新連載「サキーナ彩子の『オリッサ滞在記』」が始まります!

インド古典舞踊オディッシーの日本人ダンサーの草分け、サキーナ彩子さんによる『オリッサ滞在記』です。どうぞお楽しみください!

「河野亮仙の天竺舞技宇儀」でおなじみの河野亮仙さんが、サキーナ彩子さんをご紹介くださいました。

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サキーナ彩子さんはオディッシーの先駆け

インド舞踊は意外にも関西発である。東京では榊原舞踊学園が昭和6年に設立され、創始者の榊原帰逸師は1953年、シャンティニケタンのタゴール大学に行ってインド舞踊を学びました。目指すところは新たなアジアの舞踊の創出でした。

1960年代後半になると関西圏の桜井暁美先生、ヴァサンタマラ(大和ヤエ)先生、先頃亡くなられた大谷紀美子先生が渡印してバラタナーティヤムを学び、本格的なインド舞踊時代が始まりました。京都では1968年、大徳寺の側にヴァサンタマラ印度舞踊研究所が開設されて大きな流れを作りました。東京ではヤクシニー矢沢先生がカタックを教え、孤軍奮闘していたのです。

それから半世紀が経過して、たった三人だったバラタナーティヤムの踊り手が、今や、何百人もいるので大変な功労者です。カタックの踊り手も最近は増えてきました。

サキーナさんは、まだ京都市内を市電が走っている時代に京都精華短期大学美術科に入学しました。インド舞踊家には何故か美大出身が多く、同じくオディッシー・ダンスの桐山日登美さんも四年制になってからの精華大学出身です。インド舞踊の古いテキストには、ダンサーは絵を学ぶべしと言う文言があり、オディッシー復興のグル・ケルチャランの生家は、オリッサの細密画パタチットラを生業とする村にあったことも偶然ではありません。

市電から見えた不思議な看板に惹かれてヴァサンタマラ印度舞踊研究所に参加します。インド留学から一時帰国してきた先輩、岩切千鶴子さんの披露したオディッシー・ダンスに興味を持って、1981年、思い切ってインドに渡ります。

それは、1983年に来日して東京・大井町でオディッシー・ダンスの教室を開いたクンクマ・ラール先生より前のことでした。

サキーナさんは現在福岡に住んでスタジオ・マーを主宰しています。最初の渡印後3年ほどは京都在住だったので、その時関西で指導した浜田さえこさんと茶谷ゆみこさん、九州移住後教室を尋ねて来た安延佳珠子さん、東京で開いたワークショップに来ていた小野雅子さんらが渡印して学び、今日のオディッシー興隆の基礎を築きました。

インド舞踊のベテランは五十年選手です。近年、インド沼という言葉が流行ってますが、何十人もがインド舞踊沼にはまっています。すべてを投げ打ってインド舞踊に集中しています。知れば知るほど奥が深くて面白く、止められない止まらない。

大谷先生は若い人がインド留学するのを手助けしたいとおっしゃっていました。コロナ渦で内向きになっている日本人ですが、先輩の後に続いてインド留学しましょう。

更新日:2024.11.08