訃報 地上に降りた雲中供養菩薩、大谷紀美子先生逝く

大谷先生は2024年8月25日、83歳でご逝去なされました

昨年10月、高槻におけるインド舞踊の会の後、打ち上げでご一緒して前の席に座られていた。お元気な様子でしたので、とても驚いています。

2000年8月のことだが、インドから舞踊学会のため来日したバラタナーティヤムとセライケラ・チョウの研究家・舞踊家プラクリティ・カシャプさんが延命寺にいらして、レクチャー・デモンストレーションを行ったことがある。先生はお姉様と一緒にいらして通訳を勤めてくださった。その弟様は、当時の浄土真宗本願寺派第24世門主であられる。その縁でナマステ・インディアもかつては築地本願寺で行われた。

一地方住職から見れば雲の上のお方だ。わりあいどこでもひょいひょいと出掛けて踊られたので、真宗大谷派の寺院にやってきて住職が困惑し、えらく恐縮したという話も聞く。舞踊仲間と一緒にいると、本来の自分を取り戻せて楽しかったのだろう。

大谷紀美子先生は、桐朋学園大学で民族音楽を研究する。小学3~4年生の頃にバレエを習っていたがピアノに転向するものの、踊りへの情熱を持ち続けていた。

冒険家の血か、日本を出たかった。おそらくご門主のお嬢さんとして京都で暮らすのはいやだったのだろう。お姉さんみたいに箱入り娘としてどこかの有力なお寺さんにお嫁に行くなんて。

民族音楽学者の故・草野妙子先生に伺った話だが、小泉文夫先生指導の下、沖縄や国内のあちこちで現地調査をしていた。たまたま、京都駅を歩いているとき、先輩である草野先生は大谷先生に荷物を持たせていた。するとヒソヒソと「まあ、おひいさま(お姫様)にあんなことをさせるなんて」という声が聞こえてきたという。大谷先生にしてみれば、まさにそれをやりたかったのだろう。おんば日傘ではなくて、自分の力で道を切り開くわと。

インド留学などとんでもない話だったが、妥協策として私費留学はだめで、インド政府招聘の試験に受かったら認めようということになった。

昭和41年から43年までカラークシェートラ留学。昭和50年から53年までハワイ大学留学。昭和63年からベルファーストにあるクイーンズ大学に留学して、平成6年に“Rukmini Devi and the Bharatanatyam/revival of classical dance in India”を提出し、博士号を取得している。この論文もお手を煩わせて送っていただいた。出版できる立派なものだが英文279ページである。今はAI翻訳もあるようだが。

先生は同じ関西圏の桜井暁美先生、ヴァサンタマラ(本名大和ヤエ)先生、東京のヤクシニー矢沢先生と並ぶインド舞踊の草分けであった。インド舞踊教室を開くことはなかったが、大阪芸術大学などでバラタナーティヤムを教え、高知大学教授を経て相愛大学の学園長を勤めるなど教育者であった。

わたしが高校生の頃、父が中外日報という仏教系の新聞を見せてくれて、本願寺ご門主のお嬢さんがインド舞踊を踊っているんだってさと教えてくれた。学園祭で踊られていたようだ。

昔の大谷先生を知る故・小西正捷先生は、その美貌から「踊る観音様」と評していた。名家出身の舞踊家・教育者として、先生はまさに日本のルクミニー・デーヴィーであった。コロナ渦の前、つながる・インディアでもお招きして講演会を行い、皆に感銘を与えた。

10年以上前に、4~5時間にわたるロング・インタビューをしたことがあるが、まだまだ、お聞きしたいことがあった。歴史の生き証人、いや、時代を切り開いた方なので、自伝を書いてくださいとお願いしていたが、それが叶わなかったのが心残りです。まだ、83歳でした。多くの舞踊家を励まし、指導していただきたかった。ご冥福をお祈りします。

今頃は雲中供養菩薩となって雲の上で舞われているのかもしれない。南無阿弥陀仏。

 

ご葬儀:9月5日 11時より
ご葬儀会場:大谷本廟(〒605-0846 京都市東山区五条橋東6丁目514)
TEL:075-531-4171
https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp
喪主:大谷光真 様

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更新日:2024.09.03