生が終わり 死にゆくとき
バナーラスの街は不思議なコンセプトで成り立っています。この街で死ぬことがインドの人々にとって人生最大の目的だというのだから。外国人の私にはまったく理解の埒外です。しかし私は、すべての人が共通に抱える死を、来世というコンセプトでまとめあげたインド人の思想の力に感嘆します。
なぜインド人は、「死ぬならバナーラスで」と願うのでしょう。
この街で迎える死は、全ての終わりではなく、来世への誕生だといいます。だからこの街はまるで、この世とあの世を繋ぐ出国オフィスのようです。外国に行くとき、必ず持っていくパスポート、そこに押される受け入れ国のビザ。そのようなものは必要ないのでしょうか。インド人の考える死と再生のシステムをもっと知りたいと思います。
[松本榮一写真集「死を待つ家」より]
松本 榮一(Eiichi Matsumoto)
写真家、著述家
日本大学芸術学部を中退し、1971年よりインド・ブッダガヤの日本寺の駐在員として滞在。4年後、毎日新聞社英文局の依頼で、全インド仏教遺跡の撮影を開始。同時に、インド各地のチベット難民村を取材する。1981年には初めてチベット・ラサにあるポタラ宮を撮影、以来インドとチベット仏教をテーマに取材を続けている。主な出版、写真集 『印度』全三巻、『西蔵』全三巻、『中國』全三巻(すべて毎日コミニケーションズ)他多数
(松本氏については、こちらもご覧ください)
更新日:2019.06.12