華麗なるインド②

第2回 「新宿中村屋」 ― 純印度式カリーは恋と革命の味

五十年来の大学時代の友人と新宿で待ち合わせようというと、つい「では中村屋で」ということになる。目当てはもちろん、昭和2年発売の「中村屋純印度式カリー」である。骨付きのチキンがたっぷり入っていて、それがまたナイフとフォークで簡単に身を分けられるくらい丁度よい柔らかさなのである。付け合わせのサラダとピクルスが嬉しい。とくにピクルスはインドへの郷愁を誘うインド風なのがよい。

創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻と彼らの人生を彩った人びとについては、臼井吉見著『安曇野』(全5巻、筑摩書房、1965年-1974年)に詳しい。学生時代に、最終巻がなかなか出ず、ようやく刊行されたときには貪るように読んだことを思い出す。これは小説なので史実がそのまま書かれているわけではないが、中村屋を軸に近現代の日本文化が花開くさまをたどることができる。相馬夫妻のまわりには、彫刻家の荻原守衛、洋画家の中村彝、作家で社会運動家の木下尚江、エスぺランティストのロシア人ヴァスィーリー・エロシェンコなど多彩な人びとが集まったが、なかでも全面的に支援したのはイギリス植民地下のインドから大正4年(1915年)に亡命してきたラース・ビハーリー・ボース(1886-1945)である。

密入国を察知したイギリス大使館の要請により、日英同盟を結んでいた日本政府はボースに国外退去命令を出したが、玄洋社の頭山満の依頼で相馬夫妻がボースをかくまうことになった。のちに日本政府は頭山をはじめとするボース支援者の要請を受けて退去命令を撤回するが、イギリスの追及の手は緩まず、ボースは各地を転々とする逃亡生活を送った。その間、相馬夫妻とボースの連絡係を務めていた夫妻の長女俊子が、大正7年(1918年)にボースと結婚することとなった。しかし、俊子は二人の子供をもうけたあと、26歳で早逝。残されたボースが中村屋のために、祖国インドのカリーを日本でも食べてもらいたいと提案したのが、純印度式カリーというわけである。

現在、店の看板に「恋と革命の味・中村屋純印度式カリー」とあるのは、若いころ学生紛争を経験した身としては何となく気恥しい気がする。しかし、その後のボースが軍国主義に走る日本政府の支援を受けつつインド独立運動を進めるなか体調を崩し、インド独立を見ることなく1945年の1月に亡くなり、6月には長男も沖縄戦で戦死したことを考えれば、存外に重いキャッチコピーなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

新宿駅丸の内線の地下通路に直結する入口。階段を降るとB2Fのレストラン&カフェ・マンナへ。エレベーターで8Fに昇るとレストラン・グランナへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和2年発売の「中村屋純印度式カリー」。発売当初は80銭。
カリーは陶器に入っていたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中島岳志『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社、2005年)の表紙。

 

Information: 新宿中村屋ビル(旧本店)

〒160-0022 東京都新宿区新宿三丁目26番13号
B2F:レストラン&カフェ・マンナ
予約・お問い合わせ:03-5362-7501
営業時間:月曜~木曜11:00~22:00、金曜・土曜・祝前日11:00~22:30
定休日:1月1日
(このほか、B1Fにスイーツ&デリカ・ボンナ、3Fに中村屋サロン美術館、 8Fにレストラン・グランナがある)

更新日:2019.04.26