新連載「的場裕子のインド留学記」がスタートします!

「学ぶ・知る」に新連載が登場いたします!

インドの楽器・ヴィーナー奏者の的場裕子氏による「的場裕子のインド留学記」です。

第1回は「インド音楽への道」。インドへの留学を決めた経緯からインドの地に第一歩を踏むまで、生き生きと描かれています。どうぞお楽しみください!

的場裕子氏について、当ネットワークの世話人で、連載中の「河野亮仙の天竺舞技宇儀」の著者である河野亮仙氏から以下のようなご紹介をいただきました。

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的場さんは昭和47(1972)年、親の反対を押し切ってインド留学を決める。テレビをつけると山本リンダがヘソ出しルックで「もう、どうにもとまらない」と歌っている。ちまたでは映画「ゴッドファーザー」のもの悲しいテーマが流れていた。「風と共に去りぬ」もこの年だ。 木枯らし紋次郎が「あっしにはかかわりのねえことでござんす」と捨て台詞を吐いた。

札幌オリンピックの年、連合赤軍による浅間山荘事件が起きた。日中国交回復によって上野動物園にパンダがやってきて一大ブームが起きる。そんな年だった。

一方、ジョージ・ハリソンは前年にバングラデシュ難民救済コンサートを開催し、ボブ・ディランやエリック・クラプトンと共にラヴィ・シャンカル、アリ・アクバル・カーンが参加した。音楽界では、この頃がシタール・ブームの頂点だったのではないか。バングラデシュの独立をかけた戦争で、インド・パキスタンは危険と思われていた時期である。ラヴィ・シャンカルの親族も命からがら逃げ出してきた。

そんな中、的場さんは師である小泉文夫先生の助言に素直に従って、シタールではなくヴィーナーを選択し、マドラスに旅立つ。それから五十年以上一意専心、ヴィーナーの修行に励み、日本の南インド音楽界を引っ張ってきた。

的場さんと知り合ったのは1983年、増上寺のインド祭りだった。今でこそ南インド音楽を志す人が増えてきたが、まさに孤軍奮闘、地道に努力してきたレジェンドである。超絶技巧をひけらかすが如くのシタールと比べ、内省的、瞑想的な面が強い。精神の深み、「梵」を表現する。
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また、2月23日(木)、的場裕子氏が島根県松江市でヴィーナーを演奏いたします。詳細についてこちらをご覧ください。

更新日:2023.02.17