高学歴人口が増えることはそれだけ優秀な学生を産み出すことになります。今回の新教育方針では、インドの高等教育(職業専門教育含む)進学率を2035年までに50%達成目標を掲げています。(2018年は26.3%) これはインドがとんでもない高学歴人口国になることを意味します。今後20年の間にインドが世界の中で米英に次ぐ、あるいはとって代わる教育ハブ国になる可能性が出てきそうです。新方針では、「知識詰込み型」教育から「課題解決能力開発型」教育への転換も謳っており、世界のビジネス界にも優秀な人材が益々インドから生まれていくことでしょう。日本ではインドの大学と言えばIIT(国立インド工科大学)やIIM(国立インド経営大学院)が知られていますが、今回の教育改革では、これらの単科大学や大学院は全て総合大学・大学院に生まれ変わることになります。インドの大学はほぼ全ての科目が英語のみで教えられていますから、インドの周辺諸国はもとより中近東やアフリカからも留学生が集まります。地理的にも近くて費用も安価だからです。

日本でも報道されている「世界TOPランクの大学のインドへの誘致」を進めるようです。欧米も学生数減少で経営難になりますから、インドへの進出で学生を確保することは新たな経営戦略に組み込まれるでしょう。これもインドの富裕層(特に女子学生を持つ親)には歓迎されそうです。東大や京大だけでなく、世界トップランクでなくとも、インドにいずれキャンパスを設立することは意義があると私は考えます。若者同士の交流が広まることは、両国間の信頼関係を醸成し、両国の将来の発展に必ず貢献することになるからです。

新教育方針ではまた、あらゆるIT化とデジタル化を進めることを謳っています。これはインドの広大な土地に散らばっている若者に平等に高等教育を受ける機会を与えるために不可欠なインフラです。この教育のデジタル化は、国内で外国の大学にオンライン留学できるという道も開けることでしょう。デジタル化が進むことで低コストでの教育が実現しそうです。

私はジャーナリストではありませんし、評論家でもありませんが、インドから日本を見ている者として思うことを少しお伝えしたいと思います。さて、日本はどうでしょうか。残念ながら世界レベルで見ると日本の教育のデジタル化は大きく後れを取っていることは明らかです。IT教育もこれからという段階です。少子化で学生数が減少しているにも拘らず、大学の数は近年増加しているのです。(1990年には約200万人いた18歳人口は、2020年には約116万人と、約4割減少した。一方で、大学の総数は507から786(19年度)へと、約5割増加している。Wedge 8月号より) その結果、当然のことですが、約3割の大学で「定員割れ」が起こっており、約4割の大学が赤字経営であると、同レポートは伝えています。この状況を放置しておくことはできないでしょう。私立大学への政府の補助金は正しく税金で賄われているのですからね。

日本が素晴らしいのは、一旦政治が決めたことは遅滞なく実行されることです。ですが、日本人が苦手とすることは、変化への迅速な対応です。これは「事なかれ主義」が役人の中に蔓延していることが主因であると私は考えます。過去に決めたことを守ることに拘り、「変化に合わせた改革」には痛みが伴うために消極的になっていることです。これが世の中の変化についていけず、「失われた30年」を現実のものにした元凶でしょう。

日本の政治家も官僚も、将来を見据えた次世代の日本人のための「改革」を勇気を持って決断していくべき時であると思います。その日本の将来にとって最も頼りになるパートナーは米国ではなくインドであることを私は確信しています。そのことを日本人の皆さん、とりわけ高校生や大学生など将来の日本を支える今の若者達に伝え、「インドを知ることで世界を知り、世界から日本を見て自分を見直す」ことを強く奨めたいと考えています。そのような機会を得られれば望外の喜びです。

2020年8月5日 西インドのプネ市にて

 

磯貝 富夫(いそがい とみお)

シャープ(株)で37年間グローバルビジネスに携わり、世界60ヶ国以上を訪問し5ケ国に20年以上の海外勤務経験がある。2016年の定年退職直前までシャープ・インディア社の社長を務めた。現在は西インドのプネ市に拠点を置き、日印関係のアドバイザーとして活躍する傍ら、現地の有名私立大学MIT-ADT大学のMBA非常勤講師を務めている。
LinkedIn: https://www.linkedin.com/in/tomio-isogai-58984b50/

更新日:2020.08.07