日印文化交流ネットワーク世話人・ラビンダー・N・マリク博士が、日本での生活と活動を綴る。
2018年に、ラビンダー・N・マリク博士の在日年数は42年を超えました。日本政府の誘致で新設された国連大学(本部・東京)運営のため1976年2月に来日され、そのまま20年間は国連大学に勤務、長く学長室長を務められました。その後、マリク博士の日本での活動は多彩で、特にインドと日本の間の資源・エネルギー・環境問題での産業・学術交流で重要な役割を果たしつつ、文化交流の分野においては5年前からDIC (Discover India Club) 会長として活躍しておられます。
マリク博士は、日印協会の機関誌「月刊インド」(2016年9月号)に「演歌と民謡で体感した日印文化の類似性」を寄稿されましたが、日本の「うた」の世界を演歌から民謡まで逍遥しつつ、最近は「詩吟」でも玄人はだしのレベルに達しておられます。
マリク博士は1934年パンジャブ州(現パキスタン側)に生を受け、分離独立後の1947年に家族は難民としてニューデリーに移り住んだそうです。1955年に大学卒業後は、WHO(世界保健機構)ニューデリー事務所、同ジャカルタ事務所(インドネシア)、また国連開発計画(UNDP)デーラダン(ウッタルプラデシュ州)ならびにインドネシア(西パプア・ニューギニア)に勤務しました。
その後、来日したマリク博士は様々な分野で活躍されました。次のような肩書きがあります。政治学博士、元国連大学学長室長、元慶応大学非常勤講師、インド資源エネルギー研究所(TERI)コーディネーター(東京)、元全米大学連盟東京留学センター代表、DIC会長等です。そして地元千葉県浦安市ではライオンズクラブ等でも活躍されています。
1976年に来日してからの40年を超える活動の詳細については、ご自身の纏められる原文(MY LIFE AS A LONG-TERM INDIAN RESIDENT OF JAPAN AND MY INVOLVEMENT IN PROMOTING INDIA-JAPAN CULTURAL RELATIONS)をご覧ください。
更新日:2018.10.12