新連載「日本のインド古典舞踊オディッシーのはじまり」が始まります!

サキーナ彩子さんは日本人として草分け的なオリッシー(オディッシー)・ダンサーです。田中晴子さんは、やはり草分けである高見麻子さんが渡米してからの弟子です。田中さんがサキーナさんにインタヴューして記事をまとめました。日本における受容の歴史とその系譜を語っています。

ここで私はオリッシーと書きましたが、昔はオリッサ州のダンスということでオリッシーと呼んでいました。カルカッタがコルカタになり、マドラスがチェンナイと英国統治以前の呼称に変わり、orissaもodisyaとスペルが変わったので、現今ではオディシャ州、オディッシーと表記します。

昔はインド四大舞踊、バラタナーティヤム、カタック、カタカリ、マニプリーと言ったのですが、そこにオリッシーが割り込み、今ではクチプリ、モーヒニーアーッタムでインド七大舞踊とか呼ばれています。

日本において、私財を投げ打って人生をインド舞踊にかけた先人たちの熱い思いと足跡が語られます。 

日本人として最初にオリッシーを習ったのは櫻井曉美先生のようです。1965年から5年間バローダに留学しましたが、67年の夏休みに大学を抜け出して、カタックにあるグル・ケールチャランの学校で二ヶ月習いました。ワークショップの後にグルの家に招かれると赤ちゃんがいたそうです。バラタナーティヤムが専門なので、日本でオリッシーを披露したのは一回だけだそうです。

ビシバシ系で整然と構築されたバラタナーティヤムと牧歌的で艶然としたオリッシーでは、踊る方の性格にも違いがあるようです。

(紹介:日印文化交流ネットワーク幹事・河野亮仙)

更新日:2024.05.02