なぜ『ガンダム』の最強ヒロインはインド人少女だったのか?

私が在インド日本国大使館で一等書記官として勤務していた際、忘れられない出来事があります。デリーの昼下がり、大使館の現地職員と談笑していた時のことです。話題が日本の文化に及んだ際、私はかねてから彼らに伝えたかった、ある日本の物語について切り出しました。

「実は、日本で最も有名で、約40年も続くSFアニメシリーズの宇宙の物語、その中心にいるのは、17歳のインド人少女なんですよ」

一堂はきょとんとし、「ボリウッド映画の話かい?」と笑いました。しかし、私がさらに続けると、彼らの表情は次第に好奇心と驚きへと変わっていきました。

「その物語、『機動戦士ガンダム』という名前は聞いたことがあるかもしれません。主人公の少年と、その最大のライバルである仮面の男、この二人のパイロットが、たった一人のインド人の少女の愛をめぐって、人類全体を巻き込むほどの激しい争いを繰り広げるんです。そして、その争いは、少女の死後も人類全体を巻き込んで続く物語全体のテーマになっているんです」

彼らの驚きは、さらに深まります。私はたたみかけるように続けました。

「それだけではありません。数ある続編を含めた全シリーズの中でも、宇宙で戦うロボットを操縦するパイロットとして”人類最強”は誰か、とファンの間で議論になると、必ず名前が挙がるのが、このインド人少女なんです。つまり、日本人が半世紀近く愛してきた国民的SF作品において、未来の人類最強のパイロットの栄誉はインド人にある。それくらい、私たち日本人には、インドという国に対してごく自然な親しみと深いリスペクトがあるんです」

話を聞き終えた一堂は感嘆の声を漏らし、そして一様に同じ問いを口にしました。「すごい話だ。でも、なぜなんだ? なぜ、日本の国民的作品のそんなにも重要な人物が、インド人なんだい?」

その問いは、私の心に深く突き刺さりました。以来、私はこの問いの答えを探し続けています。それは、単なるアニメの設定を超えて、日本とインドの間に横たわる文化的・精神的な繋がりを解き明かす鍵のように思えるのです。

 

ララァ・スンという存在

まず、『機動戦士ガンダム』を知らない方のために、簡単にご説明しましょう。これは、未来の宇宙を舞台に、巨大な人型ロボット「モビルスーツ」に乗って戦う少年少女たちの姿を描いた物語です。しかし、単なるロボットアクションではなく、戦争の悲劇や、人間の心理や政治の駆け引き、そして新しい時代における人類の可能性といった、深遠なテーマを扱ったドラマでもあります。

その物語に登場するのが、ララァ・スン。インドのムンバイ出身の17歳。額にはインドの女性がつける装飾「ビンディー」を輝かせ、褐色の肌を持つ、神秘的な美しさを湛えた少女です。彼女は、宇宙という新しい環境に適応して他者と深く分かり合える「ニュータイプ」と呼ばれる新人類であり、その中でも群を抜いた能力を持っていました。

彼女の強さは、作中でも際立っています。ララァ・スンは未来の最新科学兵器『サイコミュ』によって脳波で無数の遠隔攻撃端末『ビット』を操る天才パイロットです。そして最新鋭兵器のビーム砲で敵を次々と宇宙の藻屑にしていくのです。その圧倒的な強さは、多くの視聴者に強烈な印象を残しました。

しかし、彼女の本当の重要性はガンダムの物語における役割にあります。敵同士である主人公アムロ・レイとライバルのシャア・アズナブル。ララァは、その二人の間に立ち、魂のレベルで彼らの心を繋ぐ存在となります。アムロは彼女に初めて自分を理解してくれる他者を見出し、シャアは彼女に失われた母性の面影を求めました。

そして、悲劇が起こります。戦場で、ララァはシャアを庇い、アムロの攻撃によって命を落としてしまうのです。この彼女の死が、二人の天才パイロットの心に決して癒えることのない深い傷と憎しみを刻みつけ、以降の長く壮絶な戦いの引き金となりました。一人のインド人少女の死が、物語全体の原動力となる。これほどまでに重要な役割を担ったキャラクターは、日本のポップカルチャー広しといえども、そう多くはありません。

そして今年、2025年4月より放送が開始された『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』(ジークアクス)において、この伝説的キャラクター、ララァ・スンは再び姿を現しました。2025年6月3日に放送された第9話「シャロンの薔薇」に再びララァが登場した瞬間、そして『沙羅双樹の花が似合う素敵な人』という表現は、単なるノスタルジーの演出を超えた深い印象を日本の視聴者に与えました。

 

日本独自のインド愛――プラモデル化の驚き

しかし、このララァ・スンという存在の特別性を語る上で、もう一つ見逃せない逸話があります。日本では、なんとこのインド人少女が単体で1/20サイズのプラモデル化までされているのです。それが『バンダイ1/20 ララァ・スン』。1981年10月の発売で、当時の価格は100円でした。

これは、実に驚くべき事実です。おそらく、インド人をこのようなプラモデルキットにしたのは、世界でも日本が唯一でしょう。外箱の裏面には、彼女の額のビンディも「グンゼ ミスターカラー レッド」で塗るように、丁寧に指定されていました。この細やかな配慮からも、日本の製作者たちがいかにララァというキャラクターを、そして彼女のインド人としてのアイデンティティを大切に扱っていたかが窺えます。

一人のキャラクターが立体化される——それは、そのキャラクターが多くの人々に愛され、手に取って愛でたい存在として認識されている証拠です。ましてや、それが異国の少女であるならば、その国への敬意と親愛の念がなければ成り立たない商品企画でしょう。このプラモデルの存在は、日本人のインドへの想いを物語る、ささやかながらも確かな証左なのです。

 

精神文化の源流としてのインド

では、なぜ、その最重要人物がインド人だったのか。デリーの友人たちの問いに戻りましょう。さらに作品を見返すと、ジオン公国のエンブレムはシク教の紋章にそっくりですし、宇宙要塞の名前はラジャスタンの勝利の塔にいる幻獣ア・バオア・クーから採られています。すなわち、インドというモチーフは偶然ではなく意図的なものであったと見て取れますが、この答えは、日本の歴史と文化の深層に分け入ることで見えてくるように思います。

古来、日本人にとってインドは「天竺」と呼ばれ、単なる異国ではなく、仏教が生まれた聖地として特別な尊敬と憧れの念を抱いてきた土地でした。6世紀に仏教が伝来して以来、インドからもたらされた哲学や世界観は、日本の思想、芸術、そして人々の生き方にまで、計り知れない影響を与え、私たちの精神文化のまさに根幹を形成してきました。

時代が下り、明治時代になると、思想家の岡倉天心は「アジアは一つ」という言葉を残しました。彼は、西洋化の波に洗われるアジアの中で、日本とインドに共通する精神文化の価値を再発見し、その重要性を説きました。ここにも、インドを精神的なパートナーと見なす、日本人の独特な眼差しが見て取れます。

『ガンダム』が制作された1970年代末期は、日本が高度経済成長を終え、物質的な豊かさだけではない、新しい価値観を模索していた時代です。人々は、西洋近代化の先にあるものを求め、東洋思想や精神世界へと再び目を向け始めていました。この時代の空気が、物語の創り手たちに、人類の精神的な進化というテーマを描かせ、その理想を託す存在として、日本人の心象風景の中で常に精神的な高みと結びついてきた「インド」をルーツに持つ少女を選ばせたのではないでしょうか。

それは、西洋が時に東洋を「神秘的」で「エキゾチック」な対象として一方的に消費する視線とは明らかに異なります。むしろ日本自らの文化の源流であり精神的な師とでもみなすような、西洋からの立場にはない日本独自のごく自然で誠実な敬意に基づいた眼差し。私のインド人の友人たちに伝えたかった「日本人がインドに対して有する自然なリスペクト」の正体は、ここにあるのだと私は考えています。

 

世界でも稀な描写

この『ガンダム』におけるインド人ヒロインの描き方がいかにユニークであったかは、同時代の欧米作品と比較すると、より一層はっきりとします。

例えば、世界中を熱狂させた『スター・ウォーズ』。その根底に流れる「フォース」という力には、日本の武士道や東洋思想の影響が色濃く見られます。しかし、物語の中心を担うジェダイの騎士たちに、インド系のキャラクターが重要な役割を果たすことはありませんでした。

あるいは、多様な人種が共存する未来を描いた『スタートレック』。この先進的な作品でさえ、インド系のキャラクターが物語の中心に据えられることは無く、ララァのように、主人公たちの魂を導く「聖母」のような存在として描かれることは決してありませんでした。

これは、決して西洋の文化が劣っているとか多様性に乏しいということではありません。日本のクリエイターが「人類の精神的な進化の頂点」という、物語で最も重要でポジティブな役割を、何のてらいもなくインド人の少女に与えたという事実。この事実は、日本とインドの間にだけ存在する、歴史的に育まれたユニークで特別な精神的関係性を、雄弁に物語っているのです。

 

文化の架け橋として

もし今、私がデリーのあの昼下がりに戻り、友人たちの「なぜ?」という問いに改めて答えるとしたら、こう言うでしょう。

「日本人が、人類の未来を想い描くとき大切にしたかったのは、技術の進歩や軍事的な強さだけではなかったのだと思う。それ以上に、人が人と心で繋がり、憎しみの連鎖を断ち切る『精神の進化』こそが重要だと考えた。そして、その最も清らかで強い理想の姿を、私たち日本人が古くから深い敬意を抱いてきた国、インドの文化と人々に見たんだ。ララァ・スンという少女は、そんな日本人のインドへの想いが結晶した、一つの証なんだ」と。

ポップカルチャーは、時にどんな外交施策よりも国と国を繋ぐことがあります。一人の架空のインド人少女が、40年以上もの間、日本の人々の心に深く刻まれ、愛され続け、ついにはプラモデル化までされているという事実。この事実こそが、現代においてますます重要性を増す日本とインドの未来の関係を、より豊かに、そして確かなものにしてくれる架け橋の一つだと、私は強く信じているのです。

 

栗原 潔(くりはら・きよし)

2005年、文部科学省に入省。
科学技術政策、AI、データ戦略を中心に、経済産業省や環境省などでも勤務し、英国マンチェスター大学ビジネススクール留学。

2018年から2021年までは、3人の子ども(当時3歳〜12歳)とともに家族でデリーに暮らし、在インド・ブータン日本国大使館の一等書記官として日印間の連携推進に従事。滞在中にはインド国内21の州、24の世界遺産を訪れ、毎年ガンジス川での沐浴を欠かさなかった。

帰国後は内閣官房を経て、現在は文部科学省・計算科学技術推進室長として、次世代スーパーコンピュータ戦略の立案と推進に取り組んでいる。

更新日:2025.07.25