おくやみ ラビンダー・マリク(Rabinder Malik)博士

当会の世話人をお勤めいただいておりましたラビンダー・マリク博士(ディスカバー インディア クラブ会長・元国連大学学長室長)が、去る2022年10月14日にお亡くなりになりました。この場をお借りして心より哀悼の意を表します。

マリク博士は、1934 年、分離独立前のインドはパンジャブ州にお生まれになりました。裕福なご家庭でありましたが、インドとパキスタンの分離独立の際に難民となり、西パキスタンからインドへ逃れニューデリーにご家族と移られます。父上が仕事や財産、土地などすべてを失い、非常に困窮を極めた少年時代を送られたそうです。
お兄様の援助を受けて学校に通いながらICCR(インド文化関係評議会)事務局に奉職し、1955年に21歳でWHO(国連の世界保健機関)のニューデリーにある地方事務所の職員に抜擢され、後にインドネシアでのUNDP(国連開発計画)、またインド本国での勤務を経て、1976年2月から、東京の国連大学設立に従事されました。
40年にわたる国連勤務、その間に奥様を亡くされるという悲しみも乗り越え、日本での再婚を機に骨を埋める決心をされ、国連退職後も日本の各大学で国際関係の教鞭を執られてきました。
日印の文化交流の分野においてはDIC (ディスカバー インディア クラブ) 会長として活躍してこられました。

また、日本文化の中でも「うた」に注目し、演歌や民謡への造詣を深め、歌手デビューも果たされています。詩吟の腕前も見事であったということです。

生涯を通して日印文化交流の架橋となり、様々な分野で活躍なされたマリク博士に改めて敬意と感謝と哀悼の意を捧げます。

日印文化交流ネットワーク事務局

更新日:2022.10.27