大西正幸先生翻訳による「タゴール『子供時代』」の連載を開始します!

大西正幸先生翻訳による「タゴール『子供時代』」の連載を開始いたします。

アジア人初のノーベル賞の授賞者でもあるタゴールが、亡くなる前の年に書いた自身の回想録という点で、大変意義深いものであり、しかも、それを本邦初となるベンガル語からの直訳で読める!!という素晴らしい連載の開始です。乞うご期待。

なお、連載に当たり、「河野亮仙の天竺舞技宇儀」でお馴染みでもある当ネットワーク・河野幹事が、大西先生の知人として先生のエピソードをお寄せくださいましたのであわせて掲載いたします。

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大西さんがベンガルにいるという噂は、1980年頃、わたしがバナーラス・ヒンドゥー大学(BHU)留学中に聞いていた。留学生同士、タミルには山下博司さん(東北大学名誉教授)と高橋孝信さん(東京大学名誉教授)がいる、デリーには清島秀樹さん(近畿大学名誉教授)と高橋堯英さん(立正大学教授)がいる、プーナには宮坂宥洪さん(智山伝法院院長)がいるなど、大学間を越えた情報があってお互いに行き来していた。我がBHUには宮本久義さん(東洋大学客員教授)と橋本泰元さん(東洋大学教授)がいた。大西さんとはすれ違いで、お目にかかったのは帰国後だった。

それは1983年の10月、芝・増上寺におけるインド祭りにおいてだった。大西さんは、エスラージ奏者としてその音楽祭に出演していたのだ。帰国後にベンガル文学研究会というのを作って「コッラニ」という同人誌を編集し、翻訳を載せていた。

バウルなどについても詳しく、ベンガル文学と文化の研究者として認識していたのだが、その研究領域を広げオーストラリアに留学し、言語学で博士号を取得して華麗なるキャリアを重ねた。言語類型学とか記述言語学とか難しそうな事を専攻している。

京都の総合地球環境学研究所に在籍していた時は、インダス・プロジェクトに参加していた。また、出発点であるベンガル文学に戻り、それもタゴールの伝記をベンガル語から訳出してくださるとの事でうれしい限りだ。日印文化交流間における大変な文化的貢献となろう。

河野 亮仙

更新日:2021.05.21